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2018年1月7日 - 2018年1月13日

2018年1月 7日 (日)

AIが「人工知能」であるということの再確認

 AIがビッグデータからの学習で人間を超えた予測と判断能力を持つようになり、やがてはあらゆる部面で人類の能力を超えたAIが登場する。という問題(シンギュラリティ)が人々に期待と不安を抱かせているが、この問題については以前このブログでも取り上げた。しかし今朝の朝日新聞などでは、人間がAIに勝るのは「意味を知る」ことだとしか言っていないのを見ると、まだこの問題には解答が与えられていない様に思える。

 言葉や文章の意味を理解するということはある面では現在のAIもその能力を持っている。構文解析や膨大な辞書機能を組み込んだAIはそれを可能にしている。翻訳できるAIもすでに実用化され一般に普及している。
 ここで「意味を理解する」というのはもっと「深い意味」のことであろう。それは例えば、「目的」である。何のためにこれをやるのか?その目的の意味を理解していなければ、いくら「適切な手段」を探しても求める答えはえられない。
 その「目的」はある特定の個人が置かれている状況や背景に深く関わっていると同時に、その個人のこれまで生きてきた人生の中での体験や学習などのすべての内容、さらにいえば、それを特定の人格として表現させている生物学的根拠であるDNAの形成過程までをも含むすべての歴史的要素が凝縮されて「問題意識」やそれへの解決の方向づけとしての「目的意識」を生み出していると考えるべきであろう。たとえそれが眼前のきわめて具体的問題の認識であってもそうである。人間はそうとは意識せずとも、この「深い意味」を背景に背負って、ものごとへの「認識」と「判断」を下すのである。
 この個人の「問題意識」や「目的意識」の持つ深い意味を理解することはたとえ人間であっても「他者」の立場からでは難しい。ましてAIに於いておや、である。ここに芸術表現や情感などが人間には必要になる根拠もあるのだと思う。芸術は構文解析や辞書機能が役立たぬ世界である。
 そもそもAIとは人間がある必要に迫られて生み出した「手段」であり、人工的に作られた「知的道具」なのである。手段や道具が目的を脅かしたり変更させたりすることはあるが、それはほとんどの場合、「目的」が間違っていたことを人間に理解されるために意義をもっているのであって、違和感を感じながらもいやいやながら道具や手段に支配されることは本来の主体としての人間にはありえないといえるだろう。
 もしそのような事態が生じるのであれば、それは主体であるはずの人間が自ら生み出した道具や手段に支配されるような状況がそこにあるからだろう。
 人類はもともと「類的存在」であり社会共同体を形成することによって高度な文明を築き上げてきた。その共同体社会はその構成員である諸個人がそれぞれ社会生活に必要な労働を分担し合い、互いにそれぞれの存在意義を認め合って生活するのが本来の姿であったにも拘わらず、その社会が一握りの富や権力を持った人たちによって支配されている場合には、その社会の構成員が担う現実の分担労働とその役割に対する自覚も、「支配者に与えられた仕事、支配者達へのその謝礼」という形で結びつく。だから目的と手段の間に違和感があっても「お上のやることだから仕方がない」として我慢することになる。
 現代の資本主義社会ではこの関係が依然として存在しているにも拘わらず、「誰でもが努力すれば資本家として支配階級の一員になれる」というイメージが醸成され、「自由・平等」な社会としての外見を持つようになっているが、実は社会全体が諸個人の「分担労働」の成果をこの支配層達への蓄財に供するための労働という形になっている。
 だからこの支配層の蓄財のための手段である諸個人の労働が同じように手段であるAI つまり「人工知能」に支配されてしまうという不安を生み出すのである。そしてこの自らが支配層のための「道具人間」にされてしまっている現実の矛盾が不安感や不満を生み出すことへの対策として、「便利で楽しい」生活が演出され、人々にIoTを売り込み、こうした社会の進歩に遅れてはならないという感覚を植え付け、それによって本来不要な消費を次々に生み出すことで過剰となっている資本を処理しているのであって、そのこと自体がまた支配層のさらなる蓄財の手段になっているのである。
 われわれが目指すべきは、このような社会の延長上にある偽物の「便利で楽しい」社会ではなく、社会の諸個人がそれぞれその主体性を発揮できることがそのまま社会全体の発展に繋がる社会であり、そこでは諸個人の目的意識と社会の目的意識が一致する社会であるはずだ。
 そしてそこではAIは本来の意味で人間の道具であり手段であるはずだ。
 

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