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2018年11月30日 (金)

「超富裕層」による慈善団体への寄付行為とは何だろう?

 マイクロソフトのビル・ゲーツやフェースブックのザッカーバーグなどの世界的億万長者が慈善団体に私財の多くを寄付している。お金持ちはそれ相応に社会に寄与するべきだという考えからだろうか?それとも自分たちがあこぎな儲け主義者ではない「善良な市民」であるということを証明したいからだろうか?

 どちらにしてもアメリカ的「自助努力」の精神からいえば、能力ある者はその能力に応じて事業を成功させ、お金持ちになることが当然だという思想があり、お金持ちになれば、それなりに世の中のために貢献するのは当然だという思想があるだろう。確かに会社のカネをかすめとって自分のための報酬にしてしまうゴーンのような人物よりいくらか「善良」かもしれない。
 しかしここに大きな落とし穴がある。それはこれらの「超富裕層」が稼いだお金は、彼ら自身の労働が生みだした価値では決してなく、元はといえば彼の所有する企業で雇用された多くの労働者たちが生みだした価値である。
  経営主の行った「労働」といえば、それら多くの労働者が生みだす価値の大半である剰余価値部分を如何にして多く無償で(つまり搾取行為を「合法化」して)獲得し、如何にしてそれを自分の企業の所有物として大量に市場に売りに出し、できうる限りの利益を得るか、という事に関する戦略や戦術を巡らす「頭脳労働」である。これが世間では「経営能力」とか「企業ガバナンス」とか言われる能力である。
 彼らはそれを自分の「経営力」つまり「お金を稼ぎ出す手腕」として位置づけ、その「能力と努力」のおかげで自分の企業に雇用している従業員が「豊かな生活」をしていられるのだと考え、したがってそれに相応しい「報酬」をもらって当然だ、と結論づける。
 そしてその法外な「報酬」によって築き上げられた財産はどんなに個人的な贅沢三昧をしても使い切れないので、慈善団体に寄付して世の中から「偉い人」と思われたいのだろう。
 その中にはトランプのように政治的野心をもって、カネにものを言わせて大統領にまでのし上がる者もいる。
 そこで考えてみよう。こうした超富裕層の稼ぎ出したとされる巨額の資産は、本来はその価値の源である労働を提供した労働者たちのものである。しかしそれはむしろ労働者諸個人の所有物ではなく、すべての労働者たちが協働して生みだした価値であり、その意味では社会的富であるはずだ。
  もちろん労働者自身の生活を営むために必要な資財は個人的所有であり個人的に消費されるべきものである。しかし、それを超えた額の価値、つまり剰余価値部分はそのまま社会の共有財となるべきものである。そしてそれはあらゆる社会的事業、例えば社会保障やインフラ建設整備、医療、教育などに使われるべきものである。
 しかしいまの資本主義社会(剰余価値の不当な搾取を合法化している社会)においては、この巨額の社会的共有財にあたる部分を一握りの超富裕層たちが私有化しているので、これを労働者たちからの税金として徴収してまかなっているのである。つまり労働者階級はこうして社会的共通費に当たる部分を不当にも二重取りされているのである。
 超富裕層の人たちはそれを個人の財産として(不当に)獲得しておいてから、今度はさも善良そうな顔をして慈善団体などに寄付するのである。だからそんな連中を「偉い人」などと思うのは大間違いである。

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