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2018年10月17日 (水)

人類にとってAIとは何かを考える(その1 産業革命とは何か?)

 まず、地球上に生命が登場してから40億年以上も経っている。そしてホモサピエンスが登場してからまだたった数十万年しか経っていない。そして人類が階級社会を形成して文明社会を築きだしてからまだ5000年位しかたっていない。そして「近代文明社会」といわれる時代はたかだか250-300年ほどのことである。
  その自然史的にはほんの一瞬に過ぎない出来事の中で、登場した資本主義社会は社会的生産を私的財産獲得のための手段とする資本の駆動力によって「成長」したが、そこでは社会的に必要な富を生み出す源泉としての労働がその道具として用いられるようになり、資本の成長にとって「合理的」な形に分解・変質・再構成されていった。バルトリー二が言うような「人間の労働を楽にして便利で豊かな生活を生み出すために技術が進歩した」などと考えていた人は実際にはどこにもいなかった。
  最初は職人的技能が、分割・細分化された労働に解体され、それぞれ並列的に行われるようになった。その結果、労働生産性は上がり、単位時間に産出される生産物量は増加した。そのため資本家は市場での競争を有利にするため生産物一個あたりの価格を下げてもそこに含まれる労働賃金分を減らすことができ、獲得する利潤は増加した。しかし、それによって労働は誰でも出来る形に単純化され、資本家の支配する生産企業に雇用される労働者の賃金は低下した。
 次に、資本家の意図によってその細分化した労働を「作業機」に置き換えることが行われた。そしてそこに生じる機械化された作業と手作業にたよる分野との生産性の違いがさまざまな軋轢を生み、関連する諸労働もどんどん機械に置き換えられていった。そして最後にその全体が同じリズムで動くようにするため蒸気機関などの原動機が導入され、生産現場全体が機械によって稼働する機械制大工業が登場した。資本の生産力は著しく向上したが、そこでは労働者は完全に機械の付属物となった。これが「産業革命」の始まりである。
 すでに17世紀頃から始まっていた自然科学への関心は、この産業革命期に工学的技術と結びつき科学技術研究に大きな駆動力が与えられた。
  生産現場の労働が細分化されたため、職人的技能から失われた生産物全体の姿を考え具体化する能力を補うための労働者が必要となり、資本家の意図と頭脳の一部を代行・補強する役割を要請された分業種として「頭脳労働者」が登場した。彼らはまた資本家の意図に従って機械などの労働手段の設計や改良を行うことも要請されたため、一定の工学的知識が必要とされ、そのための養成費がかかるため、彼らの労働賃金は単純労働者より格段に高かった。さらには資本家のカネのやりとりや労働者の管理をする事務系労働者が登場する。こうして頭脳労働者はさまざまな専門領域別に分業化されていった。
  この頭脳労働者たちは資本家の頭脳の延長としてその働きを補強するために雇用されたので必然的に資本家的意識に染まっていく。だから彼らは「資本の成長=社会の成長」という公式を鵜呑みにさせられ、自分たちは社会の成長に貢献する「自由な市民」であるという意識を植え付けられていく。
 やがて、「産業革命」は機械という人間労働の筋骨系要素の代替だけではなく、化学工業・電気工業など、人間労働の脈管系要素の代替としての分野にも浸透した。そしていま、「産業革命」は人間労働の脳神経系の代替である知的情報の分野まで浸透した。これで人間労働に置き換わる「道具」の成長は人間労働のすべての領域にまで進出したことになる。
  知的情報分野を受け持つ頭脳労働の分業種においては高度な頭脳労働者たちによってハイテクや人工知能の開発が進められ、通常レベルの頭脳労働者の領域にまで浸透する。AIロボットは賃金も要らず、重労働にも文句一つ言わない、しかも資本家にとっては人間の労働者より格段に「優秀な」道具として機能する。そして「自由な市民」であるはずの頭脳労働者たちもこの「産業革命」によって放逐され始めた。そのため、彼らは「AIが人間を支配する社会がやってくる」という恐怖に怯えはじめた。そのハイテクやAIの背後に、最初から自分たちを「知的道具」として用いている支配者たちがいることを忘れて。
 しかしこの「革命」を推進する資本家たちは資本が成長できるためには「生きた労働」が必要であることを忘れている。AIロボットなどの労働手段は過去の人間労働が対象化されものであり、それを用いて労働する人間の労働者によってうみだされる生産物に価値の一部を移転するのみである。新しい価値は人間の「生きた労働」だけが生み出すのである。
  だからやがてAIロボットがすべての労働を行うようになれば一方で資本家は労働賃金を支払う必要がなくなるが、他方で同時に、新たな価値は生み出せなくなる。つまり資本家は財を築けなくなるのだ。あり得ないことだが、たとえ放逐された労働者が努力の結果すべて資本家になれたとしても同じ事である。
 確かにハイテクやAIは人類に新たな可能性を生み出した。しかしそれはこうした「賃労働と資本」という生産関係で成り立つ社会ではまず資本の成長のために労働を「合理化」し安い労働を確保する手段としてその開発された。その結果人類にとっての新たな可能性を生み出したがこれは資本主義社会にとって、いわば副産物にすぎない。
 AIやハイテクが本当に人類にとって普遍的な意義を発揮できるためには、それが「人間労働の代替」としてではなく、「人間労働の延長」として位置づけられなければならないはずだ。それには、労働者を利益獲得の道具にしてしまう一握りの資本家のためではなく、働くすべての人々にとっての共通の目的に沿った「道具」として用いられ得るような社会的条件がなければならない。
 人類は所詮、物質的自然の一部であって、それ以上でもそれ以下でもない。大自然の時空の中で物質代謝の一環を人類の生活が分担しているに過ぎないのに、まるで自分たちが「物質製造株式会社」の社長として自然界を支配しているかのように振る舞う資本家たちはまさに近代文明の権力者としての醜いおごりだろう。しかしそのおごりもこのまま行けば、まもなく自ら生み出した「道具」であるAIに逆襲されることになるだろう。
(続く)

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