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2018年10月23日 (火)

マルクス生誕200年シンポジウムに参加して(分科会4 その2)

 (前回からの続き)最後は「共生型経済推進フォーラム」の柏井宏之氏からの「日本における社会主義運動と生協運動」という題目での報告だった。

 柏井氏は1945年敗戦直後と1960年安保闘争時代の生協運動を中心として取り上げた。1946年4月の帝国議会選挙には、社会党、自由党、進歩党、共産党などとともに、「日本協同党」選出議員が14人当選した。日本協同党はイギリスの協同党がモデルで1918年には代表をイギリスに送っている。1920年以降は資本主義、社会主義に対する第3の道として協同主義を掲げて議会活動し、戦後はイギリス労働党とも密接な関係を持ってきた。改造社の山本実彦、井栄火災の井川忠雄、雪印乳業の黒澤西蔵など社会事業家が中心だった。その後日本農民党、大同クラブの三木武夫らと合同して協同民主党となり、進歩党の後進である民主党の一部と合同、改進党を経て、1955年保守合同の波に吸収された。協同党は国家主義ではあるが保守反動派とは異なり保守リベラルと革新中間政党の領域にも基盤を持っていた。

 1960年安保、三池党争の後、社会党、共産党、新左翼の運動が労働運動を巡って争われ、少数ではあるが地域生協づくりが始まった。共産党が大学生協中心だったのに対し、社会党左派はパルシステムを作り、革新無所属や社民党を支持してきた。岩根邦雄は社会市民連合からローテーション制と歳費管理の「代理人運動」へ向かい、地方議会に革新無所属も違うローカル政党を作った。1988年に自民党の「生協規制」が声高になる時、生活クラブ生協からの「生活市民派からの提言」で、「「生協規制」の政治と協同運動の政治」の章でプロジェクトチーム内の意見が分かれ、結局無署名のまま出された。当事者であった自分は、賀川豊彦のトータルな社会運動としての協同組合(利益共栄、人格経済、資本協同、非搾取、権力分散、超政党、教育中心)に学び、 「超政党」とは「反政治」でも「政党任せ」の「政治的中立」でもなく、被選挙人に独占された政党を超えて行くものとして協同党兵庫のイメージからこの章を書き換えた。

 他方で1988年、武田桂次郞らにより谷川雁の「サークル村」や女たちの伝習館闘争を引き継ぐものとして「グリーンコープ」が登場し、「女が農業を発明し、男が工業を発明する」史観の上に、さまざまな「外化」に「内化」を対置させる独特な文体によって「疎外されたもの(国家、男)を疎外したもの(社会、女)に向かって止揚解体していく、つまり社会と女を自律させてゆくことを目指した。その方法は分業をタテの支配系からヨコの連帯系に組み替える運動と事業体である。「生活クラブ」とはまったく違う用語法だが、「生活クラブ」の女性たちの自主運営、自主管理と共鳴し合い、現代では全国市民政治ネットワークの地域政党の連合を創っている。

 そして最後に柏井氏はこう主張する「1937年の協同組合原則の中にあった「政治的中立」は、その原則から外された後も、厚生労働省はこれをもって協同組合を呪縛している。そもそも内部を律する原則が外部からの禁止条項のように言われる不都合は労働運動や社会運動に認められている政治的自由から見ても取り除かれるべきである。

 NPO法以降、政党への意欲が薄れていることは危機である。協同組合の政党への無関心は、非営利事業の権力への従属が深まっている証拠である。

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 以上がこの第4部会の報告の概要であるが、この後会場からの質疑応答に移った。 その内で重要と思われるものだけを取り上げて書いておこうと思う。

 一つは、 GSEF2018 ビルバオ大会でのメインテーマで、「包摂的で持続可能な地域創生への価値と競争力」が目標として掲げられたことである。このうち「競争力」とは何かというのが問題となった。報告者は、「「競争力」が独立してではなくテーマ全体の関連性の中で使用されており、一般に理解される能力やコスト、効率の競争ではない」とし、「貧富の差、格差が生じないよう意識し、かつ環境に配慮し、持続可能な社会の発展を遂げていく価値、それに持続して取り組む力、市場へのアクセスとして理解する」としている。

 しかし、この「競争力」とは資本主義経済の本質である市場競争の中にアクセスする協同組合運動が当然それと競争して行けるだけの市場での競争力を持たねばならないことになり、結局はモンドラゴンでのファゴールの倒産に見るような結果を想定しなければならず、それに対抗することは自動的に市場経済の一部として取り込まれていくことになると思われる。

 もう一つの質問は、階級闘争との関連であった。このような運動が結局政治闘争と切り離されて単なるユーザ参加の通信販売組織のような形になってしまえばそもそも当初目指していた資本主義的生産様式への対抗としての意味がなくなっていくのではないか、という疑問である。これには司会者もお手上げ状態でこの議論は中断されてしまった。

 さてこうした内容全般に対する私の率直な感想を次回にまとめてみようと思う。

(以下次回に続く)

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