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2018年12月20日 (木)

「市場経済原理」の根本問題について考える (その7)

 私的所有を前提とする商品市場の「レッセフェール」による無政府的合理性を旨とする資本主義市場経済原理が破綻し、「国家独占資本主義」という国家介入型資本主義が導入されたにも拘わらず、その矛盾から再び「新・自由主義経済」なる形に戻った現代の資本主義経済は、当然のことながら何ら「市場経済原理」の基本的矛盾を超えることはできていない。
 しかしその矛盾を本質的に超えることが出来るはずの社会主義経済も旧ソ連時代に破綻した。そしてその破綻を「市場経済原理」の導入で乗り切り、党・国家主導型資本主義経済体制になったのがいまの中国である。
 それでは本来の社会主義経済が目指していたものはどのような経済体制なのか、このことについてはマルクスもほとんど記述を残していない。「ゴータ綱領批判」での「労働証紙制」など断片的な記述しかない。
 しかしまず考えねばならないことは、労働者階級が主導権を握った社会では、社会的な労働の目的は単なる「際限ない私的財産の増殖・蓄積のための手段」や「労働力を再生産するのに必要最低限度の生活」ではなく、労働者諸個人の充実した生活の維持と発展を前提として、その主体的労働を通じて自分の社会的存在意義を表現し確認しうることにあるのだと思う。自分はこの社会で何のために存在し、何のために働き、この社会に生きることがどういう意味があるのかを労働を通じて表現し確認するができる社会である。
 こうした生き方を確保して行くために必要な生産手段(社会的に必要なモノを生みだす労働に必要な手段)は個人の私的所有物ではなく、社会的共有であるべきなのは明らかである。
 ここで重要なことは、「社会的共有」イコール「国家所有」ではないということである。「国家所有」とは一国社会主義を奉じる支配階級としての党官僚たちのカテゴリーであり、労働者階級の視点ではあり得ない。このことへの誤解を乗り越えることが必須である。
 なぜなら、労働過程は個人としての労働者自身による「表現手段」であるが、それは同時に社会的に必要な労働であるから、そこに用いられる手段は当然社会的に必要な手段でもあり、労働者自身の主体的労働過程の従属物(客体的手段)でありながら彼個人の私有物ではあり得ないからである。
 もし生産手段が彼の個人的私有物であれば、それは社会的共有を前提とした共同体から切り離され、個人的欲求達成の手段となり、小規模な職人的労働や芸術表現ならまだしも、高度に発展した生産技術を用いる生産体制であるならば、やがてその生産物への私的所有と社会的所有の対立へと発展し、資本主義の矛盾を再生させることになる。
 資本主義社会は個人的富の蓄積を基本動機として発展してきた社会であり、そこでは高度な生産技術と科学技術を生みだしたが、それは私的所有の増大(私的企業の利益増大)のために社会的に必要な生産をその手段とするという形で発展してきたためにとんでもない矛盾に突き当たってしまったことはすでに歴史が証明している。
 社会主義社会はその目的と手段が逆立ちした矛盾を正立させることによって克服し、人類本来の社会的生産活動を実現させようとする社会である。
 そしてこのように、生産手段の社会的共有化を前提とした上で、「協働」による共同体社会を維持発展させて行くために必要不可欠な問題、つまり、病気や怪我など何らかの原因で通常の労働ができなくなった人たちや、高齢でリタイアした労働者への生活保障、必ず襲ってくる自然災害への備え、そして今後の社会発展に必要なインフラや宇宙開発などのために必要な社会的共通財を維持・蓄積していくことであろう。これらと生産手段をまとめて「社会共通財」と呼べば、社会主義社会は、「個人生活に必要な消費財」と「社会共通財」という2種類のカテゴリーの社会的生産物の生産と消費の繰り返しによって成り立つと考えてよいだろう。
 このように社会主義社会は「協働」による共同社会であり、そこで生産される生産物は、その社会的に必要な労働の総量(総労働時間)のうち、自分の行った労働がその中でどの位の量的比率をしめているか、つまりどの位の時間労働したかによって、それに応じた生産物の量を分配されることになる。そこではもう資本価値の表象としての貨幣は不要であり、生産物の分配には「労働証紙」とも呼ばれる労働時間証明書(ポイントカードの様なものと考えて良いだろう)を媒介として行われる様になるだろう。
 そこで次に必要なことは、この大きく分けて2つの種類の社会的生産物(生産手段を含む社会共通財と個人的生活手段)がどのように生産・流通され社会的な再生産を維持発展させて行くのか、という問題である。
 ここで必要なのは、マルクスの資本論第2巻、第3編「社会的総資本の再生産と流通」に述べられている「再生産表式」についての考察である。
 次にこれについて考えてみようと思う。
(続く)

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