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2018年12月28日 (金)

「市場経済原理」の根本問題について考える (その10) 修正版

 最後にもう一つ重要なことが抜け落ちていたので追加する。それは、人は私的所有欲がなくなれば、自らすすんで何かをやりたいと思わなくなるのではないかという疑問だ。莫大な私財を築き上げた資本家は何でも欲しいものが手に入るようになることが人生最大の目標であり、あらゆる「ビジネスチャンス」を見逃さず「成功」を手にした人物であろう。
 資本家が「社会のため」と言いつつ、このような私的所有欲や名誉欲が原動力であることは誰でも知っているが、労働者も資本家企業からもらった給料で「消費者」として商品を買って自分のものにする所有欲が生きる意味の様になっているのを見ると、人間がこの私的所有欲から解放されるのは並大抵のことではないかもしれない。
 しかし、「モノやカネや権力を持つこと」と、自分の「人生における自己実現」とは常に同じわけではない。
 結論から言えば、前者は後者の疎外形態であるといえるだろう。言い方を変えれば「やりたいことを実現させること」は人類に普遍的な欲求といえるだろうが、「モノやカネや権力を持つこと」はその特殊に歴史的な、つまり人類史においてある特殊な時代である資本主義社会に特有な形態であるといえる。
 「モノやカネや権力を持つこと」が「人生における自己実現」であるような社会は、私的個人と社会が所有形態の上で対立した状態にあり真の意味での「共同体」ではないともいえる。個人の生活を成り立たせている消費財への私的所有欲という当然の欲求が、社会的剰余生産物が増大するにつれて私的個人によるその独占的あるいは排他的所有という形を生み、その独占的排他的所有への欲求が社会的に必要なモノへの支配を目指すようになれば、それを基板として登場した社会は、社会的に必要なモノが諸個人とは対立した形態で存在することになる。個人の生活に必要な所有と共同体に必要な共有財の私的占有との対立が個人と社会におけるこうした矛盾の両極形態となっているのである。
 だから個人が自己主張を強めれば社会と対立し、自己主張を遠慮すれば否応なしに全体社会に呑み込まれてしまう。そういう社会としての対立的矛盾が常に内在しているのだ。
 その対立的矛盾こそがますます人格化された資本の私的所有欲を掻き立て、資本の蓄積を促し、その疎外された意識の対象化され物化された形態である「資本」が社会を支配を強化させることになるのだ。
 自己が個でありながら同時に共同体的(社会的)存在でもあるという共同体に必須な厳然たる真理が矛盾なく存在するためには、社会的所有という形での人間の存在のあり方そのものが変革されねばならないだろう。本来マルクスの目指していた社会主義はそのようなものであったはずだ。
 しかしそれを目指した社会(ロシア革命でもたらされた社会)がその過程での過渡期社会において生みだしてしまったのが、いわゆる「スターリン主義的社会」である。そこでは、党と「国家」が資本家的支配に代わって労働者階級を支配するようになり、完全なトップダウン体制が出来上がり、諸個人の私的所有は政治的に圧殺された。そこに生まれた社会は資本主義よりはるかに「自由」のない社会であった。これはいうなれば「過渡期社会の疎外形態」であるといえるだろう。そしてその矛盾が完全に行き詰まったところで、その打開策として歴史を逆行して「市場原理」を導入したのがいまの中国である。
 ここでは党・国家による労働者階級への独裁的支配のもとで、労働力商品としての「やる気」を持つことが宣揚され、巨大な人口の労働者たちの「疎外された私的所有欲」による莫大なエネルギーとそれを誘導統括する強力な国家権力によって資本主義陣営よりはるかに急速に「経済成長」(資本の集中化)したのだ。これも「過渡期社会の疎外形態」のソ連型とは別な形態といえるだろう。
 私たちは私的所有を人間的欲求の基盤とする資本主義社会のもつ特有な矛盾がもっとも顕著に表れる「市場経済原理」のもとで、自らは「自由な個人」という意識を持たされていてもそれが知らぬ間に「市場原理」に支配された意識になってしまっているという事実を知るべきである。そしていまそこから脱出するための「手立て」と「目指すべき方向」の再確認を必要とする時期なのだと思う。
(以上)

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