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2018年7月

2018年7月24日 (火)

これまでなかったようなデザイン論を執筆中

 以前このブログ触れたが、私がこれまで半世紀近くにわたって考え続けてきたデザインに関する様々な問題とそれ対する私のスタンスや主張について書く予定で始めた「新デザイン論」はその後も筆者の健康問題などがあって七転八倒の状態で細々と続けられている。

 かみさんに「それって何のためなの?」と言われると「こんなデザイン研究の本はこれまでに絶対なかったし、これが今後のデザインのあり方を示す貴重な資料になりうると確信している」というと「ふーん、なら頑張らなきゃね」と人ごとのようにいう。
 しかもこの本をどこかの出版社が出版してくれるかどうかまったく当てもない。しかし私はこれを死ぬまでに残されたあまり余裕のない時間で書き上げねばならないと本気で思っている。
 書き進めるにつれて、これまでのデザイン関連のさまざまな重要研究の概要や問題点、そしてその背後にある社会的問題という大きなテーマとの関係など、どんどん書かねばならないことが増えていく。その中で、今後のデザイン研究のあり方や社会そのもののあり方についてもポジティブな形で提起していくことの必要性と同時にその困難さ、その果てしなさを日々感じながら仕事を続けている。
 私がこの本の完成を待たずに死ぬようなことがあれば、おそらくは書きかけの原稿はパソコンのHDに入ったままゴミとして捨てられていくであろう。だから単なる電子ファイルだけではなく紙原稿としてもプリントしておく必要があるかとも思っている。しかしそれも紙くず同然に扱われるかもしれない。どなたかこのブログを読んだ奇特な方が救い出してくれることを願うばかりだ。
 ここでその概要を見出し項目(未確定部分を含む)で掲げておこう。これだけでも5頁もあるので以下をダウンロードしてみてほしい。

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2018年7月23日 (月)

閑話休題(お笑いで暑気払い)

 このところ歳のせいもあってか、健康診断でいろいろな異常が発見され、検査漬けになっていたので、なかなかこのブログも書けなかった。検査の結果は「無罪放免」にはならなかったが、半年ごとに精密検査が必要ということで、取りあえずあと半年は自由に暮らせそうである。

 さてこのところの暑さで頭脳の回転がストップしてしまったので、例によって落語もどきのジョークでごまかすことにした。悪しからず。
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*その1 ある日のホワイトハウスにて:
執務室補佐官:「大統領閣下、いま中国の習近平主席からメールが入り、アメリカが中国のハイテク製品の輸入に高関税を掛けるなら、中国はアメリカからの航空機の輸入を制限することにするそうです。」
大統領:「うむ、それで?」
執務室補佐官:「アメリカの基幹産業である航空機製造会社では、ただでさえ中国製のハイテク部品が高関税で高くなって製造コストが上がるのに、中国が輸入制限を実施すれば、飛行機が売れなくって収益が著しく悪化します。」
大統領:「君はバカだね、アメリカで飛行機のハイテク部品を作ればいいじゃないか、そうすれば技術漏洩も心配しなくてよいし、国内ハイテク産業の雇用も増えるじゃないか。それで飛行機は中国以外の国々にドンドン売り込めばいい。」
執務室補佐官:「はい閣下、しかしわが国でハイテク部品を作ればおそろしく高いものになりますし国際市場でも高い航空機は買い手がつきません。」
大統領:「じゃ、わが国の航空機メーカーが中国で飛行機を作らせればいいではないか。ハイテク部品も中国内で安く買えるし、安くて優秀な労働力も買える。我が国の誇るアップル社もそうしているじゃないか!」
執務室補佐官:「。。。。。。。。。。」
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*その2 日本のある大企業社長室にて:
社長室秘書「社長、わが社の製品検査部門の検査で手抜きがあったということがデカデカと今日の新聞に載っていますが!」
社長「そうか、それならまずはそんな事実はないとマスコミには突っ張っておいて、これからはJIS認定審査機関のトップに毎月付け届けをしないといけないな。」
社長室秘書:「社長、そんなことで手抜きを見逃してくれるでしょうか?」
社長:「そりゃ見逃してくれるさ、あの審査機関のトップの息子は、我が社の入社試験に落第点を取ったにも関わらず、私の一言で入社できたんだからな!」
社長室秘書:「さすが世界に冠たる品質を誇るわが社の社長ですな!」
以上はすべてフィクションです。

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2018年7月 3日 (火)

7月3日の朝日朝刊に凝縮された現代資本主義社会の矛盾

 今日(7月3日)の朝日新聞朝刊のトップに「捨てられる新品の服、年10億点」という記事が載っていた。内容は記事を読めば分かるが、要するにアパレル業界市場での価格競争が激しくなり、販売店からの要求で製造元は製造コストを極限まで下げねばならず、生産拠点を低賃金労働者が使える国へ移し、そこでは技術がなくとも誰でも出来るように細分化され単純化された労働によって大量の労働者を雇用し、労働者は低賃金で過酷な長時間労働を強いられる。

 一方で大量につくられた衣服は市場で売れ残り、廃棄物処理業屋に処分が委託される。廃棄物処理業者の倉庫には売れ残った新品の服が山積みとなっている。そして国内でのアパレル業界では外国人実習生が事実上の低賃金労働者として雇用され過酷な労働に就いている。
 一方で過剰に作られ大量に廃棄される商品、他方でそれを過酷な長時間・低賃金労働で作らされる大量の労働者達。こうした矛盾に対して朝日の解説者は、業界の専門家の意見を引用しながら、消費者も、安さだけではなく、適正に作られているかにより関心を持つべきだと指摘している。
 しかし、ここでは「消費者」と「生産者」という今の社会の通念になっているカテゴリー分けでしか事態を見ようとしていない。実は、「消費者」も労働者であり、「生産者」とは労働者を雇用している企業主ではなく、本当はそこで働く生産労働者なのである。雇用された労働者は自分の意志で生産労働を行っているのではなく、賃金をもらって生活するために雇い主から言われた通りの労働を行っているのだが、その雇い主の意図はまさに資本の人格化としての資本の意志なのであって、資本の増殖のために買い入れた生産手段を使ってその資本の意志に従って労働者を働かせて生産しているのである。
 資本主義社会においては、こうして生産する人々とそれを消費する人々の間の有機的連携(どんなモノをどれだけ作るかの意志決定)が資本によって完全に分断支配されることで資本の意志として何をどれだけ作るかが決定されるようになってしまうのである。
 だからこのような馬鹿げた状況が当然の成り行きとして生じ、一方では過酷な労働が当たり前となり他方では過剰となった生産物が無駄に廃棄され、その処理のために膨大なエネルギーが使われ、そして地球環境をどんどん悪化させているのである。
 もう一つ目にとまった記事に「少子高齢化」に関するものがあった。それは最近日本ではついに、いわゆる「単身家庭」が両親と子どもなどの家族によって形成される家庭の数を上回ったということである。政府は「少子高齢化による経済成長の持続不可能性」を深刻な問題として取り上げ、若者達に子どもを産むことを奨励し、一部の政治家は子どもを産まない若者を社会的な罪悪であるかのように言っている。
 しかし、現実を見るとそれは決して「個人の人生観や好み」の問題ではなく、まさしくそのような状況を社会全体が生み出してきたのである。今朝の朝日朝刊「家族って」シリーズ単身社会編に、ある単身生活の男性の悩みが書かれている。アルバイトや契約社員を転々としながら親の年金からの仕送りでなんとか生活している様な自分の生活状態を顧みて女性に結婚を申し込むのも気後れがすると告白している。同じ朝刊の「声」欄への投書「少子化、国民に責任押しつけるな」(21歳の青年から)には政治家たちの若者の現状への無知を指摘しており、この投書に私も全面的に賛成だ。
 そしてもう一つ公開された国会議員の報酬と、上場企業で1億円以上の役員報酬を受け取った役員の数だ。前者は相変わらず最低限ごまかしができない額を届け出ているのだろうがそれでも一般労働者のそれと比べればはるかにリッチである。そして後者の1億円以上の大企業の役員報酬にいたっては、過去最多の500人を超えている。
  外人お雇い役員が日本人社長の3倍もの報酬を得ていたり、それも何十億という年俸である。社会的富はこうしてひとつかみの人たちの私有物として集中していく。しかもこの「役員報酬」は賃金水準の低い諸国で大量の労働者の労働を搾取し利潤を稼ぎまくったということへの「報酬」なのであって、労働者の様に自分の労働力を売って生活費を稼ぐために働き、その労働から生み出される剰余価値部分を無償で雇用主に取られた残りを賃金としてもらっているのとは本質的に異なる収入なのである。
  このような連中が世界中で「労働コスト削減」だの「生産の合理化」だのを繰り返し、いかに市場での価格競争に打ち勝つかを争っているために膨大な無駄の生産、過剰な生産を最初からそうなることを承知でやっているのである。
 曰わく「消費拡大による経済成長こそが暮らしを豊かにする」と。ウソつけ!!あんたたちは「自分は社会のためになる仕事を作り出し、従業員たちの生活費を稼ぎ出してやっているのだ」と主張しながらこのような巨額な報酬を正当化し、働く人々を、ただただ、モノを消費させ自分たちに利益をもたらす対象としてしか見ていないにも拘わらず「消費者」として持ち上げ、 無駄な消費を繰り返させ、そのために働く人たちの働く場や生活をメチャメチャにしてもそれを「個人のせい」にして、挙げ句の果てに地球をぶち壊しているではないか!!
 さあ、そろそろ真剣に資本主義社会のこうした矛盾がなぜ生じ、なぜいくら「持続可能な経済成長」(この内容自体が問題なのだが)などと叫んでみてもそれが実現できないどころかますます持続不可能の方向に向かうのか、なぜ若者達が将来の夢を持てないのかを理解しよう。
そのためにはまずマルクスの資本論を読むことから始めよう。この著作は古いイデオロギーの書などでは決してなく、現代の資本主義社会のメカニズムを理解するに必要な分析や理論がぎっしり詰まっている。かなり難解だが、未来の社会を働く人たちの手に取り戻すためになんとかその「カベ」を乗り越えよう!

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2018年7月 1日 (日)

アメリカ(株)CEOとしても失格のトランプ大統領

 トランプ大統領の「アメリカ・ファースト」政策は、移民拒否とアメリカの貿易関税障壁高化という二つの制作によく現れている。彼の発想は単純で二つのカベを高くすることでアメリカ企業を活性化し、雇用を護ろうということだ。後者の具体例は鉄鋼、アルミなどの原材料品の関税引き上げ、知的財産の海外流出を防ぐためアメリカから流出したハイテク技術を応用した製品への関税引き上げなどである。それに加えて食料品の一部にも高い関税をかけようとしている。

 しかしアメリカ製の工業製品(特に自動車やオートバイなど)はその部品の多くを安い海外製品に頼っているという事実を無視したため、結果としてアメリカ製の自動車やオートバイは海外市場で割高となり、売れなくなる。またトランプの意を汲んでアメリカ国内に生産拠点を移したグローバル製造企業も結局自社製品が国際市場で割高となるため、アメリカから撤退を始めている。その上、安い輸入食品に頼る庶民は割高の生活費が必要となり、自動車産業なども労働者の賃金を上げなくてはならなくなる。これではかえってアメリカの企業は雇用を減らし、労働者は厳しい状態に置かれるようになるわけだ。
 実はそうなることは少し頭のいい資本家なら最初から分かっていたはずだ。だから「アメリカ株式会社のカリスマCEO」トランプはCEOとしても失格だ。
 資本主義経済の基本原則である「自由市場」はかのアダム・スミスによって「レッセ・フェール」による市場価格のバランス化という指摘にもあるように、もう200年も前から分かりきったことだった。
 実はこの「レッセ・フェール」ではやっていけなくなったのが20世紀からの資本主義経済体制なのである。それは結局資本主義生産様式によって急速に高まった生産力と、この自由市場による販売競争の間に生じる矛盾で常に過剰な生産を強いられ、それがついに1930年代に世界大恐慌という形でドラスティックに現れたのである。
 結局この状況下で第1次大戦の敗戦国ドイツやイタリアを中心として経済的不利を打破するためのトップダウン国家主導のナショナリズム的資本主義体制を生み出し、第2次大戦へと向かわせた。
 一方当時のアメリカでも大不況で失業者が街に溢れ当時のルーズベルト大統領が打ち出した国家的経済政策 (ニューディール政策)によって道路網電力網整備などの公共事業によってある程度の失業者は吸収されていたが、皮肉にもこの第2次大戦の勃発によって英仏への武器輸出が求められ、その後日本の参戦によってこの戦争に参戦することになったアメリカでは急速に拡大された軍需産業に多くの失業者が吸収されていったのである。
 そして戦後アメリカでは軍需産業が縮小されて一時再び不況が訪れるが、その後、軍需産業で開発された技術が民生品に応用され、巨大化した生産企業で乗用車や家電製品が大量に生産されるとともに、国際的中軸通過となったドルの強みを利用した管理通貨制度による経済政策で労働者の賃金を上げて消費市場を活性化させることで過剰資本を不生産的に消費させるサイクルを確立させることが出来たのである。
  敗戦国であるドイツやイタリアおよび日本は戦争でいわば「ゼロ・リセット」を掛けられた製造業はまったく新たな生産設備を投入し、そこに復員兵士たちによる大量の安い労働力が投入されたことによって急速に戦後型の産業資本主義が成長したためこうしたアメリカ型消費経済体制を確立させることができたのである。
 つまりアメリカもヨーロッパや日本の資本主義も純粋の「レッセ・フェール」型市場経済ではやっていけなくなったのであり、経済システムのどこかに国家が「経済政策」として間接的に介入しなければ常態化する過剰資本の処理を維持できなくなっていたのである。
 そしてその後20世紀末から現れた様々な国際的状況の変化の中で、この間接的国家主導型消費経済体制はさまざまなバリエーションを生み出していったが、あちこちで致命的な破綻(大量移民問題などに象徴される)を来たしうまく行かなくなり、いま再び世界はナショナリズムの嵐に見舞われている。
 そこにトランプはグローバル資本経済の基盤でもある20世紀型自由貿易体制を否定することで「アメリカ・ファースト」を貫こうとしているのだ。トランプのアメリカ的ナショナリズムと対立するEUや日本、中国などの「自由貿易派」はこのグローバル資本のもたらした矛盾に見向きもせずそれを維持し続けようともがいている。
 問題は「ナショナリズムへの道」では解決不可能であり、流通が国際化した市場でしか成り立たなくなった世界経済において国家間での労働者の賃金格差、生活水準の格差をつねに必要としているいまのグローバル資本の矛盾を、世界中の労働者階級がともに連帯して打破して行かねば解決はできないのではないか?
  「アメリカ・ファースト」ではなく「インターナショナル・ワーキングクラス・ファースト」なのではないか?

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