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2018年10月22日 (月)

マルクス生誕200年シンポジウムに参加して(記念講演について)

 昨21日に専修大学で行われた表記シンポに行ってきた。午前中は宇野派の大御所、大内秀明氏の「晩期マルクスのコミュ二タリア二ズム」という題目の記念講演だった。会場は講堂のような大きな部屋だったがおよそ120-130人ほどが入っていた。 その半分以上が白髪の高齢者であった。

  そこで最初に示されたスライドでのデータが、興味深かった。それはイギリスのある調査会社の調査データであるが、「あなたはマルクスの目指した社会を良いと思いますか?」という質問に応えた約30カ国でのアンケート結果だった。それによると「良いと思う」と応えた割合が80%以上で第1位だったのが何と中国であった。そして何と最下位が日本なのだ。上位には南米やアフリカなどが入り中位にはヨーロッパの国々、そのやや下にロシア、そして日本より少し上にアメリカがあった。

 この結果をどう見るかについては別の機会に考えるとして、日本人のマルクスに対する態度は実に冷たいものだと知った。特にいまの若者たちはほとんどマルクスにシンパシーを感じていないようだ。しかし、戦後の1950-70年頃までは日本のマルクス研究は世界のトップクラスであったし、大学の経済学科での位置も非常に高かった。
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 そこから大内氏の話は進み、さまざまな理由でこうなったのだろうが、それはマルクス経済学での役割を担った自分たちの責任でもあると反省を込めて言った。そしてその一つの原因として日本のマルクス主義がレーニンらによるソ連系からの流れが圧倒的に強く、ソ連が崩壊するとその後その弊害が強く出たためという。
  しかし、ヨーロッパではむしろマルクスが晩年になってパリコンミューンの影響を受けて手直したフランス語版の資本論からの影響が強く、たとえば、イギリスではこのフランス語版資本論を読んだモリスとバックス共著による「社会主義」(1893)がドイツ語の資本論よりもはるかに広く読まれていたとのことである。
 私はここで、かのウイリアム・モリスが出てきたので驚いた。モリスは私がデザイン学科の学生だった当時、必読文献だったペヴスナーの「モダンデザインの展開---モリスからバウハウスまで」で、周知している「アーツアンドクラフツ運動」の指導者である。私の頭の中ではモリスはマルクスを読んだがあまり良く理解できず、むしろラスキンやオーエン的社会主義に親近感を持っていたということであり、彼の「アーツアンドクラフツ運動」も結局は中世的職人組合の世界に戻ることを主張して、社会の近代化の中で挫折し、それが形を変えてドイツ工作連盟やバウハウスなどのような大陸での新たなモダン・デザイン運動に形を変えて継承されたという筋書きであった。
 しかし大内氏の説はそうでない。モリスはむしろイギリスでのマルクス思想の伝道者だったというのである。そしてヨーロッパではむしろレーニンらによるソ連型社会主義より前にこのモリス・バックス的社会主義が広く浸透していたので、ソ連崩壊後もマルクスへの関心はそれほど落ち込んではいないというのである。まさに「なるほど!」であった。
 そして大内氏は戦前に日本にマルクス思想が入ってきた当初はこのモリス系の流れだったという。堺利彦などがそれを代表しているというのだ。しかしその後ロシア革命の影響が強くなってきていわゆる「講座派」が台頭し、これまでのモリス系マルクス主義は「労農派」系として再構成され講座派に対抗する形が出来ていったというのである。これも「なるほど!」というしかない。
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 しかしその後、大内氏はそのモリス系マルクス主義は日本では宮沢賢治によって受け継がれたというのである。宮沢は「農民芸術運動」という実践のなかで彼の思想を表現していった。それは芸術家としてのモリスの影響が非常に大きかったというのである。
 ここで私はちょっと疑問を感じた。宮沢はマルクスの思想よりもモリスの思想に傾倒したのではなかったか。彼の中ではおそらくマルクスの経済学や哲学の神髄は理解されていなかったのではないかという疑問である。
 しかし大内氏はこのモリス系マルクス主義には晩期マルクスがパリコンミューンの影響を受けてその思想に変化を来した結果、むしろコミュ二タリア二ズムという方向に移行しつつあったのではないかというのである。そして後年レーニンが強調し、スターリン派によって著しく歪められてしまった「プロレタリア独裁」の原型はマルクスによるパリコンミューンに見られた職人組合的、つまり自分たちの手で作り自分たちで消費する地域共同体組織としてのコミュ二タリア二ズムだったのではないかというのである。
 これに関しては私もいまのところどう考えて良いか分からないが、その辺の歴史的実証があいまなので今後の研究を待つしかないと思う。
  そして大内氏はいま宮沢賢治の農民芸術運動や「東北砕石工場」を拠点とした「産業組合青年会」などに注目し、彼のコミュ二タリア二ズム的運動について研究しているのだそうだ。 
  大内氏はすでに86歳でいま仙台近郊の老人ホームに居り、「余命幾ばくもない私なので言いたいことはどんどん遠慮なく言わせてもらう」とその「枯れた境地」を語っていた。
 この講演はマルクス経済学の理論研究とはいえないが、マルクス主義の別な側面に光を当てたものとして私には大変興味深かった。そして大内氏は最後にこういったのである「マルクスの理論研究も大事だが、それがいかに実践の中で生かされてきたかが問題だ。その意味ではモリスがデザインという実践の中でその思想を別の形で表現してきたことは重要だ」と。私もこの考えには賛成だ。大内氏は宇野弘蔵の3段階論の持つ欠陥を多分自分では自覚せずにこう言う形でその矛盾を表現したのではないだろうか?
(続く)

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