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2018年6月22日 (金)

朝日デジタル版「哲学者が語る民主主義の限界」の限界(その1)

 6月20日朝日朝刊デジタル版に表記の特集記事で、ドイツの若手哲学教授、マルクス・ガブリエル氏と日本の若手哲学教授、国分功一郎氏の対談が載っていた。

 テーマは大まかに言えば、現代の民主主義国において強大な行政権力が力を持った政治体制が「主権」によってコントロールすることができるのか?という問題である。
 ガブリエル氏は、これに関する国分氏からの手紙に応えてまず次の様に述べる。
民主主義は人権を行使するための政治システムであるが、歴史上登場した民主主義はギリシャにおいてもフランス革命においても失敗した。その原因は「みんなのため」という基本概念が実現出来ていなかったからだ。いまの民主主義もグローバリズムの中で途上国の人々への「アウトソーシング」という犠牲の上で先進国の人々が民主主義を保っているので理想的な民主主義ではない。民主主義のリーダー達が科学的知識を持っていないことも欠陥だ。こうした難点を克服するには哲学と科学が必要で、制度としては「公聴会」も持ち、人々の情報が行き届く「公共圏」が必要だ。
 そこから二人の対談が始まる。これを逐一書くスペースもないので、論点の要点のみを書いておこう。
 ガブリエル氏は「国民国家と民主主義は相容れない」と主張する。民主主義は普遍性が重要だが、国民国家というシステムを追い求めると結局独裁的な形となり排外主義的になる。国民国家を超えるグローバルなメンバーシップが必要だ。
これに対して国分氏は「国民国家という枠を取り払ってしまったら、主権はどうなるのか?主権のない政治はありなのか?」と疑問を投げかける。
 ガブリエル氏は「民主主義は普遍的価値システムだから主権という概念とは相容れない。主権なしの民主主義を考えるべきだ。」という。国分氏は「民主主義と主権は相容れないという考えだと思うが、しかし主権が必要な場面もある。たとえば沖縄の基地問題だ。」と突っ込み「行政と住民は知識が非対称的で、知識と情報の平等な共有が必要だ。」と主張する。
 ガブリエル氏は「政治家にはなくても官僚が専門的知識を持っている。専門知識を共有するためには公聴会が必要で、さまざまな分野の専門家がこれに参加することが必要だし、公共圏におけるジャーナリズムも必要だ。しかしインターネットは野放しにはできない。」と主張。
 これに対して国分氏は「民主主義の実現ルートは議会だけではなく、住民投票も必要だ。一方いまのグローバル社会では行政には常にスピードが求められる。」という。
  ガブリエル氏は「民主主義の実現には市民に倫理が必要だ。倫理的判断ができるように早くから哲学の教育が必要だ。」と主張。
  国分氏「ハンナ・アーレントが言うように、大衆は何も信じていないから何でも信じるということになる。つまり<軽信>だ。そして騙されることに驚かない。ある意味で信じることは必要だ。」と主張。
  ガブリエル氏「自由に考えることができることが必要だ。そのために自分の判断の基礎となるべきものを持つべきだ。」という。
 立憲主義についてガブリエル氏は「立憲主義はいわば上から目線であり、<こう決まってる>という視点だが、民主主義はボトムアップ的だ。しかし民主主義が投票で決められることには限界がある。人間の尊厳に拘わる問題は勝手に決めるわけにはいかない。民主主義は民主主義自体を否定することはできない。」と主張。また倫理は教育できるのか?という疑問に対しては「人間は生まれたときからある種の倫理的感性を持っているが、そのときに選択肢にある限定が必要だ。それが結局誤った判断を防ぐことになり、排外主義に傾く様な考えを持たないようにすることに繋がるし、異なる意見を持つ人との議論も一定の合意の方向を見いだせる様になる。」とし、多数決は民主主義か?という疑問に対しては、「多数が勝ち、ではなく、倫理的な土台にもとづく合意形成が重要なのだ。」と言う。
 ここで会場からの質問に移り、「民主主義と主権は相容れない、国民国家も必要ないとするならそれに代わる新しいシステムがありうるのか?」という質問があった。
 これに対して国分氏は「国民国家と国家は同じではなく、国民国家がなくなっても国家はシステムとして残る。」と応えた。
 ガブリエル氏は「国民国家に代わるものとしては連邦モデルを考えている。つまりグローバルな政府である。国民国家モデルをグローバルに拡張した連邦モデルだ。」と応えた。
 大体以上がこの記事の内容であるが、これに対する私の見解は次回のブログに書くことにする。
(続く)

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