フランス「黄色いベスト運動」と1968年「パリ5月革命」との違い
いまフランスではマクロン政権下で燃料税引き上げに対する民衆の反対運動「黄色いベスト」運動が盛り上がっている。一昨日にはパリでのデモの一部が暴徒化しメインストリートや凱旋門などで破壊行為をを働いた。マクロンはアルゼンチンでのG20から帰国して非常事態宣言を出すかどうか検討中とのことだ。
この事件を見てまず思い出すのが1968年当時のフランスでの反体制運動だ。パリを中心として多くの学生や民衆がデモに参加し、一時は暴動となった。そして当時日本でも学生運動が盛り上がり、東京周辺を初めとして各地で大規模な学生や民衆によるデモや抗議活動が起きた。当時大学院を修了して大学の助手になっていた私もこの運動の渦中にあった。
そこで考えるのはこの半世紀の間にこうした民衆の反体制運動がどう変わったかである。まず一つは1968年当時はフランスでも日本でもデモの主導役は学生であった。パリ・カルチエラタンでの学生と官憲との闘いはすさまじいものであったし、東京でも東大、早稲田、明大、日大、などの学生が中心的存在だった。しかし、いまの「黄色いベスト」運動の主体は一般市民であるようだ。
1968年当時はフランスでも日本でも大学生はいわばエリート層に属する中産階級出身が多く、いわば「プチブル・インテリ」の若者たちの「自己否定」的側面が強かった。そこには「一般市民」と学生達の間の意識の乖離があった。それがやがて過激化して行き詰まり、全体としては学生達の「体制」への屈服と同化という形での運動の終息化の要因があったように思える。
しかしいまの「黄色いベスト」運動ではむしろ生活苦にあえぐ民衆、その中には多くの労働者階級や大衆化した大学の教育を受けて労働者階級となったが貧困から脱出できない学生たちが多く混じっているように思える。つまりいまの大学生たちは大衆化した大学を出ても一般労働者と同様な生活苦が待っており、そこに「エリート意識」など入る隙間がないのである。
見方を変えれば、いまではエリートが「一握りの恵まれた人たち」となって、民衆からはさらに遠い存在となり、そのエリートたちが「民主主義」を唱えて体制を維持しているからだ。つまり支配階級が「民主主義」を唱える中で、現実の社会格差の溝が半世紀の間にさらに拡がってということだ。形だけの「民主政治」の中で置いて行かれた大多数の労働者階級を中心とした人々の反発は高まる一方である。
エリートであるマクロンが「彼らと話し合う用意があるから代表をよこせ」と言っているようだが、デモ参加者は「オレたちは一人一人の市民であって代表なんかいない」といってこれに拒否反応を示していることにそれが象徴的に現れている。
一方でこうした反体制運動自体が統制の取れた組織的運動ではないのだ。
これは日本でも「SEALs」などに似た現象があるように思う。かつての学生運動が必ずしも「民主的組織」による運動ではなく一部エリートの先鋭化し過激化した指導部による運動、というイメージが残っていて、その反発としていまの市民運動はより自然発生的な面を重要視しているのだろう。
しかし、本当にそれで良いのだろうか?「自然発生的」デモは、ここ十数年のインターネットの普及による「ネット社会化」によってすぐに誰かの呼びかけに応じて多くの人たちが集まる傾向が強くなった。「アラブの春」や「雨傘運動」など近年の政治的デモはほとんどそうだ。そして周知のようにそれらの運動は強圧的体制のもとですぐに崩壊し、例えばシリア内戦のような悲劇的結果を招いている。
ほんとうに民衆の怒りをくみ上げ、その根底にある本質的問題をキチンと掘り起こし、しっかりした戦略と戦術を立てて闘わない限りこうした民衆運動によって示された社会的危機の本質はあいまいにされ、混乱や悲劇を生むこととなり、決して解決され得ないだろう。
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