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2018年8月

2018年8月31日 (金)

アメリカ的ボトムアップ社会対中国的トップダウン社会の対決なのか?

 2008年の金融危機で明白となった新自由主義的市場経済の矛盾、つまり借金をさせてまでどんどん消費を増やし、それによって「自由市場」の主人公である金融資本が信用破綻を来して危機に陥るという形で典型的に現れている矛盾は、その後アメリカを中心とした世界資本主義経済秩序を混乱に陥れていった。

  アメリカではオバマ大統領が「リベラル派」と言われる有色人種の多い下層中間層や西岸地帯のIT関連新興資本家たちを中心としたグループの支持を得てこの危機を乗り切ろうとしたが共和党の反撃にあって頓挫し、日本ではこの不況に乗じて民主党が政権を取ったが、その後、その政策のいい加減さが東日本大震災によって白日に晒され、自民公明政権に取って代わられた。この混乱は「民主政治」の特徴であるともいえる。
 一方で中国は着々と混乱の少ない一党独裁のトップダウン政権の強化が図られ、効率の悪い「民主政治」と異なるトップダウン経済体制が進められた。
 しかしここでアメリカ的「自由主義」がボトムアップで、中国式一党独裁政治がトップダウンであるという単純な図式を考えるのは早計である。
 アメリカや日本などのいわゆる「民主主義政治」では、人々は単に投票で代議員を選んでその代議員たちが所属する政党同士の数の多さで議会での決定を出すというスタイルで法律が決められ、それに従って官僚たちがその法律を執行していくという形を採っており、これが本来のボトムアップではないことは確かである。
  代議員の所属する政党は多額の政治資金を企業から受け取り、国の経済的基盤を形成している大資本企業の存続発展を前提として「国民経済」を考える。そこでの「革新派」と「保守派」の論争や意見の違いは、すべてこの前提の上で成され、相互補完的関係にある。そしてこれらの政策や法律を実行する官僚や公務員はエリートたちである。そこではその社会で働き現場で社会を支えている人々の考え方や要求はこの前提を崩さない限りでしか受け入れられない。言い換えれば労働者民主主義ではなく大資本民主主義なのである。だからこれらの国々では働く人たちの自殺者は増加しつづけ、結婚して子どもを持つ動機が失われ、社会の未来に希望を描けない状態になっている。これは決して本来のボトムアップ社会ではない!
 一方で中国の様な一党独裁制をとる「社会主義国」での政治はまさしくトップダウンであるが、その経済基盤は資本主義市場経済そのものである。ここではアメリカ、ヨーロッパ、日本などの大資本からどんどん投資させその資本で安い労働賃金のもとでどんどん利潤を増やし、経済は成長する。やがてそれらの利潤は中国内から新たな資本家を育て上げ、その中国資本がやがて世界市場を席巻するような大資本になっていった。この間わずか四半世紀のことであり非常に効率の高い資本主義経済体制である。いわば「超国家独占資本主義」ともいうべき体制であろう。ここでは西欧の大資本自由経済を効率よく取り込み中国資本がやがて世界資本主義市場を制覇し、政治的にも「オカネ」に物を言わせて世界制覇を狙おうという様相である。
 しかしこのおそるべき「超国家独占資本主義」体制の「社会主義国」で働く労働者や農民は資本主義社会よりも過酷な状況に置かれている。「労働者農自身による政治(人民民主主義)」を看板としたこの国でこの有様である。本来ボトムアップであるはずの社会で超トップダウンの政治経済が行われているのである!
 いまや「ポピュリズム」がこれらの矛盾に対抗する一大勢力になりつつあるが、「ポピュリズム」で自国第1主義を叫ぶ人々が忘れている重大な事実がある。それは世界が「グローバル経済化」したいま、世界中の国々で働いて世界中の人々に必要なモノを生み出している労働者がいなければ自国の経済は成り立たず、分断された国々では生活に必要なモノも手に入らなくなるということだ。
 本当のボトムアップ社会はいまや世界レベルでのこうした働く人々の連携なしにはあり得ない。
「万国の労働者団結せよ!」 ポピュリストたちはそのことをキモに銘じておくべきだろう。

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2018年8月12日 (日)

アミラ・ハスというイスラエル人女性ジャーナリストの生き方

 以前NHKTVの海外ドキュメンタリー番組で、アミラ・ハスというイスラエル人女性ジャーナリストの生活が放映されていた。彼女はイスラエル人であるにも拘わらず、パレスチナに住み続け、イスラエルが行っているパレスチナへの暴力的行為を世界に報告し続けている。

 当然、危ない目にも遭っているし、パレスチナ人からはイスラエルのスパイではないかと疑われたりする。それでも彼女は真実を伝えるために頑張っているのである。
  戦後パレスチナ人が住む地域に戦勝国であるアメリカやイギリスの後押しで、自分たちの国を作ったイスラエルはそれに反抗するパレスチナ人たちへの「防御」を名目とした敵対行為を繰り返しながら、かつての第2次大戦中のナチによるホローコーストを盾に、虐げられたユダヤ人というイメージを逆手に取って、ヨーロッパ諸国やアメリカがあまり反対行動を取れない状況を利用して、強大な軍事力を養ってパレスチナへの侵略行為を続けてきた。それに対してパレスチナの悲惨な状況への人道的見地から何とかイスラエルの行動へのブレーキをかけようとする国際的な力が働き、一時は和平合意が成立するかのように見えた。しかし再びイスラエル側の民族主義的ネタニヤフ政権によってそのバランスが失われて行ったのである。
 さらにいまシリアでの独裁政権に反対する勢力が起こした反乱による混乱状態を利用してISやイラン、トルコ、そしてロシアなどが絡む複雑な戦乱状況になり、多くの犠牲者が出ている中で、アメリカのユダヤ系資本家達をバックに持ったトランプが大統領となりイランと対立するイスラエルへの強力な支持を表明したため、パレスチナは再びイスラエルの過酷な敵対行為に晒されている。
 そんな中での勇気あるアミラ・ハスの生き方に私は大きな感銘を受けた。
(一部削除しました)
 ただひたすら、自分の政権を護り、「ニッポンを取り戻す」と豪語し憲法改定と軍事力の増強にひた走り広島や長崎の長年の希求であるにもかかわらず核保有禁止条約に加盟せずわれわれ日本人の未来への展望と希望を奪っていくような政治しかできない人物がいまなお35%もの支持率を維持しているこの国は一体どうなっているのだろう?
日本ではアミラ・ハスの様な勇気ある偉大な生き方のできる人物は現れないのだろうか?

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2018年8月 9日 (木)

翁長知事急逝をめぐって

 辺野古への新滑走路建設に反対していた沖縄の翁長知事が急逝した。あまりに急だったので信じられないくらいだった。普天間が町中の基地で米軍機の事故が絶えなかったこともあり、反対運動が盛り上がっていたが、政府はこれを普天間での危険な状態を解消するために比較的人口の少ない辺野古に新しい基地と滑走路をつくることでこの問題を解決するしかないと強調し、前沖縄知事の仲井真氏を巧みに抱き込んでこれを了承させたのだった。

その後知事となった翁長氏は沖縄の本当の心を読み取り、そもそも不当に重い基地負担をなぜ戦争で原爆被爆地とならんでもっとも悲惨な惨禍を受けた沖縄が負い続けなければならないのか、という問題に焦点をおいて、これに反対した。
沖縄では、基地によって経済的に潤う人たちも多く、こう言う人たちは、基地反対運動に背を向けている。しかし、どこでも支配層の常套手段として使われる手はこの「金目の話」なのであり、原発でも核廃棄物貯蔵所でも軍事基地でも本来は作らせたくないものを上からの意向で作ることになったとき、それによって経済的に潤う人たちが増えれば、その上からの意向に反対できなくなるのである。それはほとんどの場合、そうした「本来は作らせたくないもの」を作る場所が比較的に経済的に豊でない地域が選ばれるのもそのせいでもある。政府はそれを知ってその計画を練るのである。
 翁長さんはそうした状況に反旗をひるがえし続けた。そして思いなかばで亡くなってしまったのである。
 政府は内心ではほくそ笑んでいることだろう。これで次の知事選には勝てるぞ!と思っていることだろう。
 しかし長い歴史の中で考えればいまの政府のやっていることはまったく歴史の流れに逆らうことであり、今後何十年か経てば、なんと馬鹿げたことをやっていた政府だろう、という評価を受けるに違いない。

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2018年8月 4日 (土)

既得権階級の専横が支配する社会 その2 世界

 既得権階級が専横を欲しいままにしているのは日本だけではない。中国(共産党習近平政権の独裁)、ロシア(プーチン一派の独裁)、そしてやや違った形でEU(上流リベラル派エリート階級の支配)、さらにそれがもっとも特異的に現れたアメリカ(ヨーロッパからの移民国家でありながらもはや白人達が過半数に充たなくなりつつある社会での資本家的エリートの支配)などである。

 あからさまな言論弾圧を強める中国や、KGB的手法と水面下での世論操作を行い言論を封殺するロシアなどは言うまでもないことであるが、「自由と民主主義」を謳っているヨーロッパやアメリカでも「既得権階級」の支配に抵抗している人たちが増大している。なぜか?
 EUやの場合、これまでのリベラルな政策(2度の大戦への反省としてヨーロッパ諸国の統合、国境のカベを低くした移民への寛容、そして経済や通貨の統合など)は比較的順調に行われてきたように見えるが、それはEU内でも特に西側先進諸国での労働力不足を補う必要があったからだ。東側からの安い労働力が西側に流入することで、国際市場でも「ブランド力」を盾にすれば太刀打ちできる商品が生み出され、社会的には不可欠だが、先進諸国の若者達が嫌う「きつい、汚い、危険」な仕事に移民労働者達が従事してくれたからだろう。
  つまり西側の経済が成長すれば東側がそのおこぼれを頂戴できるというわけだ。この状態の中で、西側を中心として高等教育を受けることのできた人々はエリートの地位に就き、それができない人々はずっと下層労働者の地位に甘んじるという構図がすこしづつ出来上がっていった。多民族化するヨーロッパ社会での階級的矛盾の増大といえるだろう。
 この構図の矛盾が、シリアなど中東やアフリカの戦乱が始まって一気に爆発した。戦乱と飢饉で自分たちの国を逃れ出た大量の移民が安定した生活を求めてヨーロッパに流れ込んだ。そしてただでさえ下層労働者の地位に甘んじていたEU内労働者たちの仕事を奪うことになったのである。それは民族的・宗教的な差別意識を助長し、それに耐えきれなくなった人々の間からはテロリストも生まれた。
 それに対して社会のエリート層は相変わらずリベラルを看板にしながらも打つ手なく行き詰まっていった。その中でかねてより自分たちはヨーロッパの一員ではないと自任するイギリスの人々がEUからの離脱を主張し国民投票で勝ってしまった。そこでフランスのマクロンが我こそは「リベラル正義派の騎手である」と言わんばかりに躍り出て大統領選には勝った。ドイツではこれまでの実績で何とか持ちこたえているメルケルがフランスと手を組んでEUリベラルを何とか維持している。しかしヨーロッパ諸国では「打倒リベラルエリート」に燃えるポピュリズムが膨張し、EUリベラル派は危機に立たされている。
 一方アメリカでは、20世紀までは軍事的にはもっとも強敵だったソ連圏が崩壊し、あたかも一人勝ち状態となり 「パックス・アメリカーナ」よろしく自国の政治や経済が世界の国々の標準的目標となることを目指していたが、 21世紀になって急速に台頭してきた中国に生活消費財市場で押しまくられ、アメリカからはコンピュータやスマホなどのハイテク製品の生産拠点を中国に置き、中国の安くて優秀な労働力を使ってコストダウンすることで「ブランド力」を駆使して世界市場に売り込み、中国からは安い生活消費財を大量に輸入することで労働者階級の賃金水準を上げずに済ませるという形のバーターを成り立たせようとし互いに経済的には依存関係が成り立っていった。 こうしてアメリカがますます「消費大国」化する中で製造業で頑張っていたかつての労働貴族と言われたアメリカの労働者達は徐々にその地位を奪われ追い詰められた行ったのである。
 やがて中国の経済力や軍事力は急成長し、アメリカを圧迫するようになってきたため、アメリカはもはや自国の政治経済体制を世界標準として国連などで多少の犠牲を払ってもそれを世界中に広めようとするそれまでの方針を転換せざるを得なくなっていった。
こうした中でトランプが「アメリカ・ファースト」を叫びながら大統領に当選したのである。このトランプも「自助努力」を自任する資本家的エリートである。だから労働者のためを思ってやっている様なことを言うが、それはつねに資本家的視点によるものであることを忘れてはならない。そしてそれは政治的支持基盤からもオバマに代表される多民族的リベラル派と真っ向から対立する形となっている。
 このようないまの世界での状況で、単純に「リベラルかポピュリズムか」という二者択一図式で問題を建てては危険である。
  もっとも重要なことは、こうした対立項の背景に世界中の労働者階級が本質的に同じ立場にあるにも拘わらず、国境という枠内に閉じ込められているという事実。そしていまやエリート支配層の空虚で抽象的な主張でしかなくなった「自由・民主主義・リベラル」を看板にすることで、他方の「国益」を護るため国境の強化を叫ぶ人々と対抗しても何も生まれないだろうということだ。
  この世界を支えているのは決して「自由・民主主義・リベラル」を口先だけで唱えているエリート支配層ではなく、 世界中で自分たちの社会のために毎日汗水流して働き、時には「ポピュリズム」という馬鹿げた思想にも惑わされるが、実は互いに見えない絆で結ばれている世界中の働く人々であることを忘れてはならない。その絆が見えてくれば、決してまた「ポピュリズム」に惑わされた悲惨な戦争に走ることもなくなるだろう。

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2018年8月 3日 (金)

既得権階級の専横が支配する社会 その1 日本

 昨今のニュースは森加計問題や子息の大学への不正入学など大臣や政治家の権威や地位を利用した不正な行為とそれを見逃す周囲の連中という構図があまりにも多い。それが政界の出来事だけではなく、スポーツ団体や大企業、大学の上層部にも浸透しているらしい。日大アメフト部の事件やボクシング協会の問題、大企業での品質管理の不正や規格認定団体を巻き込んだ不正、大学で女子の合格率を作為的に下げていた大学などなど数え上げればきりがない。

 そしてほとんどの場合、その原因や防止策をあまり深く追究しないで済ませているようだ。何か事件を起こせば形だけの「謝罪」をするだけで後はシラを切ってやり過ごすという態度。
部下に責任を負わせてトップは相変わらず居座るという態度。日銀の黒田総裁のやり方もあの「バズーカ」戦略の失敗が明白になっているにも拘わらず、平気な顔して小手先だけの修正でやり過ごす。結局この異常な「アベノミクス」の間に円安により輸出で大儲けした大企業や株高などで大儲けした投資家連中だけが潤っていく。
 要するに安倍政権に代表されるこうした態度を平気で取れる既得権階級が思うままに世の中を牛耳っているとしか言い様がない。
 にもかかわらず、こうした状況をなかば黙認している様にみえる世の中の雰囲気はいったいどうなっているのだろう?
  そうしている間に、この安部・黒田ゼロ金利政策で国がつくった借金はドンドン積み重なり、「出口なし」の行き止まりに向かいつつある。やがてわれわれ高齢者の年金も減らさねばならなくなる日が来るだろうし、もっとも社会のために必要な労働に汗水流してはたらく人々はまったく報われない状態に落とし込まれつつある。
 それでも安倍内閣の支持率は35%近くもあり、「他の政党よりマシだから」という理由で生きながらえている。
 今朝の朝日新聞に出ていた東大生の就職先ランキングをみれば、最近は高級官僚を目指す学生が減りつつあるそうだが、それでも官僚志望が多く、そして「官僚は責任を取らされ、勤務時間が長いから」と敬遠する学生に人気のあるのは大手銀行金融企業や急成長したベンチャー企業である。日本をしょっていくはずのエリート東大生のほとんどは結局、既得権階級を目指しており、こうした社会の病巣を根底から変えていこうとする若者はいないらしい。既得権階級の次の世代も当然のごとくやはり既得権階級になる。「自助努力で誰でも頑張れば出世できる」というふれ込みの社会だが、実はそうなっていないのだ。残念なことだがこれが文科省主導の高等教育の成果なのだろう。
 「いまの世の中、なにかが根本的に間違っている」そうおもう若者もきっといるに違いない。そうした若者こそが次世代の社会を担うべきなのではないか。だが間違ってもかつて「昭和維新」を叫んでクーデターを起こした2.26事件の様な愚かなことを繰り返してはならない。冷静に歴史的現実を見据え、既得権階級には決してできないまともな判断を下せる様になることが大切だ。

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2018年8月 1日 (水)

デザイン論研究をめぐっていろいろ疲れる今日この頃

 地球温暖化のせいで毎日続くこの異常な暑さで、昼間は外出するのもいやになる。それに加えて、2年ほど前に引き受けたある事典の分担執筆の初稿がいまごろやってきた。1960年代にまだ私が大学院生だったころ勉強したデザイン方法論の論者6人分の項を受けもたされているのでその頃の文献を収集せねばならず大変苦労して書いた原稿だが、査読者からいろいろクレームがついてまたまた原典を一つ一つ当たらねばならなくなった。疲れる!

おかげでせっかく再開始した「新デザイン論(仮題)」の執筆もほとんど進まなくなった。
しかし、いま自分が書いている本の内容と1960-70年当時に研究対象にしていたデザイン論の立場とはなんと違うことか!われながらその間の自分の立場と考えていることの変化と、同時にそれをもたらした時代の変化をひしひしと感じている。
 一方でいまの大学などで研究教育の対象となっているデザイン理論は当時のデザイン論からどれだけ進歩しているのか?正直いって疑問である。というとまるで自分の考えていることがそれよりずっと先を行っているように思われるかもしれないが、そうではなくて、要するにデザインの現実や現状に対するとらえかたの違いなのである。
 デザインを職業としている人々の労働の内容が、いまの資本主義社会特有の分業種の形態であると言うことへの自覚の問題である。いまのデザイン教育やデザイン研究はそれをいわば普遍的なデザインの形態としてとらえているが、私はそれを歴史的な特殊な形態として見ているという違いなのである。
  この40-50年の間、私はこの問題にずっと悩み続けてきた。自分の専門とする領域のもつ致命的問題とその教育を職業としている自分との間のギャップである。たえず2極化した自分の内面に押しつぶされそうになり、ここから逃げてしまおうと考えたこともあったが、なんとか踏みとどまった。そして現役からリタイアして10年やっとそれを1冊の本として出そうという気持ちになっているのである。
 このところ健康診断でさまざまな問題が見つかり健康状態は決して良いとはいえないので、あと何年こうした頭脳労働を続けられるか分からない。それもあってことしはことさら暑さが身にしみる。
 しかもそれだけではない。いまわれわれが置かれている社会の状況は刻々と悪い方向に向かっており、われわれの次世代の人々の生活がどうなっていくのかを考えるとじっとしてはいられなくなる。しかしいまのところどうすればよいのか分からない。こんな歳になってはあまり世の中のためになることはできそうにない。せいぜい自分の考え悩み続けてきたことを1冊の本にして世に問い、いまの若い世代の人たちの考え方や生き方になにかしら参考にでもなればという思いである。
  問題は、この本を出版してくれる会社があるかどうかである。商業ベース主体の現代の出版社はあまり売れそうにない本など出版してくれるかどうか分からない。売れる本しか出版しないいまの社会は事実上言論の自由が奪われているとみるべきかもしれない。

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