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2018年2月4日 - 2018年2月10日

2018年2月 4日 (日)

NHK-TV日曜討論「AIはどこまで進歩するのか?」を観て

 今朝のNHK-TV日曜討論で「AIはどこまで進歩するのか?」というテーマで、政府の研究推進機構関係者、大学の様々な分野のAI研究者、AI企業のチーフなどが一堂に会して討論を行っていた。当然ながら討論者がいずれも30代〜40代の若い人たちであったのが印象的だった。
 そこではそれぞれの立場からAIの現状と未来についてが述べられていたが、やはり、人工知能が人間の仕事を奪うのではないか、人類はやがてAIに支配されてしまうのではないか、という不安にどう向き合うかが中心的話題となっていた。要するにAIが進歩すれば人間とは何なのか?という根源的テーマがより重要な課題としてわれわれに突きつけられるようになるということである。
 私のこの問題に対する基本的考え方はすでにこのブログの1月7日の欄に「AIが人工知能であるということの再確認」というタイトルで述べてあるのでここでそれを繰り返すことはしないが、今朝の討論を観ていて気になったことを挙げてみる。
 それは、AIがやがていまの人間の労働の半分近くの種類をこなしてしまう様になるだろうというかなり確実な予測が示されていながら、一方では、諸外国との秘術開発競争に後れを取らないようにすることが必要だとする主張が大半を占め、他方ではどのような立場でAIを開発するかと、AIをどう使うかという両面から倫理の問題を考えるべきだという主張が大半を占めていたことだ。
 この問題を考えるために、ここで産業革命の歴史を顧みる必要があると思う。まず中世的な職人工房が商人に支配されることで、職人の仕事が「合理化」のために分業化され、職人は本来の「つくることの目的意識を奪われ、「売れる商品」をつくるという商人の目的意識に自らの労働を奉仕させられるようになった。また、農民達は生産手段である農地を奪われ、工場労働者として資本家企業に雇用されるようになり、そこではやはり売るための商品を作る労働に奉仕させられた。やがて工場内の労働は資本家的効率化のため細分化され、そして最後にその細分化された労働は資本家的「合理化」によって機械に置き換えられ、そこに働く労働者達は相対的剰余価値増大のための犠牲として放逐された。
  こうして19世紀の資本主義社会は機械制大工業を生み出したのであるが、やがて20世前半には電気や化学の技術が支配する「第2次産業革命(人体でいえば脈管系の社会インフラ技術の革命)」があり、その後石油などによる内燃機関の普及によって交通運輸面での社会インフラ革命があった。そして20世紀後半にはコンピュータの普及とインターネットの開発により、大量の情報やデータが瞬時にやりとりできる体制が出来上がり、 人体でいえば神経系統にあたる部分の「第3次産業革命(いわゆるIT革命)」が訪れ、それがAI技術と結びついていまの「AI革命」をもたらしているといえる。そしてこれらの産業革命においてはいずれも大量の労働者が「合理化」により解雇されたり転職させられているのである。
  AIを資本主義的産業のいわば最終段階の「合理化」という視点から観れば、現状のAIは資本主義経済での企業のいわば「必然の法則」の結果であろう。
 これらの歴史的流れはいずれも資本主義経済下での市場競争がモチベーションでありいずれも人格化された資本の意志である資本家的目的意識による「合理化」の結果である。
 だからそこに共通するものはどれも社会を支えるために働く労働者自身の目的意識ではなく、それを資本蓄積の手段とする階級の目的意識によるものであるといえるだろう。
 したがってどのようなAIを開発するかという立場もそれをどう使うかという立場も基本的には同じ目的意識の下にあるといえる。
  しかし、こうした主客転倒した矛盾的発展史の結果生み出された技術的成果であるAIを社会共通の問題を解決する立場でそれなりに用いようとする立場はもちろん擁護されるべきである。
  だからAIの倫理とはまず第一に、それが社会を支えるために働く人たちにとって本当によりよい生活(労働内容を含めて)や社会をもたらすのかどうかという判断基準のもとでつくられる倫理でなくてはならないし、それは決して企業間の国際競争に勝つための手段という立場ではありえない。
 第二に、その倫理は「企業が利益を挙げることによって国民が潤う」という間違った論理に立つ政府機関によるトップダウン的視点であっては決してならないということである。あくまでこの倫理は労働者の立場つまり現場で働く人々のボトムアップ的視点からの倫理でなければならないと思う。
 その意味で今朝の日曜討論のメンバーの中では名古屋大学で哲学専攻の久木田准教授の主張が私には一番親近感があった。

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