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2018年3月4日 - 2018年3月10日

2018年3月 9日 (金)

過剰資本の「不生産的処理」で維持される資本主義体制のもたらす諸結果(2)

 こうして労働者階級の内部は上層と下層に分断され、互いに対立する関係となっていった。上層部の労働者は資本家階級に抱き込まれ、非正規雇用を中心とした下層労働者は連帯の基盤となる組織も思想も失いバラバラに孤立した現代版「ルンプロ」になっていった。

 この労働者階級の分断と「格差拡大」の背景には、労働賃金に上積み(va+vmとして)される資本家の利潤の一部(vm)の必要最低限度の労働賃金部分(va)に対する割合(vm/va)の違いとして現れる。上層部の労働者はこれが高く、下層労働者は低い。

 そして実は上層の労働者にも下層への転落の危機は常にある。それはいわゆる「技術革新」や「流通革命」などによりこれまでの労働内容が不要になることがしばしば生じるからだ。例えば、様々な異なったデータから何か有意な要素や意味を読み取ろうとする高度な情報分析労働は、AI によるデータマイニング技術の発達により駆逐される。また国内の生鮮食品産地からの買い付けを巧みに操作して卸売価格を維持してきた仲買人は格安の外国産食材の大量輸入により職を失う、などなど挙げればきりがないのである。

 こうして下層に突き落とされた労働者はva部分のみの賃金で何とか生活を維持しなくてはならない。そこで100円ショップのような生活資料を格安で販売する資本家が登場する。この百均などで売られる格安商品は当面の役に立つがすぐダメになり廃棄されるようなものが多いが、それを生産する労働者(いわゆる「低賃金国」の労働者が大半である)はさらに低賃金の過酷な労働によって搾取されているのである。

 そして上層の労働者の生活を潤す、高額生活資料や奢侈品は、高級ブランド品や有名デザイナーがデザインした製品や工芸家の作品であったりする。これらの生産物を生み出すためには社会的平均労働時間をはるかに超えた製品、例えば伝統的手作りの製品とか、何ヶ月もかけて制作した作品などもあるが、多くは一般の工業製品と同様な生産方式で作られ、それが「有名ブランド」が付けられることによって驚くほど高価で売れるようになるものが多い、いわゆるブランド商品である。

  例えばグッチやイヴサンローランなどの衣服や装身具がブルガリアなどの低賃金労働者によって作られていることはよく知られている。つまり社会的平均労働量の支出を表す本当の価値は同じでもブランドが付くだけでそれが高価な価値を持ったかのような商品に変貌するのだ。これは価値が市場における需要供給のバランスで決まる価格としてしか表現されない資本主義経済特有の形態であり、「不生産的」領域の典型である。いずれにしても高額な賃金を獲得している労働者はこうした製品を購入するためにvm部分を支出する。そして生活意識の上でも彼らは資本家と区別が付かなくなっていく。

 さらにvm部分は、観光やレジャーなどにも大量に支出される。何十万もする海外旅行や豪華列車ツアーが人気を呼び、豪華ホテルなどでの行き届いたサービスを満喫する。そしてこの分野での「売り上げ」を大きく延ばす。またゲームソフトやアニメなどが一大産業となり、そこには親が比較的裕福な若者達が群がる。しかしまたほとんどvm部分にあずかれない下層労働者も住む家がなく安宿に泊まりながらスマホのゲームなどで孤独な生活に救いを求めることも多い。そうした産業は労働者階級の格差を包み込みながら発展していく「不生産的」分野である。

 しかしこうした「不生産的」産業は前に述べたように社会的再生産における「奢侈品」(IIb部分)として資本家が労働者への不払い労働で獲得した剰余価値(m部分)から支払われた貨幣で買われる商品であり、決してmを超えることのない(m>IIb)存在なのである。それが今日ではただ労働者階級の賃金の一部(vm)という仮の姿を以て労働者の手から支払われるに過ぎないのである。

 そして生活消費財商品以外のすべての労働者階級の日常生活そのものが「商品化」される。例えば、誕生と同時にベビー用品、育児用具やヘルパーさんの仕事が必要となりそれらはすべて商品化される。そして教育にかかる費用も莫大なものになる。将来労働力市場で高く売れる労働力を養うために労働者階級は労働賃金から多くの部分を子どもの教育費に支出しなければならないのだ。これはvm部分が多くない労働者には重くのしかかる。資本主義社会では社会を支える労働力の育成はほとんどすべて労働者個人の負担によってなされるのである。そしてそこにまた「教育産業」という特有の資本形態を生み出し、これが多額の利潤を上げる。

 さらにこうして一人前の労働者になっても、やがて結婚し、新しい生活を営む上で必要な住居が大きな負担となる。これは本来生活必需品として労働賃金のva部分に含まれるべきものであるが、それが驚くほど高額(そもそも人間の作ったものではなく価値のないはずの土地が高額な商品として売買されることがその要因である)で、賃貸住宅にしてもその月々の家賃は重くのしかかるし、持ち家とも成れば、長期ローンを組んで借金として労働賃金の何十年分までもが「先取り」されるのである。そして、この借金をやっと返済し終えたときにはこの労働者は定年を迎え、退職する。つまり生涯掛けて生活必要資料を購入するためにその労働者としての人生を送ったことになるのである。

 そして最後に老後の生活はわずかな年金をもとに残された時間を自分の失ってきた人生を取り戻すことに使われる。だがやがて老化する身体や頭脳は衰え、「要支援」の生活を余儀なくされる。そこに投入されるべき社会保障はもともと彼ら労働者階級が生み出した価値の一部(m 部分として)でありながら、それを十分に使うことさえままならず、政府や支配階級からは「カネを掛けても仕方のない」存在であり「早く逝って欲しい」存在として扱われるのである。

 これがいまの典型的な労働者階級の人生であり、それがまさに「賃金奴隷」であるということの証明である。

(続く)

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2018年3月 8日 (木)

過剰資本の「不生産的処理」で維持される資本主義体制のもたらす諸結果(1)

 前回まで4回に渡る連載投稿「過剰資本の不生産的消費に関する考察」で分析した資本主義経済体制がもたらす様々なその現実形態について考えてみよう。

 上記の分析で私はマルクスの社会的総生産における拡大再生産の条件というある意味で普遍的な観点に基づいて、それが現代の資本主義経済ではどのような形で行われているのかについて考察した。その結果は要約すれば次の様なものである。
 資本主義経済体制は、資本家が私有する生産手段の一部が生産過程で生産物に移転した価値部分(c)と、労働者が賃金と引き替えに資本家に売り渡し彼のための労働で消費する労働力を自ら再生産するために必要な生活資料の価値部分(v)を生み出す労働、およびそれを超えて行われる労働(不払い労働)が生み出し資本家の私的利潤となる価値部分(剰余価値: m)を含む労働が対象化(c+v+m)された商品の販売によって受け取った貨幣によって私的所有財産部分を増やしながら、同時に再び生産手段と労働力を購入することで生産を続け、拡大していくことができる体制になっているという資本主義経済のいわば基本形態が前提である。
 この体制は、しかし市場の流通を通じて資本家同士の「自由」で無政府的競争に勝ちながら利潤を拡大させていく過程で生産の「合理化」や労働時間の延長などによって、どんどん生産力を高めることとなり、やがて資本家の生産手段を生産的に消費できる限界を超えて生み出される過剰資本が蓄積され、これが拡大再生産を阻むことになるのである。
 この矛盾を乗り越えるために今の資本主義体制では、労働賃金部分(va)に資本家の私的利益の一部(vm)をv=va+vmとして忍び込ませ、それが労働者による生活消費財の消費を拡大させ、その回転を速めることで資本家にさらに多くの利潤(m')を獲得させていくという仕組みである。過剰資本をいわば過剰消費(不生産的消費 )によって「有効利用」する処理形態である。
 そこでこうした資本家の「おこぼれ」ともいうべき労働賃金に上乗せされたvm部分を受け取りそれを高額生活資料商品の購入や娯楽、レジャーなどに消費できる労働者階級が登場し、彼らは「豊かな中間層」と呼ばれるようになった。しかしこの「おこぼれ」はもともと決して労働者自身の私的財産として蓄積されるものではなく、絶えずそれを消費に回し資本家の手に大きくなって回収されるために資本家によって前貸しされた部分である。だからもともと「豊かな中間層」の消費生活は資本家の蓄財の手段であり、資本家達とその代表政府は、過剰消費のもたらす環境破壊や資源枯渇などにお構いなく、いつも「消費拡大」を叫び続けるのである。
  そしてあたかも「労働者の生活を豊かにするため」かのように言う賃上げやボーナスは、その前貸し金以上の利潤を資本家達が獲得するための手段に過ぎないのである。
 しかしこの「豊かな中間層」は、「個人の自由」を第一とし、労働者の権利をこうした個人生活の豊かさを保障するために行使することに終始し、あるときは「会社を護るため」資本家達とともに彼の競争相手に勝つために犠牲をいとわない。つまり自ら「支配的イデオロギー」の一環を担う存在になってしまった。
  そして肝心の「賃金奴隷」的存在としての本質から逃れ、自ら社会的生産活動の主体性と主導権を握るための階級的連帯と闘いを放棄してしまったのである。それが労働者階級の中にいわゆる「リベラル派」的な特有の思想状況を生み出した地盤であり、こうした地盤の上に出来たのが「連合」のような労働組合組織である。
 ところがこの資本主義体制は、その必然としてグローバルな資本家同士の競争を激化させ、そこではいわゆる「低賃金国」の労働力を獲得する激烈な競争が展開される。拡大再生産を続けるためには、労働賃金として支払われる労働力の再生産費(v)に対する剰余価値部分(m)の比率(m/v)が高くなる必要があるからである。
  この状況で、「低賃金国」で生産された安い生活資料商品が「先進諸国」に輸入され、それらの国々での生活必需品が一気に値下がりする。いわゆる「価格破壊」が起きる。すると一見、労働賃金が変わらなくても実質「可処分所得」は増える様に見える。したがってその「可処分所得」は高額消費財や娯楽、レジャーなどに回される。こうした「不生産的」産業領域に投資する資本家は莫大な利益を上げ、これらは市場での原理にしたがっていわば資本家階級全体として平均化されて各資本家を潤す。
  その増えた m' 部分は今度は、それでも過剰になる資本を「低賃金国」の労働者が消費する生活資料商品の市場に投資され、そこは低賃金労働の搾取の場であると同時に巨大な生活資料商品市場に変わっていく。その「低賃金国」の支配政権はこれを「経済成長」という。
 そして国内の労働者は「高賃金化」した生産的労働から徐々に排除され、「付加価値」を生み出す不生産的産業に吸収されていく。こうして例えば日本の「ものづくり」産業は衰退していったのだ。そして生産的労働の労働力商品市場では高度な頭脳労働によって労働市場で「高く売れる」労働力を持つ労働者のみが生き残っていく。
 こうして「中間層」の上層部と、そこから排除され下層に落ちていった労働者群の「格差」が増大する。下層に落ちた労働者達はその階級としての拠り所を失い、「ポピュリズム」や過激な思想に押し流されていく。
(続く)

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