« コロナウイルスのオーバーシュートがもたらすもの | トップページ | コロナ感染半ば放置で70%免疫獲得を目指すのか? »

2020年4月 1日 (水)

「コロナ戦争」のいま、思い出す第2次大戦末期の東京での恐怖

いまコロナウイルスが人類社会全体を脅かしている。しかもわずか3ヶ月でこのような状態になっていまった。それ以前にはだれも想像しなかったことだ。まさに突然勃発したコロナ戦争である。特に食料事情の向上や医薬品の発達で80~90才の高齢まで生きることができるようになった先進諸国の高齢者層にとっては、とつぜん毎日の生活の中で命の恐怖に晒されることになり、しかもその状態がいつ終わるとも分からないという不安に陥れられた。

そこで思い出すのが、私がまだ物心がついたばかりの4〜5才の子供だった時代に、第2次世界大戦のまっただ中に置かれていた頃の記憶だ。私の家族は東京の杉並に住んでいたが、だんだんと空襲の回数が増し、その度に親たちが雨戸を外して自宅の庭に作った防空壕の上に載せ、それに押し入れから布団をかつぎ出してきて乗せていた。今にしてみればこんなことをしても何の役にも立たないと思うが、親たちは子供達を護るために必死だった。私はかび臭くてカマドウマが跳ね回る防空壕の中からチラっと見える青い空を垣間見ていると、B29の編隊めがけて日本軍の戦闘機がまるでヤブ蚊のように攻撃を仕掛けているのが見えた。背後からは高井戸にある高射砲台から発射される対空砲火の音がズーンと響いてくる。そしてもっとも恐ろしかったのは夜間の空襲であった。慌ただしいサイレンの音で目が覚めて真っ暗な中で、大慌てで防空壕に逃げ込むときの恐怖感はいまでも生々しく思い出す。その恐怖の暗闇でB29から大量に落とされる焼夷弾の落下する音が「ヒュルヒュル」と不気味に聞こえ、いつ自分達の頭の上に落ちてくるかと生きた心地がしなかった。

また、当時親類たちが訪ねてきた際などに「アメリカ軍が上陸して来たら、女たちはみな奴隷にされて子供も売られてしまうだろうから、そんな辱めを受ける前に、山に逃げて自決するしかなくなるかもしれないね」などと話していたことを思い出す。当時の私にはあまり実感がなかったが、今にしてみれば親たちは逼迫した心理状態だったのだと思う。

当時の戦争は「国家」を背負わされた人間同士の殺し合いだったが、いまはウイルスと人類との戦いである。この戦いには国境はないはずだ。しかし感染を防がねばならず、互いに隔離され切り離された生活を送らねばならない。つらいことだ。この高齢の身体でどこまでウイルスに対抗できるかあまり自信はないが、とにかく頑張るしかない。人類全体がたとえ一人一人バラバラに隔離されていても連帯感を以て互いに団結して敵と闘わねばならない。

|

« コロナウイルスのオーバーシュートがもたらすもの | トップページ | コロナ感染半ば放置で70%免疫獲得を目指すのか? »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« コロナウイルスのオーバーシュートがもたらすもの | トップページ | コロナ感染半ば放置で70%免疫獲得を目指すのか? »