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2018年12月16日 (日)

「市場経済原理」の根本問題について考える(その4)修正版

 これまでに述べたように、社会的生産活動が私的所有を前提とした商品市場を通じて行われるということによって、「市場経済原理」においては、たえずアンコントローラブルな市場での需要と供給の動向に左右され、それが経済活動を規定する最大の要因となる。
 まず、人々の生活に必要な消費財における商品市場では、労働賃金を主体とした人々のいわゆる「所得」が商品を購入するためにどれだけ余裕があるかによって、いわゆる個人消費市場の動向が左右される。
 次に、それら生活消費財を生産する生産手段商品(機械・設備や原材料など)の市場では、当然これら生活消費財市場の動きに左右される。
 そして最後に、労働力市場では、労働力商品の需要と供給の関係で、資本家の生産活動に必要な労働力が足りなければ、労働賃金を上げて、つまり労働力商品を高値で買わねば労働力が獲得できなくなるし、過剰になれば、人員整理などによる「人手減らし」が必要となり、賃金は最低限度までどんどん落ち込む。
 このほかに、金融市場というのがあって、これは資本家たちが獲得した剰余価値をいかにうまく回転させることで効率よく増やして行けるかという目的から発展してきた市場である。そこでは有価証券などの売り買いで価値が増殖したように見える(実際の価値増殖は生産的労働の場でしか行われ得ない)ので、経済活動への影響が大きくなる。
 資本家たちにとってはこれらすべての商品市場は私的な富の増殖と蓄積のための手段であるが、労働者たちにとっては、自らが日々生きるために必要な生活手段を、労働力という商品を売ることで確保することしかできない市場なのである。
 これらの商品市場でいかに多くの利益を獲得できるかが資本家達の唯一の関心事であって、これらのどの分野に自分の私財を投資するのが有利かを彼らは常に「自由に」考えて行動する。そのため、私的利害のみに目が向いている資本家同士の競争(自由競争)が互いに衝突し合い、社会全体としては経済危機をもたらすことも多い。
 そこで資本家代表政府は、これを全体として、つまり総資本の立場で調整するために、労働賃金をできるだけ上げて生活消費財商品の売れ行きを良くし、そのために必要な生産手段商品の市場もそれにつれて需要が高まり、金融市場も活気づく、という知識(ブルジョア経済学者たちによる)から、個別資本家たちに労働賃金を上げさせようとするが、各資本家企業においては、市場での競争をにらみ、できうる限りの「経費削減」をしなければならないので、労働賃金はできうる限り上げないようにする。
 その代わり、少なくとも生産性が高まる様に設備の「合理化」を行う。AIやロボットの導入による生産の自動化などである。そのために設備投資は増えるが、賃上げしなくてすむ分、労働賃金への投資は減る。
 「合理化」の対象となって解雇された労働者は困難な生活に追いやられるが、運良く生き残った労働者は、賃金は上がらないが、合理化された生産でコストを削減された生活消費財商品を買うことができるようになるので、ひとまず生活は維持できる。
 しかし、資本家は困ったことに雇用する労働者数が減れば減るほど、同じ生産量ではそこから得る剰余価値の量が減っていくことになるので、コスト削減した商品をより大量に販売しないとやっていけなくなる。すると商品市場は供給過剰になって売れ行きがダウンする、という悪循環に陥ることになる。
 そこであの手この手を使って利益を増やそうとするのだが、そのもっとも単純な方法は、労働者階級の購買欲を刺激し、生活資料商品の購買増を促すことで商品市場の回転率を高めることである。だから猛烈な宣伝合戦やモデルチェンジがつねに行われる(デザイナーはそのために必要な頭脳労働者である)。
 さらに資本家が採る方法は、国内市場に頼らず、海外の市場を開拓することである。商品の輸出によって海外での購買増を促し、それと同時に、生産コスト削減のため海外の安い労働力による生産を考え、海外に生産拠点を移す。その方が国内での生産合理化よりはるかに安いコストで、多くの剰余価値を獲得できる(つまりより多くの低賃金労働者を使って剰余価値量を増やせる)からだ。
 こうして国内の生産拠点が縮小し、その分労働者は解雇されるか、あるいはクビにならなくとも販売部門やサービス部門などに配置転換される。
 こうしてある程度の「雇用」は維持されるかもしれないが、社会的分業種の構成は「ものづくり型」から直接価値を生みださない「サービス業型」に変貌して行く。
 そこで他の国々の労働者たちが生みだした莫大な剰余価値を獲得するのはそれに投資した資本家たちであり、国内の労働者たちは資本家階級の経営を補佐分担する形の労働など(販売部門、金融機関など)でいわばその「おこぼれ」を頂戴するか、観光業やサービス業など非生産部門での労働に従事し、そこで海外や国内の「富裕層」や比較的余裕のある労働者へのリフレッシュのために行う労働で彼らが「顧客」として落としていくオカネを頂いて生活しなければならなくなる。
 つまり産業の「寄生化」であり、労働の「寄生化」である。この非生産部門が多くの非生産的労働により利益を上げている間、むしろ人手不足となっていくことさえある。
 その一方で高学歴化した労働者たちからは、社会インフラの建設やメンテ、そして農業などのキツイ・キタナイ労働(3K労働)は嫌われ、そこに新たな労働力が社会的に必要となる。
 そこで資本家階級代表政府としては3K労働も厭わずやってくれる海外からの労働者を導入しようという話になっていく。しかしそれらの海外労働者はこうしたインフラ、メンテ、農業などの分野で稼ぐ資本家企業で低賃金労働者として雇用され、それらの企業がこれによって利益を獲得していく。
 こうして資本家達の利益は順調に増えて行くが、労働者階級の生活は不安定で寄生的なものとなり、若い労働者やその予備軍たちは、仕事において生きがいを感じることができず、スマホの「仮想現実」の世界に逃げ込むことでその不安から少しでも逃れようとする。こうして労働者たちは活力ある階級意識を失い、「親方日の丸」的な意識になって行き、「資本家代表政府」への支持率は維持される。
 しかし、こうした「市場経済原理」の矛盾はいつか必ず何らかの形でドラスティックに爆発するのである。
(続く)

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