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2018年9月2日 - 2018年9月8日

2018年9月 7日 (金)

「災害立国?」のための予算編成を

 大雨、洪水、台風、地震と今年の夏は災害オンパレードだった。その中で亡くなられたり、生活を破壊されてしまった人たちは本当にお気の毒だし、どこに怒りをぶっつけてよいのかも分からず鬱屈した日々を送られているのではないだろうか?

 日本はもともと災害の多い国で、そのことは歴史を紐解いてみるまでもない。しかし、このことがまた逆に地域の助け合いや結束力を強める力となっており、それが我らのパワーの源の一つにもなっていると思う。だからここで敢えて「災害立国」と言っておこうと思う。
 しかしこの「災害立国」においては繰り返される災害がどれほど教訓化されているのだろうかと首を傾げたくなる。例えば東日本大震災は「想定外」とされ、想定を超えた津波で原発が停止、冷却不能に陥り、メルトダウンした。その被害は甚大なものだった。それなのに、その後誕生した安倍政権は、原発を主要な電力供給源として維持し、40年を目途に今後も運用を続ける意志を表明した。しかし原発が廃炉となったとき、その後始末の目途はたっていない。廃炉に30年かけても核廃棄物の処理はまったく見通しが立っていない。なぜ50年先を見通した、原発に代わるエネルギー供給源の開発に力を注がないのか?
 事実今回の北海道での地震の際、苫東厚真火力発電所が発電不能に陥り全道が停電したときに、泊原発の電源が停止した。しかし緊急用ディーゼル発電機による冷却電源の維持は危うい橋渡りだったようだ。一歩間違えば、稼働停止中といえども核燃料の冷却が止まればやがて臨界を超えて大変なことになりかねない。
 この地震も「想定外」ということで片付けるのだろうか?わが「災害立国」には想定外などあってはいけないのだ。いつか必ずやってくる大災害に国家予算を十分に割くこともせず、妄想とも思える「仮想敵国」からの攻撃に備えたイージスアショアなどに莫大な国家予算を割いている。
 今年度何兆円も増額された防衛費に比べて確実視される南海トラフ地震などの巨大災害への準備に割く予算は少なすぎるのではないか?むしろこの増額される防衛予算のすべてを災害準備予算に回すべきなのではないのか?
 一方でアベノミクスによる円安でがっぽり儲けたグローバル資本の企業は内部留保が400兆円を超えるらしい。ただでさえ家計の苦しい働く人たちから消費税の増額であらたな税を搾り取るのではなく、 こうした企業こそ「災害立国」の政府に巨額の税を納め、災害準備予算の増額に寄与しなければいけないのではないか?

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2018年9月 3日 (月)

安部「自衛隊最高指揮官」の改憲を見据えた新防衛体制構想の愚

 以下はWebの時事新報ニュースの一部からの引用である。
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 安倍首相は3日午前、防衛省で開催された自衛隊高級幹部会同で訓示した。自衛隊違憲論を念頭に、首相は「自衛隊の最高指揮官としてじくじたる思いだ」と強調。「全ての自衛隊員が強い誇りを持って任務を全うできる環境を整えることは今を生きる政治家の責任だ」と述べた。 首相は、憲法9条に自衛隊の規定を明記することについて、自衛隊幹部の前で改めて意欲を示した。 年末に策定する新たな防衛大綱に関しては、「宇宙、サイバー、電磁波といった新たな領域を横断的に活用した防衛態勢への変革はもはや待ったなし」と指摘。「真に必要な防衛力のあるべき姿についてこれまでの延長線上ではなく、大局観ある大胆な発想で考え抜いてほしい」と語った。
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 まるで戦争中の東条内閣の演説を聴くようだ。つい最近、トランプ大統領が「アメリカ宇宙軍」を創設するとブチ上げて世界中からヒンシュクをかったばかりである。つまり安部防衛政策は憲法改定正当化のためのトランプ構想の日本版焼き直しに過ぎないといえるだろう。
 この安部防衛政策のために何兆円もの防衛予算が計上されその分われわれの生活に必要なさまざまな社会的共有財としての予算が減らされる。防衛産業の資本家たちはこの予算で資本を膨らませながら、「お国をまもるために頑張っている」と吹聴するだろう。
 一方で北朝鮮ではもはや核ミサイル開発に莫大な軍事予算をかけてアメリカと対抗するよりは国内の経済の立て直しが急務らしい。中国は経済的にも軍事的にもアメリカに対抗すべく着々と軍備を拡大しているが、これは対外的な中国脅威論に火をつけることで中国の孤立化を招きかねない。アメリカとて同じだろう。トランプの「宇宙軍」創設は対外的に軍事的脅威を増大させることになり、そのことがアメリカの人々の生活に大きな圧迫を強いることになるだろう。
 いまや際限のない核開発や軍拡を「抑止力」と考える戦略は根本的に間違っていることに世界中の人々は気がつき始めている。
 そんな中で、独り安部首相兼「自衛隊最高指揮官」は軍拡こそが「国を守る」手立てといまだに信じているらしい。困ったもんだ、この能なしは!

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2018年9月 2日 (日)

「ナバホ」の世界 再録

 高齢社会が進む中で最近マスコミなどでよく「よい死に方」や「終活」についてが屡々取り上げられる。そこで、7年以上も前にNHK BS-TVのある番組で放映されこのブログでも取り上げた「ナバホ」の世界の話を再録しよう。

 子宮がんが再発し、摘出手術を受けたもののいつ再発するか分からないという状況で生きる女優のHさんが、アメリカ先住民ナバホの居留地を訪問したときの記録である。

 なぜHさんがナバホの居留地を訪れようとしたのかその理由は見落としたが、Hさんは彼らの一人をガイド役としてその家族との夕食に参加した。ナバホの人々は広大な荒野の一角で羊を飼い、トウモロコシを栽培して実に質素な生活している。

 Hさんがまず彼らに投げかけたのは、「幸せとは何か?」という問いであった。ナバホの若い人々は、結婚して家族を持つこと、羊や牛を飼えること、などと答えていたが、少し年配の人たちは、美しく生きることだと答えていた。夜明けに祈りに出るときその夜明けは美しい、夕暮れもまた美しい、と彼らの中の一人の男が言った。この美しく生きるろいう言葉の意味が、最初あまりピント来なかったが、やがてそれが彼らが語り継いでいる一つの詩でだんだん分かってきた。そのナバホ語の詩はこういうものだ。

 私は晴れやかに美の中を歩む

  私の前にある美の中を歩む

 私の上にある美の中を歩む

 私の側面にある美の中を歩む

 そしてその歩みは美の中で終わる

 つまりわれわれはつねにどこにいても「美」に囲まれてているのだ。その中で生きているということこそ幸せなのだ、ということである。

 結婚を間近に控えているという一人の若い娘は、寂しくなるとときどき先祖に会いに行くという。Hさんは彼女と一緒にそこに行った。そこにはときどき動物の姿になった先祖たちがやってきて娘に語りかけるという。あるとき二羽のイヌワシが彼女の頭上を輪を描いて飛んだ。彼女はすぐにそれが祖父と祖母であることが分かった。彼女は自分が寂しいことを告げると二羽のイヌワシは彼女の心に「いつもおまえと一緒に居るのだから寂しがることはない」と語りかけてくれたというのである。 Hさんは彼女の話を聞きながら涙を抑えることができなかった。

 Hさんは、次に荒野のまっただ中の古い小屋でたった一人で生活するナバホの老人を訪ねた。老人は英語がうまくないこともあってか、無口でいつも笑わない。ガイド役の男が介添えをした。Hさんは老人がなぜこんな荒野の真ん中に一人で暮らしているのかを尋ねた。

すると彼は「私はここで生まれた、そしてここが私の住む場所だからだ」と答えた。疑問の余地のないほどシンプルで明快な答えである。

 そして最後に、Hさんは、この老人が「死」についてどう考えているかを問うた。それはいつも「死」を意識しているHさんにとってもっとも重い問いであったと思う。老人は介添えの男を通じて次のように答えた。

 われわれナバホは「死」については語らない。そんなことは考えない。それは考えてはいけないことなのだ。われわれはいつも美の中に生きている。それだけで充分ではないか?

 Hさんは「あ〜、そうなんだ。まったくその通り。もうグーの音も出ない」としばし感慨に浸っていた。

 最後にガイド役の男は、粗末な片張り太鼓を持ってきて、それを叩きながら上の詩をナバホ語で唄い始めた。哀調をもったアイヌの叙事詩の唄に似ている旋律だった。しかし、それは英語では表現できない力強い意味を持った言葉だと彼は言っていた。

 1万年も前にわれわれと同じアジアの一角に住んでいた彼らの先祖たちはベーリング海峡を渡って、アメリカの地に移り住んだのである。そしていまヨーロッパやアフリカなどから来た異邦人たちに先祖から受け継いだこの地を支配され、彼らの「消費文明」を押しつけられようとしている。

 しかし、彼らが護り続けている、「美」はそんなものよりもずっとシンプルで力強い「生」の世界を持っており、それがこの汚れきった文明社会に生きるわれわれの心を洗ってくれるのだ。

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