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2018年10月22日 (月)

マルクス生誕200年シンポジウムに参加して(分科会4 その1)

 (前回からの続き)午後は5つの分科会に別れてシンポが行われた。私はどの分科会に出ようかと昼飯を食べながらさんざん迷った挙げ句、結局、午前中の大内氏の記念講演の内容に関連した「コミュ二タリア二ズム」の現状として生協活動などを推進しているグループの第4分科会:世界を変革する社会連帯経済を巡って」というセッションに出ることにした。まずその内容を紹介する。

 この会場は大きなラウンドテーブルが置かれた中位の会議室だったが、すでに私が行ったときは満席に近い状態だった。どうも大半が協同組合運動関係の人のようだった。
 まず「ソウル宣言の会」の若林氏からGSEF(Global Social Economy Forum)「グローバル社会的経済協議会」の活動の概要に関する報告があった。この協議会はソウル市長の朴元淳氏の呼びかけで2013年にソウルで準備会が持たれ、「ソウル宣言」が採択された。そこでは社会経済のグローバルな連帯を謳った次の様なスローガンが掲げられた。
 貧富の格差拡大、非正規雇用の増大、金融・財政危機、環境破壊など社会が直面している困難が世界共通であること。その原因が新自由主義的グローバリゼーションにあること。これに対抗する協同組合や社会的経済のさまざまな組織活動が世界的に生まれていること。
 こうした草の根的参加型民主主義を方法として公平で公正な社会を目指し地域循環型の持続可能な社会が人類にとって希望となっている。こうした運動をグローバルなネットワークで結び連帯を強めることが必要。
 そうしたグローバルネットワークを推進するための具体的な提案をすること。
 社会的経済を発展させるためには地方政府、自治体との友好的な協力関係(参加型民主主義の地方自治)が必要であること。
 この方向に沿って、2014年ソウル大会が開催され、ソウル宣言を基礎としたGSEF憲章が制定され、GSEFが発足した。
 2016年にはモントリオールで大会が開催され、2018年にはスペインのビルバオで大会が開催された。
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 このあと、「羅須地人協会東京支部」の平山氏からGSEF 2018ビルバオ大会と絡めた報告があった。ヨーロッパでは以前から社会的経済として存在し、フランスでは1901年にアソシエーション法が制定され、2016年にはそれが社会的・連帯経済法となってソ連型社会主義が崩壊した後にグローバルな新自由主義による地域経済破壊と格差拡大に対抗してそれまでの社会主義に代わる運動として起こってきた。1980年のICA(国際協同組合同盟)モスクワ大会での「レイドロウ報告」で生産的労働のための協同組合、社会の保護者をめざす協同組合地域社会の建設などを目標とし、そのモデルとしてモンドラゴン協同組合が紹介され、一躍有名になった。(平山氏からはモンドラゴン協同組合訪問記が紹介され、これについても説明があったがここでは省略する)
 日本でも1970年代から企業の倒産争議における自主生産闘争が活発になり、パラマウント製靴、東芝アンペックス、そして解雇された国労組合員などによる長期に渡る闘争の結果実質的に勝利したケースもある。また1980年代には下町の中小企業での企業を超えたコミュニティー・ユニオンが成立し、自主生産企業とコミュニティー・ユニオンの組み合わせの中にレイドロウの提起した協同組合地域社会の可能性を実感した。そして1984年の「ニュー社会党宣言」での「社会連帯部門」の内容は今で言う社会的連帯経済とさほど違わないものだった。しかし西欧型社会民主主義を目指した社会党はその後、実質的に崩壊した(なぜそうなったのかが問題だ---野口)。ソ連崩壊前に「階級闘争」と「プロレタリア独裁」というテーゼを生産できたことが唯一の成果であった(「成果」なのか?誤りなのではないか?---野口)。しかしソ連崩壊後のいま、「左派」を称した人たちも非営利協同や協同社会を語るようになった。いま気になることは、ヨーロッパ各国の多くの協同組合は1970年代に大型化した消費組合が倒産したり株式会社化したりして衰退してしまった中で、しかもいま反移民とポピュリズムが跋扈しているヨーロッパで、モンドラゴン協同組合がヨーロッパ社会に波及できるか、またモンドラゴンの企業と労働組合の関係はどうなるのか、といった問題である。
 かつてロバート・オウエンが市場経済から弱者(労働者階級は「弱者」ではない---野口)を守るためにコミュニティーづくりを試み労働運動と協同組合が一体となった世界を目指したが、いま必要なのはオウエンが目指した様なコミュニティー型の協同組合と労働組合でありそれが一体となって支える社会的連帯経済によるコミュニティーだと思う。
(しかしオウエンがなぜそれによって社会変革をできなかったのかが問題ですね---野口 )
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 その次は、「NPO法人共同連」の堀利和氏から「障がい者が構想する共同社会」という報告があった。日本では古くから琵琶法師、按摩、などという形で視覚障がい者特有の職業が認められており、明治以後もこうした形は存続した。これはいわば貴族や武士階級の様な特権階級の庇護のもとにあった。しかし、1970年代になって府中療養センター闘争が起こり重度脳性マヒ者の「青い芝の会」による運動が始まった。それは健全者による「庇護」という形ではなく、「共生」を目指す、障がい者の主体的運動だった。73年にイヴァン・イリイチが提唱した"Convivial"つまり地域で共に育ち、学ぶ、共に生き、共に働くための運動として展開された。国による法制として 1960年に身体障害者雇用促進法が制定され、70年には義務化され、85年には大改正が行われた。70年代には雇用でも授産事業でもない法外措置としての「小規模作業所」が作られ、自治体の助成を受けられるようになった。堀氏が代表を務める「共同連」では「先生と訓練生」の関係ではなく、労働者の同僚として共に働く関係、つまり「共働事業所」が目指された。そこでは障がいのある人、ない人が自らの労働能力に応じて対等平等に働き、「賃金」ではなく、それぞれの生活実態に合わせた分配が「分配金制度」として行われる。
 共働事業所は現在では「社会事業所」へと発展させ、イタリアの「社会協同組合法や2007年の韓国の「社会的企業育成法」に学び、ひきこもり、ニート、依存症者、ホームレスなどを含む社会的に排除された者30%以上が、そうでない者と共に働く共同事業所を目指している。しかしいまのところ法案大綱を提案するに留まっている。
 この経済活動は「社会連帯経済」の一分野であって、「WISE(Work Integration Social Enterprise)と定義されているが、自分はこの"I"を"Including" として「労働包摂型」を目標とした社会的企業として位置づけている。
 こうした労働包摂型社会事業所の働き方は、労働力商品化を止揚した働き方ともいえる。労働の交換過程論からいえば、等労働量交換であって、形式的等価であっても実質的には非人間的不等価交換である資本主義経済から実質的等価交換の経済へ、さらに人間的不等価交換システムとしての「贈与と互酬性および再配分」の経済(S. ラトゥーシュ?--野口)であるともいえる。それは資本主義も国家社会主義も超えた「共生社会・主義」であり市民社会に代わる「共生社会」である。
(うーむ、こうなると首をかしげたくなるな---野口)
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(以下次回に続く)

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