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2018年3月18日 - 2018年3月24日

2018年3月22日 (木)

「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(3)修正版

 前回のY.Sさんからの指摘を読み直してみて、それに対する私の回答は必ずしもY.Sさんが指摘された問題への適切な対応ではなかったと反省している。Y.Sさんの指摘で重要と思われる要点を改めて列挙すれば以下の点ではないかと思われる。

(1)私が提起した「過剰資本の不生産的処理」の方法としての労働賃金への資本家の剰余価値の一部の追加(私はこれをvmとした)があるとすれば、資本家はそれに投資する際に利潤率が下がるにも拘わらずそのようなことをするのか?
(2)労働賃金の高低の差は、その労働力の養成費と労働力商品の市場価格として高低差(人手不足なら賃金が上がる)なのであって、それ以外の何物でもないのではないか?
(3)労働者へのサービス産業はある意味で消費生活の社会化なのではないか?
(4)ファミレス、居酒屋などに関してそこに資本が参入するのは労働者の需要がある以上否定できないのではないか?
 そしてY.Sさんの指摘には直接はなかったが、その指摘の背景にある疑問、つまり実際に資本家に利潤を生み出している以上、それを「不生産的処理」と言えるのか?という疑問があるように思われる。
 これらについてもう一度キチンとした答えが必要であると考えるが、いずれもかなり高度な問題であって、私の提起が基本的に誤りであるかどうかを含めてもう少し検討したいと思う。
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 そこでその前にまず、先日「資本論を読む会」でM.Mさんからもらった資料(越村信三郎著「図解資本論」の一部と大谷禎之介著「図解社会経済学」の一部 )を読み、そこに書かれてあるマルクスの拡大再生産論に関する指摘などを改めて読み直してみた。
 マルクスが資本の蓄積が始まり社会的総資本の拡大再生産が進むための必要条件について述べられており、それは生産力が高まり、資本構成(c/v)が高度化しても過剰資本を生み出さずに社会的に拡大再生産を進めるためには、I(v+v'+m')=II(c+c')という均衡が保たれなければならないということが指摘されている(ここでv'は蓄積された資本のうちからv部分に追加された部分でありm'は資本家の利潤に追加された部分、c'は生産手段に追加された部分である。)。つまり I(v+m)>IIcという拡大再生産の表式は I(v+v'+m')=II(c+c')が成り立たないと破綻なく進まないということであり、蓄積された資本のうち再生産に投じられる追加部分の各部門への価値構成は、単純再生産の条件である I(v'+m')=IIc'を充たさなければならないということであると私は理解した。
 もしこの均衡が崩れればそこには資本の過剰が生じ、恐慌というリスクが待ち構えていると考えて良いだろう。もちろん恐慌が何故起きるのか、に関しては単に過剰な生産物だけが原因ではなくもっと様々な要素が考えられなければならないのであるが、それについてはここでは触れないことにする。
 とりあえず、このようなマルクスの指摘については私の指摘の中では触れてこなかったし、それへの曖昧で即時的な認識が「vmのvへの追加」という言い方になっていたように思う。Y.S さんの指摘の(1)に関しては、この辺の私の認識の浅ささがあったように思う。
 要はこれが直ちに「過剰資本の不生産的処理」とは言えないということであって、
この追加資本がI(v'+m')=IIc'という関係を保ちながら社会的総資本がI(v+m)>IIcを実現しえなくなった時に過剰資本が生じ、それが資本主義体制全体を圧迫しその拡大を妨げるようになったときに、初めてこれを「不生産的に処理」する必要が出てきたということである。
 この辺は今少し深く考えてみないといけない問題なので、少し時間を頂きたいと思う。しかし
これに対する異論や反論がその前にあれば、 もちろん ウエルカムである。
(アンダーライン部分を修正)

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2018年3月19日 (月)

「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(2)

このY.Sさんからのメールへの野口からの返信です。

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Y.S さん
 ご指摘に対する私からの回答を以下の添付書類で送りました。
よろしくお願いします。
野口尚孝
(以下添付書類)
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Y.S 様
 私の「過剰資本の不生産的処理についての考察」へのコメントありがとうございました。
ご指摘の件ですが、まず問題になるのは「過剰資本」とは何か、ということですが、これを私は、資本家にとって追加資本を投資してもそれに見合う利潤が得られなくなった状態の資本を指すと考えています。蓄積される資本が利潤を生み出せなくなっていくことは、資本の回転がうまく行っていないということでもあるので、資本家は何とか回転を速めて利潤を取り戻そうとすると思います。放っておけば過剰資本は蓄積を無意味な存在と化し、やがて回転を止め「恐慌状態」となるからです。
 しかし現代の資本主義体制があの1930年代の大恐慌時代を経て、その後その生産力が高度化していくにも拘わらず、外見上この過剰状態を示さず、資本家に利潤を与え続けているのは何故か?という疑問が次の問題です。
 大内は「国家独占資本主義」の中でその疑問に対し、それが大量消費という状況を生み出し、そこで過剰資本を不生産的に消費させるシステムができあがってからだと言っているのですが、国家が中央銀行を媒介とした金融政策で貨幣を増刷し、流通貨幣量を増やすことで資本の回転を上げ、これを推進していることを指摘していますが、それ以上のことは言っていません。
 私はこの大内の把握は基本的には正しいと思っています。しかし、これをもう少し理論的に整理できないか考えていました。そこでとりあえず、マルクスの社会的総資本の再生産表式によって説明できるのではないかと考えたのが、前述のブログです。I(v+m)>IIc という拡大再生産表式が保たれなければ資本の蓄積は生産的に増加しないので(恐慌の場合はこれが保たれなくなる)、過剰生産状態であってもこの表式が成り立つ様な状態を維持しているのだと考えました。つまり過剰生産を過剰でなくするためにそれを不生産的に使わなければならない状態に陥っていると解釈しました。そうなるとI(v+m)>IIcにおいて生産的資本として用いられるcやv部分ではなくm 部分が増加するしかないと考えたのです。つまり資本家の利潤の一部として自分のために消費する部分を生産的資本として追加するためにはそれを不生産的に消費する分野に投じるしかないと考えました。
それがmの一部をvに忍び込ませて労働者階級の消費欲を掻き立ててII 部門の資本家による生活消費財商品の回転を速めることでそこに利潤を生み出し、それを生産手段部門の資本家にも分配することで全体としてI(v+m)>IIcを保たせる、のだろうと考えました。
 Y.S さんのご指摘のように、実際の労働賃金の高低の差は労働力の養成費の違いであるとともに、労働力市場での労働力の「価格」の違いでもあるのですが、いわゆる「最低賃金」という概念からすると労働者が生活を維持しながら資本家の求める労働力の再生産ができるための最低の水準がvに当たるのではないかと思います。それ以上の部分はむしろ本来資本家にとっては本来は無駄な出費であり、「不生産的要素」であると考えるでしょう。
 しかしそれが資本家にとって「無駄な出費」ではなく、間接的に利益をもたらすためには本来のm部分の一部をvに追加するという方法を考えたのだと思います。従ってまずこのとらえ方が基本的に間違っているかどうかが問題ですね。
 次に、ご指摘の「過剰生産が現代資本主義に恒常的に存在するものではないのでは?」という問題ですが、確かに投資すべき資本は中央銀行のオーバーローンで拡大し、資本家達はそれによって莫大な利益を獲得しているのですが、それが何に投資されているかが問題です。クルマや高額家電製品の生産に投資されてきた資本は確かに労働者階級の生活を一見豊にしてしてきたように見えますが、それは同時にそれらが生み出す廃棄物による環境汚染やエネルギー消費の爆発的増加による資源枯渇問題などを必然的に起こしてきました。これはいわばアンコントローラブルな社会的消費(私はこれを過剰な消費と呼んでいます)の拡大がもたらす必然的結果です。
「IT革命」にしてもこれがもたらすさまざまな社会的弊害の面をも見なければならないと思います。
 いまやそうしたアンコントローラブルな過剰消費が「先進資本主義国」では飽和状態になり、同時に地球的規模での環境問題・資源問題などが大きく立ちふさがってきたために資本は過剰資本を再び処理しきれなくなってきているのではないでしょうか?
 最後にサービス産業の拡大についてですが、企業のいわゆる「アウトソーシング」は私はサービス産業の拡大ではないと思います。それは現代資本主義に特有の分業形態の進展だと思いますし、それはもともと資本の生産性を高める目的で行われるものです。また医療、教育。保育、介護などはむしろ本来社会的に必須な労働分野であってそこには労働者自身が生み出した剰余価値部分が彼らのために当てられなければならないのだと思いますが、それを資本家階級が私的財産と化しているので、労働者が賃金の一部を税金として支払い、そこから政府がこうした事業に支出し、新たな資本家企業として成り立つ様支援しているのだと思います。結局この分野もあらたな労働の搾取を生み出しているのです。これは直接には生産的分野ではないにしても間接的には生産的労働を補助する部分といえるのではないでしょうか?
 ファミレス、や居酒屋などは、労働力のリフレッシュに必要な部門といえるでしょうが、これはあきらかに不生産的消費部門だと思います。たしかにこれらは一旦投資された後はサービス労働を搾取しながら利潤を確保しているわけですが、その投資は生産的資本に転化されるものではなく、いわば不生産的に消費されることによって生み出される利潤なのだと思います。
結局こうした形での過剰な資本の不生産的処理がなければ生産的資本そのものが成り立たなくなっているのが現代資本主義の特徴ではないでしょうか?
 以上、ご指摘の問題に対して私が考えていたことを繰り返すような形になってしまいましたが、その辺をどうお考えなのかについてまたさらに本質に突っ込んだご指摘を頂ければ幸いです。
 2018.03.19  野口尚孝
 

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「過剰資本の不生産的処理」を巡るディスカッション(1)

 先日「過剰資本の不生産的処理についての考察」というブログを4回に渡って連載しましたが、これについてY.Sさんからコメントを頂きました。メールでの個人的やりとりだったので、より広く多くの人にこの問題をディスカッションしてい頂く機会とするため、Y.Sさんの了承を得て、それをこのブログに載せることにしました 以下、少し長くなりますがメールでのやりとりの再現です。

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野口さん
長野のY.Sです。
野口さんのブログについては少し前に(野口さんのMLへの投稿を見て)読んだの
ですが感想をまとめるのが遅くなってしまいようやく少しまとめてみました。
あくまで感想ですので誤解もあるかもしれませんし体系だったものではありませんが
何かの参考にしていただければと思いお送りします(添付しました)。
もし誤解や失礼がありましたらご指摘・ご容赦下さい。
(以下添付書類)
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野口尚孝さんのブログ<過剰資本の「不生産的処理」についての考察>について
                             2018.3.18 Y.S
 一言で言って過剰資本のはけ口を労働者の賃金にm部分を含ませて循環させそのことによって拡大再生産も可能にさせるというのはちょっと無理な発想ではないかと感じます。大内力の本も読んでいないので大内がどのような趣旨で言っていたのかも分からないのですが。。。
 ほとんど資本家層に近い超高給労働者については多少そのようなこと(奢侈品消費による不生産的消費、等)も言えるかもしれませんし、過剰生産の圧力を減らすというよりはむしろ文字通り「資本の手代」として飼い馴らすために餌を投げ与えるという意味ではそういうこともあると思いますが(連合系等の労組役員等の「労働貴族」)。。。
 それに、例え、「労働者の賃金にm部分を含ませる」ことにより残りのm部分の投資効率が上がるとしても、それ以前に投資できるm部分が減っているわけですから今期の利潤率は下がることになるわけです。将来の利潤率を上げるために現在の利潤率を下げるなどということを資本はわざわざするでしょうか?
 一般的には労賃はやはり生活資料の価値によって決まるだろうし、それに高い・低いがあるのは基本的には教育費(労働力の養成費)の違いからきていると思います。現代資本主義は超巨大企業を出現させ、また技術も非常に高度化しています。そうしたことを反映してそれなりに高度の教育を受けた(直接の教育だけではなくある程度生活環境全般等も含まれてくると思いますが)管理的・技術的人材も多数必要としていると思います。だから彼らの”奢侈品”消費は一見してmの一部分の不生産的消費のように見えるかもしれませんが、彼らが労働者の一部である限りにおいては基本的には労賃=労働力の価値=生活資料の価値なのではないかと思います。
 また、「過剰生産」というのは現代資本主義では恒常的に存在するというものでもないと思います。現に戦後の(世界的な)高度成長の時代には自動車や電機、石油化学等々の新しい技術革新とその普及と結びついて投資すべき資本はむしろ不足し中央銀行等の”オーバーローン”によって拡大してきたのではないかと思います。70、80年代以降でもIT革命による新分野の開拓やMA化等はある面では似たような側面もあると思います。もちろん、金・ドル交換停止以後世界中にドルが氾濫し、また戦後循環が一応成熟して以降は各国とも金融緩和・財政出動等が恒常化してきてお金は有り余っているが投資先がないといった状況が強まってきていることは事実ですが。
 サービス産業の拡大は産業向けのサービスと消費者(労働者)向けのサービスとありますが、前者は今まで企業内で行われていた機能のアウトソーシング(それによる効率化)によるものだし、後者については私は「消費生活の社会化」(一面では、消費生活の内部にまで資本が入り込んできたということでもありますが)の進展(医療・教育・保育・介護等はもちろんですが、ファミレス、居酒屋等々も)と関連があると考えています。前者の場合には、むしろそれによって資本全体としての効率は上がり剰余価値も増えるであろうし、後者の場合には、ある意味では不生産的ですが、消費者がそれを求めている(必要としている)以上は(「生のモノ」を提供しても売れないのですし)無下に否定することはできないと思います。後者の場合においても、最初の物的投資そのものは生産的資本の剰余価値からの控除かもしれませんが一旦投資された後はそれ自身を維持するだけではなくサービス労働を搾取しつつ利潤も確保できると言ってもいいのではないでしょうか。
(続く)

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