« かわいそうな天皇家の人々 | トップページ | 「MMT体制」はいつ破綻するか? それは明日かもしれない! »

2019年5月 9日 (木)

「新デザイン論(仮題)」その後の経過

 最近このブログに投稿する頻度が落ちている。いろいろな事情があるが、そのうちでもっとも大きいな理由は、いま執筆中の「新デザイン論(仮題)」に多くの時間を取られているせいである。

 内容は私が約50年間にわたって考えてきたデザインに関する考察とそこから発展していったひとつの歴史観と近未来の社会に必須な要件など、基本的には現代デザイン批判であるが、書いていくうちに、あれも書いておかねばこれも書いておかねばと内容がふくれあがってきて、ついには「次世代社会の基本的デザイン」といった内容にまで範囲を拡げてしまったのである。途中で目を通してみるとあちこち叙述に不十分な箇所や論実の矛盾した箇所などが多く見いだされ、それを修正しつつ必要な文献を見直したり、そこからまたあらたなことに気づくなどしている。最初は一応思いついたことをどんどん書いてゆくことで後でそれを必要最小限の内容に切り詰めてコンパクト化しようとしたのであるが、これがなかなか難しいのである。

 内容は3つの部分に分かれており、第1部はデザイナーという職能が生まれてくるまでの「モノづくり」の概略的歴史、そこでは、産業革命や近代デザイン運動を通じて登場したいまのデザイナーという職能がもつ「存在の矛盾」をその「発生の論理」に見いだすことが中心的課題である。第2部は、その矛盾に充ちたデザイナーの仕事を普遍的なものとして一般化しようとする現代デザイン理論への批判である。その批判を通して「あるべき本来のデザイン行為」の姿を浮き彫りにすることがここでの中心的課題であり、いま私はこの第2部にほとんど全力投球をしている。そして第3部はこの「あるべき本来のデザイン行為」を実現するための社会がもつ基本的条件について述べる。ここでは資本主義社会の矛盾を克服しようとしてきた20世紀のソ連型「社会主義」の矛盾と挫折やその後登場したヨーロッパ「脱開発派」や環境保護運動運動への批判、そして現在の中国に見るような偽物の「社会主義」への批判など、とくに「モノづくり」の在り方を中心にその矛盾を批判し、それを乗り越えるべき方向を探るところまで書くつもりである。

 どこまで書けるか分からないがとにかくやれるところまでやっておこうと思っている。

 

 

|

« かわいそうな天皇家の人々 | トップページ | 「MMT体制」はいつ破綻するか? それは明日かもしれない! »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« かわいそうな天皇家の人々 | トップページ | 「MMT体制」はいつ破綻するか? それは明日かもしれない! »