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2020年3月 4日 (水)

「市場経済」の矛盾について考える---その4:「社会主義市場経済」という矛盾

 このような資本主義社会という形で現出する市場経済の矛盾をその根本から克服するはずだった社会主義がなぜいま市場経済なのか?

 一口に言って、いまの自称「社会主義国」はかつてマルクスが唱えたそれとはまったく別物であって、単なる一党独裁制という政治体制のもとで実際には資本主義的経済を一党独裁体制の国家主導で実施する「より過激な資本主義経済」の国なのである。なぜこうなったかについては、それ自体政治社会学の最大の課題の一つであって、とてもこのブログで私ごときが語り尽くせるようなものでなないが、資本主義社会が行き詰まりを見せ始めた20世紀初頭から中葉にかけて、それが要因となって引き起こされた二つの世界大戦という世界情勢の激しい動揺の過程で行われた論争や、闘争を通じてマルクスの考えていた本来の社会主義(共産主義)の基本的考え方は異なる方向にねじ曲げられ、形式上「自由と民主主義」を掲げる資本主義社会の延長に労働者に配慮した市場経済社会を生みだそうとする「社会民主主義者」と、それを巧みに利用しようとする資本主義体制側の攻勢を背景に、ロシアで革命を起こしたばかりのレーニンがそれに反発してマルクスが「ゴータ綱領批判」で述べた「過渡期社会におけるプロレタリアのディクタトル」という政策を、革命直後のロシアに適用しようとした。しかし彼の死後、今度はそれを政治的な独裁体制として悪用して自らの権力をふるおうとしたスターリンなどによる政治的な歪曲が重ねられ、いつのまにか労働者階級を国家機構と結びついた党が支配して行くという政治形態が固定化され、その本来の姿である労働者のインターナショナリティーが見失われ、「一国社会主義(実は国家という支配の枠組みの中で労働者や農民が党官僚という支配階級に奉仕させられる社会)」という主張が絶対化されるなど、マルクスのそれとはまったく異なる方向で労働者階級をトップダウン的に支配し指導する強権的政治体制が「社会主義国家」を名乗るようになって行ったという歴史的経緯がある。

 そこでは労働者たちは党官僚の作った「5カ年計画」などにもとづき、社会的に必要と思われる労働部門にトップダウン的に配置され、そこで「ノルマ」を課せられて労働させられた。生活消費財は配給のような形で分配され、自らの意志でやりたい仕事に就くことはほとんど不可能に近かったと考えられる。労働者たちは国家のために労働奉仕を行っているという形となりそこでの個人の自由は基本的に失われた。国家や党の指導者は絶対的存在であり、彼らの言うとおりに働いていればいずれは幸福な世の中が来ると信じ込まされた。しかしこうした無理な体勢はいずれその矛盾が吹き出すことになり、党官僚などの支配層は次第に資本主義社会での「自由市場の合理性」に目を向け始めたのである。「社会主義国」内部でも国家統制のもとで生活消費財を中心に市場経済方式が導入され、労働者で才能のある者はエリート層へ進出していった。しかしそのことがかえって「社会主義国家」の矛盾を露わにし、資本主義体制への一種のあこがれを生みだすことになっていった。

 しかもその間、資本主義体制側もこれらに対抗してケインズらの考え方を採り入れ、国家が財政面での指導力を発揮して公共投資などを増やし、労働者の雇用を生みだし賃金を維持させ、それによって労働者階級の生活手段の消費を拡大させ、いわゆる「市場の好循環」を生みだし、資本の生産・流通体制を維持発展させて行くという、新たなタイプの資本主義経済体制(国家独占資本主義とも呼ばれる)を打ち出し、アメリカを中心に広まっていったため、それがいわば資本主義社会の普遍化された姿の様にとらえられるようになっていった。第2次世界大戦後のいわゆる東西冷戦の間に資本主義体制側の主導権を握ったアメリカでは、社会主義者や共産主義者は悪の権化である「赤いサタン」と見做され、そうした思想が労働者階級の間にも広められた。こうして「社会主義=自由のない独裁体制の社会」というイメージが定着し、やがてそのイメージを生みだしていた自称「社会主義諸国」側がその内部矛盾によって自己崩壊を起こして行った時期に、生き残った「社会主義国」である中国やベトナムなどが「市場の開放」により資本主義体制側からの投資を呼び込みその安い労働力によって世界の商品市場に躍り出ようとしたのである。それを実現させたのが「大躍進運動」で大失敗をして中国の農民や労働者を危機に陥れた毛沢東一派に変わって登場した鄧小平だった。

 かくして中国式「社会主義市場経済」がスタートし、アメリカなどの資本家達からの投資を呼び込み、またたくまにその膨大な数の労働者とその安い労働賃金とで、大量に安く生みだされる商品が世界中の商品市場を席巻し、アメリカやヨーロッパ、日本など主要資本主義国にどんどん生活資料商品として輸出されるようになった。皮肉なことに、たてまえ上は資本主義を否定している「社会主義国」である中国での一党独裁体制がむしろ「自由経済」を主張する資本主義国よりはるかに効率よく市場経済をコントロールできるのだ。中国でのこの強力な国家主導型市場経済体制はたちまち主要資本主義国での高賃金によるモノづくリ産業を危機に陥れ、モノづくリ産業は一斉に労働賃金が安くて優秀な労働力がいくらでも得られる中国に生産拠点を移しはじめ、中国はまたたくまに「世界の工場」となった。そして最初は先進資本主義諸国から技術導入していた中国の生産技術力を急速に高め、またたくまに技術先進国の仲間入りを果たし、同時に莫大な国際収支の黒字によって潤う中国の新興資本家階級や党官僚たち、その周辺に群がる「中間層」がその蓄財した富によって生活消費財や贅沢品を海外でどんどん買い漁ったりするようになり、消費市場としても世界最大の規模に巨大化していった。こうしてアメリカを中心とした資本主義経済の国々は中国やベトナムなどの「社会主義市場経済」の国々と経済的な「持ちつ持たれつ」の関係となっていった。

 政治的には「社会主義国」という看板を上げ、共産党の一党独裁体制と政府官僚たちが支配する社会であり、そのもとで成長した新興資本家かちは稼いだカネの一部を国家に税として納め、労働者を比較的低賃金で雇用するという経済体制でどんどん成長する(資本を蓄積する)中国はやがてその資本力によってアフリカなどの「開発途上国」での経済支援という形で、資本の輸出を通じてその地域の安い労働力を確保し、それによって政治的支配力をも増大させ、世界経済を自ら牛耳ることを画策するまでになった。それに対するアメリカは自らの世界経済での主導権を奪われまうという危機感から政治的には中国との対立を深めながら同時に経済的には依存し合うという奇妙な関係となっていった。

 しかしアメリカでは資本主義経済体制のもたらす必然でもある社会的格差の拡大が深刻な状況となっており,IT産業が主力となっているアメリカでそれに要求される能力を身につけるために必要な高等教育を受けようとする若者たちはその高額な授業料が支払えず、奨学金にたよることが多い。それがもらえない貧困な家庭の若者は最初から不利な労働条件で働かざるをえなくなり、たとえ奨学金をもらうことが出来、大学を卒業しても就職先がつぶれたりして失業すれば、奨学金の返済も出来ず、病気になっても高額な保険に入ることができなければ医者にかかることもできない。こうした立場に追い込まれた若者たちには自称「社会民主主義者」サンダース氏の支持者が多い。

 かつて高賃金で「豊かな生活」を営んでいたアメリカの中間層労働者たちはいつのまにか、こうした資本主義国や「社会主義」国の資本家達に莫大な富が集中していく中で、どんどん貧困層に落ちていく人々が増えている。いまや「リベラル派」オバマやバイデンなどの支持基盤であった中間層は2極化し一握りの「成功者」は富裕層に、そうでない多数の人々が貧困層に凋落しつつある。

 そしてそれに似た事態は中国でも起きている。新興資本家やその周辺の富裕層は党官僚らと一体化し、支配階級として国の「経済成長」を推進しようとしているが、本来の社会主義では主役であるはずだった労働者階級や農民たちはトップダウンの党官僚支配の社会で被支配層にされてしまっており、資本主義諸国と同様、自らの生みだす生活消費財を買い戻すことで生活する「消費者」となっていった。産業の集中した大都市では地方の貧困地域から毎日職を求めて集まる期間労働者の集まる場所があり、ホームレス化した若者たちが多数たむろしている。大都市のマンションやアパートは家賃が高騰して低賃金労働者は済むこともできない。こうして「社会主義国」中国でも一方で党官僚と結びついた一握りの資本家とその「おこぼれ」で潤う中間層、そして他方で彼らに支配されている労働者農民という階級社会が厳然として存在し、社会格差はますます拡大している。もしマルクスが生きていてこの事態を知ったなら、「断じてこれは社会主義ではない!」と怒髪天をつくほど怒ったであろう。

 「自由と民主主義」を掲げる資本家階級が支配するアメリカでも、「人民が支配する」はずの中国でも実際は党官僚やそれと結びついた資本家達が市場経済の仕組みを通じて社会の経済を支配しており、どちらの国でも実際に社会的富を生みだしている労働者階級は未来のない格差社会で生きるしかなくなっている。これが市場経済を基盤とする資本主義的経済のもたらす必然的な結果であり、それが市場経済の「法則」であるともいえる。

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