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2018年12月 7日 (金)

「市場経済原理」の根本問題について考える (その1)修正版

 このところカリスマ的グローバル企業経営者カルロス・ゴーンの収入詐称問題や、GAFAなどのグローバル企業の「脱税」問題、そしてグローバル市場が拡大するにつれて拡がる世界的な社会格差の問題など、グローバル化した「市場経済」に関する問題がどんどん浮上してきている。  この問題について今朝の朝日新聞「異論のススメ」欄で佐伯啓思氏は、いまの市場経済には倫理観や道徳観がなく、アメリカ的な自由競争、自己責任、法の尊重(法に触れなければ何をしても良い)、能力主義、数値主義などがグローバル・スタンダード化し、短期間で業績を上昇させる経営者が、そのために採った手法の如何に関わらずカリスマとして祭り上げられ、法外な報酬を要求しても当然として認められる、と指摘している。  その上で佐伯氏は、自由経済主義者アダム・スミスは一方では道徳や倫理を重要視していた、各国にそれぞれの歴史の中で堆積されてきた価値観や常識の中にある「緩やかな道徳観念」があり、企業も市場もこうした自分たちの常識に基づいているべきだ、と主張している。いかにも朝日御用達の保守派らしい意見である。  いまの「グローバル市場経済」は、実はスミスの時代から急速に発展してきた資本主義経済体制の、いわば必然的結果であって、その過程で、自分の努力で商売をしていくらカネを儲けるのも個人の自由であって、その「自由な個人」同士での競争に勝った者が莫大な財を築いても誰も文句は言えない、という原則が貫かれてきた結果である。    その「自由競争」の過程で、勝った者が「能力のある者」であって、「能力のない者」は「能力のある者」の元で雇用され、労働力を酷使され、もらった賃金よって生活することで労働力を維持させ、実際にはその賃金分よりはるかに多く生みだされたその労働の成果を雇用者が無償で獲得し、それを私有化(企業による私有化)した上で市場において競争相手に勝つために闘うことになり、こうした目的に役立つ人間が「能力のある者」と見做されるような社会になっていったのである。  社会全体の業種がこのような形で生産活動や商売を続け行くことで社会全体が「経済成長」し、国際市場に進出して行く。こうした社会では当然その欲望のままに動く者は他者を手段として用いるし、「先進資本主義国」とそうでない国との間もそのような関係となるため、そこに人間関係や国同士の関係としての軋轢や衝突が生じ、それによる人々の不満の爆発を防ぐため「社会秩序維持」のため何らかの法的規制や国際法が必要になる。  こうした社会では「能力ある者」の経営する企業に雇用された従業員は経営者が稼いでくれるおかげでその「おこぼれ」に与り、何とか無事に生活できているという感覚を持つようになる。したがって彼らは経営者が業績向上のために大胆な人員削減を行っても、それによって解雇された仲間は「能力がなかった者」であり、残された自分たちは「能力を認められた者」としてそのおこぼれを頂くのは当然だ、という感覚を持つようになる。だから「低賃金国」の労働者が自分の所属する企業のカリスマ経営者のもとで如何に過酷な労働をさせられ、その犠牲によって彼らよりいくらかましな賃金が可能となっているという事実にも無関心で居られる。   これがあこぎな経営者をカリスマとして祭り上げる社会風潮を生みだし、社会常識化する。  世の中の「社会常識」がこうして形成されるのであって、そこでは従来積み重ねられてきた伝統的倫理や道徳観などはもはや古くなって捨て去られざるを得なくなる。社会常識とはそういうものであり、こうして現在の社会体制を築いている経済的土台の持つ論理や倫理が社会常識となっていくのだ。   だからこうした問題に伝統的社会常識や倫理を対置してみても全く意味がないといえる。むしろ新しく登場した社会常識や倫理の根拠となっている社会の土台の仕組み自体がもっている本質的矛盾に切り込まねばならないはずだ。 (続く)

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