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2019年4月30日 (火)

かわいそうな天皇家の人々

 今日は平成最後の日。平成天皇が自ら退位の「心情表明」をして、明治以来初めて天皇が生存中に代替わりし、元号が変わるということでマスコミは大々的にそれに関連する記事を連載している。そこで明治以来の近代天皇とはいったい何なのかについてちょっと考えてみよう。

 江戸末期、アメリカ、ロシア、イギリスなどの諸外国からの外圧に対して鎖国を守ってきた江戸幕府が危うくなり、薩摩・長州による「新政府」がそれに代わって登場したわけであるが、そのとき徳川家を中心とした幕藩体制のいわば地方分権型支配体制から強力な中央集権体制国家に生まれ変わるために、大久保利通やそれに加担する公家などによりそれまで民衆にはほとんど知られていなかった天皇が再び担ぎ出されてきて「錦の御旗」のもと、「公方様」より地位が上の存在として大々的に宣伝された。

 そして明治という元号がそれまでとはまったく異なる響きと重みを以て、それを体現する明治天皇が「富国強兵」のための中央集権国家のシンボルとなった。その後、それまで農民だった人々の中から紡績工場や、製鉄所などで過酷な労働に耐えて働く労働者が登場し、その血のにじむような努力の下に日本は近代的資本主義国家として成長し、日清戦争、日露戦争などで、多くの兵士の命が奪われながら半世紀も経たないうちに西欧列強に伍する「大日本帝国」が出来上がっていった。日本の近代化はこうして産業や軍事の面では近代化であり西欧化であったかもしれないが、働く人々は「天皇」の「臣民」であり、より強力な「親方日の丸」的国民意識が強められ、天皇は絶対的な権威を獲得していった。そして明治天皇が死んだときには日露戦争の功労者、乃木将軍は自ら腹を切って殉死したのである。

 その後登場した大正天皇は精神的な病を持ちながら、短い天皇としての使命をなんとか果たし、その間徐々に盛り上がってきた労働者や農民の運動が明治期とは異なる時代の雰囲気を作り出していった。

 そして昭和がやってきた。昭和初期には日本ではすでに働く人々は農民、労働者、サラリーマン、公務員などという具合に階層化され、資本主義化の進んだ産業界が財閥化し、その資本家達が経済的実権を握る中、それまでの戦争で勝ち続けた軍の権力が著しく強められ、やがて政治にも軍の力が反映されていった。そこでは財閥と軍部の確執も生じ、労働運動や左翼的思想のインテリたちが影響力を持ち始める中で、それを強権的に統治しようとする政権には天皇がより強力な権威をもつ必要があった。そして天皇は「神」となっていったのである。当時の日本政府は西欧の資本主義諸国とロシアに登場した「社会主義圏」と日本の間での経済的権益と軍事的確執を「東亜新秩序の建設」と称して東アジア諸国への権限の拡大によって有利な立場に持って行こうとした。それには「現人神」を家長としてその下で「一億国民」が家族として一丸となって闘うというイデオロギーが必要だった。このイデオロギーは思想界では明治以来の西欧文化へのコンプレックスを克服するための新たな目標として広められ、左翼的インテリや芸術家の多くが官憲の圧力のもとで「転向」を余儀なくされた。

 日本の歴史上類を見ない大規模で悲惨な戦争はこうして起こされ、一般市民を多く含む数百万の人々の命が失われ、産業は壊滅し、戦争は敗北したのである。戦後、天皇は「人間宣言」をした。米国を中心とした占領軍は最初は天皇を戦争犯罪者として裁くことを考えていたが、当時、ソ連との確執が強まる東アジアでの状況に対応して日本をその防壁としなければならないということで、天皇を戦犯扱いすることで日本の国民が左翼化を強めることを恐れた。そして天皇は戦犯を免れ、そこに「象徴」としての天皇を頂く「民主主義国家」としての在り方を示す日本国憲法が出来ていったのである。

 戦後の日本では政治は一応形の上では民主的に選挙で選ばれた議員による国会での審議を通じて行われるということになっており、天皇は国家の「象徴」として政治的権力はなく、「人間天皇」であるはすなのだが、憲法で定められた「基本的人権」もなく選挙権もない存在となった。個人としての主体性のない「象徴」とは、いわば諸個人としての「国民」を星とすればそれを「精神的に」統治するブラックホールのような存在となったのである。ただ「公務」と称する政府文書への「御名御璽」を押印する儀式的行為や内閣の任命式や国賓招待などの儀礼のときに登場し、「国民に愛され」なければならない存在となった。考えてみればお気の毒な話である。巷に生きる一般庶民の方がずっと人間的な人生を送ることができる。

 本来ならば戦争犯罪人であったはずの昭和天皇の「後始末」に生涯を掛けた平成天皇はおそらくそのことを感じていたのではないだろうか?だからあの「退位の心情表明」は彼の痛切な自分の存在意義への告発なのではなかったか?

 そして次の令和天皇はいったいこの時代に「人間」としてどのような人生を生きようと欲しているのだろうか?

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