経済・政治・国際

2017年7月24日 (月)

人手不足なのになぜ労働賃金が上がらないのか?(その3)

 今朝(7月24日)の朝日新聞朝刊第1面に「移民頼みの現場」という見出しで、いまの日本で実質的に「移民」といってよい外国人労働者が108万人もいて「人手不足」を補っており、年々増え続けているという記事が出ていた。

 こうした現実に反対する動きを「排外主義」として対置し、分け隔てなく移民を受け入れるべきだと主張するのが朝日などに代表される「リベラル派」の見解であろう。
 それに対して、「排外主義」と呼ばれる人たちは、思想的に「国粋主義的右翼」であるひとももちろん含まれているが、実は、現場で働くフツーの日本人労働者も多いのである。彼らは、一方で過酷な労働から解放されるために外国人労働者の助っ人は必要だと思いつつ、他方では外国人が自分たちより安い労賃で雇用されている現実を知っており、それがやがて自分たちの労働賃金や労働条件を悪化させる引き金になることも知っている。
 こうした事情はいま中東からの大量の移民で混乱しているEUやメキシコからの不法移民の大量流入問題を抱えるアメリカでも同様だ。
 EUの中でも経済的に好調なドイツでは移民を受け入れて「人手不足」を補うことに積極的だが、それ以外の国々ではおおむね移民の受け入れには「待った」がかかっている。フランスで「排外主義者」ルペンに勝ったマクロンは、「リベラル」のカンバンを掲げる関係上、移民受け入れに動いているが、フランス国内では労働者達が反対している。そしてより状況のよくない東ヨーロッパ諸国では「移民受け入れ絶対ノー」が大半である。
 アメリカではトランプが大統領選以来掲げている「メキシコとの国境に巨大なカベ」をつくるという方針を変えていない。そしてそれを支持しているのは「ラストベルト」などで失業している白人労働者たちである。
 こうした状況が最近著しくなってきたのは背景に資本のグローバル化があるからだ。グローバル資本によるアフリカや中南米の資本主義化が遅れた国々での、それまで「先進資本主義諸国」に食料や森林資源、鉱物資源などを供給する国だった地域の人々を、安い労働力獲得のための製造工場の進出により「工場労働者化」していったという現実がある。
  こうした国々の労働者達はあまり遠くないところにある「先進資本主義国」では自分たちと同じような仕事をしながら、自分たちの何倍もの賃金を得て生活している労働者がいることを知っている。だから機会があればそうした国々に行って生活したいと思うのは当然である。
  また中東では石油などの地下資源を「先進資本主義諸国」に輸出することで莫大な蓄財をした国とそうでない国々との間の軋轢が高まり、金持ち国は最先端技術をカネで買って急速に先進資本主義の生活様式を取り込み西欧化していったが、そうでない国々はそうした国々との経済的格差が増大し、それに西欧型生活文化への反発から来る宗教的対立が絡んで複雑な対立構造が出来上がっていった。その中で西欧のリベラリズムに刺激を受けた「アラブの春」が起こり、その混乱に乗じて台頭したISや、アフリカ、イエメンなどでくすぶっていた紛争に火がついて、これまでなんとか普通の生活を送っていた人々が大量に自分の国を捨てて逃げ出さねばならい状況になっていった。
 こうした資本のグローバル化がそれまで各地域で独自の経済体制や生活文化を持っていた人々の間に、賃労働や商品経済とともにそれを媒介する「世界通貨」という共通の尺度でそれを測る手段を浸透させ、生活文化の違いを、資本主義的生活を「標準」とした「生活水準の差」として見せることになってしまったのである。
 このような問題を簡単に解決することなどできないが、究極的には世界中の国々の間で、労働賃金の差をなくしていくことが必要だ。もちろんそれは今のように「低賃金」に向かうのではなく、労働の生み出す価値とは何かを明確にし、社会的に必要な平均労働時間をもとにそれに相応しい対価を受け取るという至極当然のシステムが世界標準として確立されねばならないだろうし、それが原理的に不可能な資本主義経済体制を打倒するために世界中の労働者が国境を越えて手を結んで闘わねばならないのだと思う。
 そうでなく、もしこのまま行けば世界は再び戦争に突入することになるだろう。そうなれば世界中の労働者同士が意味もなく憎み合い殺し合いという悲劇がまた繰り返されることになる。
(おわり)

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2017年7月23日 (日)

人手不足なのになぜ労働賃金が上がらないのか?(その2)

 そこでこの問題をマルクス経済学の視点で考えてみよう。

 周知の通り、資本主義社会では、すべての社会的生産物が商品として生産され、商品として流通する。資本主義社会では一般に商品の流通は「等価交換」を原則として行われ、それを貨幣が媒介する。しかし、この過程のどこかで価値は増えるのである。だから資本家は利潤を獲得しそれを蓄積できるし、それを最大の目的として社会的生産を行う。
ではどこで増えるのか?資本主義社会では生産に必要な手段(機械、工場などの労働手段および生産物の素材となる原料)は資本家が自分のカネで他の資本家がつくって売りに出した商品市場から購入する。彼はこの生産手段に、労働市場で(賃金と交換で)購入した(雇用した)労働力を結合させて商品を生み出す。この社会では労働力もモノと同じ商品なのである。
 この商品を生み出す労働過程は、新たな商品の使用価値を生み出すと同時に、価値を生み出す。そしてその過程で、労働力の再生産(労働者が日々自分の労働力を生み出すに必要な生活消費財)に必要な価値分(これが労働賃金であり労働力の価値である)をも生み出すと同時に、それを超えた価値(剰余価値)をも生み出す。実は、ここに労働力商品が「等価交換」を原則としながら価値を増殖する秘密があり、これが資本家にとっては「労働力商品の使用価値」なのである。
  労働力以外のモノの流通からは価値はあらたに生まれない。資本家はこのことを意識しないが「人格化された資本」としては知っていて、労働力を「価値を生み出す商品」として購入するのである。そしてそこから新たに生み出された剰余価値部分を含む商品を市場で「等価交換」することによって利潤を獲得する。
 もちろん、資本家はこの「等価交換」を原則としながら、いかに安く仕入れて高く売るかを常に考える。なぜなら彼の最大の目的はいかに利益をあげるかであり、商品の生産はそのための単なる手段に過ぎず、これをいかに実際の価値より高い「市場価格」で売りさばくかだけが彼の最大関心事なのだから。
  いわゆる「市場原理」、つまり「需要と供給の関係で市場価格が決まる」という考え方がそこから生まれる。彼にとっては「価値」と「価格」の区別はつかない。そこに実際の価値からかけ離れた「付加価値」をつけていかに高い価格の商品を買わせるかといった「商品戦略」や「宣伝広告」が必須となる。商品の「恣意的希少価値化」や「ブランド商品化」などがそれである。
 そのような状況で、労働市場においては、人手不足になれば労働力商品の「市場価格」も上がるはずなのであるが、実際にはそうなっていない。なぜそうなるかについては前回のブログで書いたが、それをもう少し上記の論理の中で掘り下げてみよう。
 資本家は自らつくりだす商品の供給量は需要の変化に応じてコントロールできるが、労働力商品だけはその供給量をコントロールすることはできない。労働者は資本の生産物ではないからである。そこで労働力が獲得できない場合は、「生産の合理化」を行い、「人手不足」を補うしかない。そこではいかに少ない労働力でも必要な量の商品を生み出すことができるかが問題となるが、それは同時に単位労働時間内に生み出される商品量が多いほど、個々の生産物の価値は下がるので、市場で安く売れ競争に有利になる。
  ここでは「利潤率低減化の傾向的法則」や「利潤率均等化」の問題についてはひとまず置いておくが、この「合理化」のために必要な設備投資は莫大な費用が必要である。資本家は労働者の賃金を上げて労働市場からより多くの労働者を引き寄せるか、高い設備に支払うかを天秤に掛けるのである。 しかし最初にやることは、増加する仕事に対して少ない労働者のままで長時間労働などギリギリまで働かせることでこれを補い、それでもダメな場合は、その生産部門を労働賃金の安い国に移転するという方法をとるのである。
 また一部ではすでに既成事実化している様に「海外研修生制度」で日本に来る外国人を実質的低賃金労働者として人手不足を補うため用いることが行われる。
 これが行き詰まるといよいよ「労働の合理化」に進む。
 そしてIT産業などの高度頭脳労働者に関してはこの低賃金労働の利用という「手」が用いにくいので労働賃金を上げて労働市場から有能な頭脳労働者を高給で受け入れる。そうしなければ「労働の合理化」での競争に勝てないからである。
 しかし最近のAI技術での「イノベーション」は必ずや「頭脳労働の合理化」に適用され、頭脳労働者の労働賃金をどんどん引き下げる方向に作用するはずである。
 もうひとつ、一般労働者の「生活費」つまり労働力の再生産費は、生活消費財が海外の安い労働力でつくられた商品として大量に輸入されるため、あまり高くならない。それが労働賃金が上がらない大きな要因になっているが、それは決して労働賃金に相応しい労働時間とは対応していない。つまり同じ労働賃金で長時間労働がどんどん進むのである。正確に言えば労働力商品の価値とその「使用価値」が生み出す価値との差がますます増大する。そしてその増大する剰余価値部分によって、資本家は「人手不足」で損をした分をこれで補おうとする。彼らは「生活費が上がっていないのだから賃上げなしでいいでしょう」というのである!
 国による労働賃金の格差を利益拡大のために利用するグローバル資本はこうした事態を促進させているばかりでなく国内での労働種や雇用形態による労働賃金の格差をも増大させているのだ。
 その中で「アベノミクス」では、「デフレ脱出目標」とか「物価2%アップ目標」とかトンデモナイ目標を掲げて、インフレ政策によってますます労働者が苦しい生活に追いやられる様な政策を進めている。インフレで資本家は利益を上げても労働賃金が上がるはすもなく、たとえわずかに上がってもそれを上回る物価上昇でたちまち実質賃金はダウンする。
 政府が日銀とつるんで天文学的数字の借金を積み重ねてインフレ政策で貨幣価値をどんどん下げていけば、カネの回転は速くなるかもしれないが、いずれ必ず貨幣は信用を失って大暴落し、その借金の実質的ツケはその後何十年にも渡って労働者階級に重く重くのしかかってくるのである。
 それでもなお安倍政権を支持する人が20%以上もいるということは一体どういうわけ??
(次回につづく)

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2017年7月22日 (土)

人手不足なのになぜ労働賃金が上がらないのか?(その1)

 いま日本では輸出関連や建設業などの大企業が利益を増やし、観光関連産業などでも利益が増えているし、株価が2万円台を維持して「景気は悪くない」と見られている。そして日銀は相変わらず物価2%上昇基調を維持できるまで「異次元の金融緩和」を続けると宣言した。相変わらずアベノミクスをサポートし続けようというのだ。

 そしてマスコミは「消費者の消費意欲が低下している」「将来の不安があるので可処分所得を蓄財に振り向けている」などと書き立ている。まるで「消費者は消費するのが本分なのだからもっと消消費意欲を持たないと物価が上昇せず、労働賃金も上がらないのだ」と言わんばかりである。その一方では、金利が安くなっているので一般住宅やマンション新築など大手建設業が稼ぎまくっており、そこでは下請け企業などでの人手不足が常態化している。そのため災害復興などには「手が回らない」という状況も常態化している。また「IT革命」以後インターネットが急速に普及し、通信会社や通販業界が大もうけをしているし、それに伴い物流関係の企業では運転手や配送員の不足が深刻化している。
それなのに実質的労働賃金は大企業以外はほとんど上がっていない。なぜなのか?
 そこで、よく考えてみよう。
 第1に、こうした「人手不足」が「生産の合理化」によって補われつつあるということがある。ITやAIなどを用いた「合理化」を浸透させることで人手不足を補う方が長期的には新たな労働者を雇用するより「生産コスト」が安く済む。デリバリー要員を雇用する代わりにドローンで商品を宅配するなどということも現実化しつつある。マスコミなどはこれを「テクノロジーの進歩」と絶賛するが、その動機は「労働の合理化」であり、「人減らし」である。そこにこうした「合理化」を「ビジネスチャンス」とみて「イノベーション」と称して技術革新を武器に新会社を興す新興資本家も登場する。その結果「合理化」は一方で労働者の人減らしとその賃金の低下を生むと同時に他方でイノベーションをビジネスチャンスとする新興資本家を生み、この人達が新富裕層になっていく。
 第2に、ヨーロッパやアメリカでは賃金の安い国々からの移民を受け入れ、この人たちを低賃金で働かせることにより、「合理化」のための莫大な設備投資をしないで人手不足を補うのが常套手段になっているが、日本ではそれをやっていないという問題。
そこに、人手不足が「解消」されず少ない労働者でますます多くの仕事をこなさねばならなくなる(つまり長時間労働)という事情が発生する。この事態は深刻であり過労死や自殺者は増え続けている。そこで政府は「働き方改革」などを持ち出すが、これが実施できるのはごく一握りの大企業か公務員くらいである。大半の労働者は過酷な労働の現実から逃げられない。
 日本も移民を受け入れればいいではないか、という声も企業経営者に多いらしいが、コトはそう簡単にはいかない。それはヨーロッパやアメリカでも見られるように国内の労働者の職を奪い、労働賃金を下げることになるからだ。
 第3に、労働者の生活必需品の多くが輸入品となり、労働力の安い国々でつくられる商品が安い価格で小売市場に並ぶ。それと同時に従来の国内産商品は「高級品」化されてしまい、富裕層向けの商品になっていった。生活資料商品の2極化である。そして大多数の労働者は格安の生活資料で生活するようになり、それによって生じる幾ばくかの貯蓄を老後の備えに振り向ける。
  だから資本家は「労働力の再生産費」である労働賃金を上げないし、とてもじゃないが「新たな消費欲」など起こらない。一方IT革命に乗っかって一旗揚げようと登場した新興企業や株の投資などで儲けた新興富裕層はステータスとして「高級品」を購入する。だからこうしたひとたちは「消費欲」が旺盛だ。「オカネで買えないものはない」というわけだ。「金融緩和」でジャブジャブ流れ込んできたオカネはこうした人たちのために使われるが一般労働者にはさっぱり回ってこない。
 こうした状況の背景には「資本のグローバル化」という問題がある。21世紀になってから顕著となった資本のグローバル化はもともと資本主義圏では進行していたが、20世紀末に旧「社会主義圏」が資本主義経済のネットワークに組み込まれることによって急速に世界規模で進んだ。
 グローバル資本は一方で生産コストをできうる限り抑え利潤をあげるために「安い労働力」をもとめ、他方ではその安い労働力を用いてつくった商品をできるだけ多く売ることで利益をあげるために「大きな消費財市場」を求めて世界中を駆け巡り、自身を拡大蓄積しながらこれを世界市場での互いの競争に勝つために投資し続けると同時に、その過剰化された部分を不生産的に(資本の再生産に結びつかないように)処理するための「大量消費」を生み出していった。
  いうまでもなく資本の過剰化はすでに20世紀中葉には限界状態となり世界大恐慌を引き起こす引き金となったが、その後、その過剰化した資本を不生産的に処理する方法、簡単にいえば無駄な大量消費(ケインズ的にいえば「有効需要の創出」)のための無駄な大量生産により経済を見かけ上「成長」させる方法を定着させ、それが第2次世界大戦以後の西側世界の経済の基調となってきた。
 1980年代の末にバブルがはじけた日本を除いて「リーマンショック」前まではそのグローバル化が比較的に順調?に進んでいたように見えたが、その後その矛盾が当然あちこちで噴出し始めた。その顕著な例の一つが表記の問題であり、また最近のヨーロッパやアメリカでの大量の移民流入や「自国第一」主義の登場もそうである。
(次回につづく)

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2017年7月14日 (金)

「連合」の堕落をもたらした労働者階級の現状への無知

 日本の労働者階級を代表する機関である「連合」が、安倍政権の進める「働き方改革」の一環としての「高度プロフェッショナル制度」(一般的労働時間規制から外す特令いわゆる「残業代ゼロ法案」)をこれまでの反対の姿勢から受け入れに切り替えた問題は、過労死した労働者たちの遺族や、傘下の労働組合内部からも大きな疑問と反論を生んでいる。

 そもそも安部政権の「働き方改革」そのものが基本的には、社会問題化している過労死や長時間労働への対策と同時に、無駄な残業や長時間化する労働時間を是正することで「労働生産性」を上げて「日本経済の活性化を図る」という形で資本家階級の利害を護ろうとするものであったのだが、すでに労働者側は「労使一体化」が浸透する労働組合の中で、「会社が利益を上げれば従業員の賃金や待遇も改善される」という思想が浸透してしまった雰囲気の中では、労働時間の規制を設けた労働基準法が実質的に無力化されている現実を追認するしかないという雰囲気があり 「裁量労働制」などにも見られるような「働き方改革」にも意義を申し立てる態度は見られなくなっていた。
 そのような雰囲気の中で、安倍政権は、一方で「働き方改革」を掲げることで労働者への理解を示すフリをしながら、同時に他方でそれだけでは日本の資本家階級が世界市場で勝てなくなることを知っていた。
 そこで、「高度プロフェッショナル制度」なる抜け道を作ったのである。「高プロ」はアナリスト、コンサル、為替ディーラー、金融商品開発などいわゆる金融資本関係の知的労働を行う分野の労働者を対象としている。つまりいまグローバル資本が資本主義の腐朽化段階(資本の過剰化が常態化しその処理に膨大な無駄の生産と消費を行いその回転を促進させる金融資本が利潤の原動力となっているという意味で「腐朽化段階の資本主義」という)で最後の頼みにしている金融証券市場での競争にもっとも求められる労働力部門である。
 この「高プロ」に連合は当初反対してきたが、ここに来て、突然部分的修正を条件に基本的に受け入れる態度に変化したのだ。この「連合」の豹変に労働組合内部からは「組合内民主制を踏みにじるものだ」、といった反発が出ている。現にこの部門の知識労働者たちがいま過酷な長時間労働に晒されているからだ。
 しかし、ここで問題なのは、労働者階級の代表機関としての連合が、なぜここまで資本家階級の御用組合化してしまったのかであろう。
 遡れば、1970年代半ばからの旧国鉄、公社などの「民営化」などを通じて現業で強い力を持っていた労働組合が無力化されていき、民間企業も「日本が世界第2の経済大国になった」ともてはやされる中で、労働者階級の上層部がいわゆる「中間層」を形成し、思想的な労使一体化が浸透していった。
  その過程で1960年代までは身体を使う労働を主体とした現業部門の労働者が多数派であったが、1970年代以降は、管理事務、エンジニア、デザイナー、商品企画、営業・販売部門、金融業などで働く知識労働者が多数派になっていったと考えられる。そのため「現業」を主体としていた労働組合は徐々に組織率を低下させ、思想的にも「御用組合化」していったと考えられる。
 この多数派を占めるようになった知識労働者階級が多数派として「中間層」を形成していったといえるが、彼らは、いわゆる「専門職」として、実は資本家の意図を代行する分業種であるのだが、そのことを自覚しない人々がほとんどであって、その意味で労働組合を組織したり既存の労働組合に参加することもなく、資本主義的イデオロギーの中に組み込まれやすく、いつのまにか思想的にはこの矛盾に充ちた資本主義社会の仕組みを「自由主義経済」としてあたかも普遍的な社会形態であるかのように思い込まされてきた。
 この傾向は旧ソ連圏の崩壊後、21世紀になって資本のグローバル化が進むことでさらに強まった。そして連合はこうした中での日本の労働者階級内部の変貌を労働者階級としての視点から少しも分析することができず、いたずらに「現実主義」「実利主義」として資本家的イデオロギーに取り込まれていったのだと思う。

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2017年7月 3日 (月)

都議選の結果に思うこと

 マスコミでは昨日の都議選の結果がトップニュースになっており、海外でもニュースになっている。自民党が公明党と袂を分かち劣勢となり、小池知事の「都民ファースト」が公明党や一部保守勢力を取り込み、民進党や共産党などの野党グループからも一部支持を得て圧勝した。

 フランスでマクロンが大統領選に勝って、その後国選で自らが属していた「前進」を「共和国前進」として保守や左派政党の一部を取り込みながら再編成し圧勝したのと似ている。
 これらの選挙の特徴は一見「革命」のように見えるが実は単なる「雰囲気」と「流れ」ではないだろうか?いまの政治はほとんどこれに支配されているといってもよいような気がする。
 マスコミやインターネットを通じて話題となったニュースがたちまち拡散し、そうした話題で「炎上」する。商業マスコミは「売れる記事」を貪欲に求めており、センセーショナルな記事が社会を騒がせて「売れる」ことを狙う。それが繰り返されてある「流れ」ができ、「雰囲気」が生まれる。人々はそれに乗っかって判断する。だからこの「流れ」と「雰囲気」が留まるとたちまち「民意」は混沌となり、やがて別の流れや雰囲気が生み出されていく。
 政治家達は巧みにこうした「流れ」や「雰囲気」を利用する。こうして自民党政権→民主党政権→自民党(安部)政権と政権が変わってきた。フランスやアメリカでもよく似た状況である。しかし、こうした「流れ」や「雰囲気」では常に必要以上の「期待」が渦巻き、やがてそれから来る「裏切り・ 落胆」が繰り返され、徐々にいらだちや過激な言動や増えていく。しかし肝心な問題はいつも取り残されたままである。 取り残され忘れられている領域に実は重大な問題が隠されており、誰もそれを取り上げない。
 ある意味これが現代の「民主主義」の最大の欠陥ともいえるのではないだろうか?「民意」といわれるものが、恣意的に生み出された「流れ」や「雰囲気」に乗った一種の流行に過ぎず(いわゆるポピュリズム)、そのため「民意」そのものがつねに深められ問題の本質やキーポイントに迫るような思考を妨げられている。だからいつも浮ついたしかし苛立って不満が爆発しそうな状態が生み出される。そして政治家はむしろそれを巧みに利用して自らの政治的権力を獲得し維持していこうとする。これが本当に民主主義といえるのか?
 小池「都民ファースト」もマクロンの「共和国前進」も似たようなもので、やがてその中身のなさがバクロされ、重要問題が取り残されたまま、無為無策や混乱で政治がかき回されることになるだろう。
 怖いのは、そうした混乱の後に必ず「強力なリーダーシップ」や「決められる政治」をカンバンとする強権的政権が支持を受け再びより強固になって登場することだ。こうしていまの「民主主義」は再び「独裁的政権」を生み出すことになる。
「民」はもっと賢くならねばいけない!

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2017年6月28日 (水)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その3:まとめ)

 2回にわたってこのブログで書いてきた現代の「既得権階級」に関する考察をその要点でまとめてみよう。

 (1)現代のいわゆる「既得権階級」とは、現実には賃労働と資本という矛盾的自己同一関係を基礎にしてその上に作られている社会の仕組みを普遍的な社会の形として暗黙のうちに認め、その仕組みや論理を「社会常識」という形でイデオロギー化することで、現実の階級関係を見えなくさせ、その上にあぐらをかいて世界中の労働者の生み出す富を「自由」に取得し所有できる既得権を持っている人々のことであるといえるだろう。
 (2)その「既得権階級」の構成実体は、本来の資本家階級はもちろんのこと、賃労働によって生きている労働者階級の一部、特に「中間層」と言われる上層部(主として知識労働者)の多くが含まれている。そしてもっとも過酷な状況に置かれている労働者たちや、そうした労働者の家族(特に子供)、そして労働できなくなった高齢者や障害者などが、その「既得権階級」から「落ちこぼれた」と見なされている人々であり、この格差は拡大している。
 (3)「既得権階級」の生み出すイデオロギーは例えばアメリカの民主党や共和党などのような「左派あるいは「リベラル」と右派あるいは「保守派」という形で対立する形をとり、両者の間の政策の違いや論争を通じてつねに軌道修正をおこなっているかのように見える。これをこの社会では「議会制民主主義」と言っている。そして社会の矛盾はこうした左派と右派の政策論争の中で解決されていくかのような幻想を生み出している。こうした左右の対立では新興資本家たちが旧来の資本家達の「既得権」を批判する意味で「左派陣営」を形成することが多い。また労働者階級上層部の人々もこうした「左派」を支持することが多い。
 そしてこれまで、「落ちこぼれ」と見なされてきた人々はこのどちらかの側を支持することで自分たちの生活が良くなると思い込まされてきた。だから彼らはときに右派あるいは保守派といわれる部分を熱烈に支持することもあるし、実際にそれによってある部分で生活が改善されたこともあったが、しかし本質的な矛盾は解決されず、つねに別の形をとって現れた。
 (4)この構造、つまり社会の基本的な仕組みにおける矛盾を覆い隠すイデオロギーによって真実を見ることができなくされている人々が、虚偽のイデオロギーを暗黙の前提としてその上で「左派」とか「右派」といった対立軸を形成し、そこに代議委員を送り込むことで本来それでは本質的に解決できない社会の矛盾を解決しようとする構造そのものがいま必然的に崩壊に直面していると考えられる。
 (5)この状態を脱するには、まず、いまの「支配的イデオロギー」のもつ虚偽性を明らかにし、社会の仕組みにおける矛盾の真実を、リアルな現状分析から突きつけることである。その上で、いまの「議会制民主主義」と言われる政治形態が本来の民主主義ではなく、たんに外見的形式だけがそう見えるという事実をあきらかにすること、それを通じて虚偽のイデオロギーが蓄積している「社会常識」という地層の下に埋もれてしまっている真実の岩盤を掘り起こし、その上に確固とした未来を実現できる社会を築き上げるための運動や組織を生み出していくことが必要なのではないだろうか?
 どこかの資本家企業に雇用され、あまり楽しくない労働を一日中行いながら生活し、会社が他企業との競争に負けていつ「合理化」で失業したり配置転換になるかとびくびくしながら生涯を送るのが人生なのではなく、それぞれの場でそれぞれの形で働くことで社会をともに支えながらともに自分の存在意義を確認し合える共同社会の実現は、夢ではなく、現にいまではそれが一つの国の中だけではなくグローバルな形で世界中の人々がそうした形での連帯共同社会を生み出しつつあるのだ。それが「既得権階級」の「支配的イデオロギー」によってゆがめられ、空虚な「民主主義」か国家主義や民族主義などという形を目指すべきであるかのように思わされているだけである。
 もし世の「有識者」が本物の「インテリ」であるならば、そこに向かって真実を語ることができなければならないだろう。

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2017年6月27日 (火)

「有識者の見解」を巧みに利用する安部政権の保身作戦

 ニュースなどでも伝えられるように加計学園問題を巡る文科省元官僚や現官僚たちと首相・内閣グループとの対立は、都議会選挙での自民党の敗北につながりかねないということで、安倍首相は必死の巻き返しに出た。まずは、獣医学部新設に関する「岩盤規制」を破るために行った「特区」による「ドリル」作戦は中途半端だったために誤解を生んだので、むしろこれからどんどん獣医学部が必要なところに新設を認めるような方針でいきたい、と逆手の強硬姿勢を打ち出した。そしてそれと同時に、安倍首相得意の「奥の手」である「有識者」を集めた政権支援の記者会見を流した。ここで集められる「有識者」はもちろん安部政権の太鼓持ち「有識者」であり、例えば安倍政権に直結する地方自治体首長や自民党御用学者の竹中平蔵氏などなどである。この「有識者」たちは、いまの法的規制を「破るべき岩盤規制」と見なし、「規制緩和」こそが需要拡大や経済活性化につながると強調する連中である。

 しかし、考えてみればおかしな話であって、そもそもそうした「規制」は国会での議論を経て立法された法律なのではないか。そこに自民党も関与してきたわけであり、なぜどのようにその法規制が制約となっているのかを国会の場で正々堂々と議論し、そこでまっとうな手続きを経てその規制を改めようとしないのだろうか?
 小泉首相の時も、「郵政民営化」を規制緩和の象徴としてぶち上げていたが、郵政が民営化されたいま、一番困ってるのは過疎となった地方の住民である。「儲かる」ことだけがすべての社会であれば「民営化」があたかも経済活性化と同義語のように使われるが、そもそも鉄道や郵便事業などの様な公共サービスは「儲かる」ことを主体にやったのでは社会全体に公平なサービスができなくなるのは当然である。その矛盾はいま「経済活性化」の必然的結果としての人口の首都圏集中に伴い取り残された過疎地帯で明白に示されている。こうした公共サービスは税金をうまく使った形で経営するのがまっとうな方法だろう。
 そして小泉政権の「規制緩和」は「自由に働けるため」と称して雇用に関する法律に手を加えて、労働者の立場を護るための法律は企業側に都合良く変更され、その結果非正規雇用労働者を激増させいまの格差社会の引き金を引いたのである。 このときも竹中平蔵氏は小泉政権の「規制緩和」協力者としてそれを強力に推進させたことは記憶に新しい。
 そしていま、安倍政権は、再び自分のとりまきである「有識者」を巧みに使って、何もしらない庶民を彼のイデオロギーの賛同者に仕立て上げようと必死になっている。加計学園問題での官僚達の反乱や野党からの批判をあたかも「抵抗勢力」であるかのように民衆に対して「印象操作」しているのである。
 このブログの前回と前々回でも述べた様に、支配的イデオロギーを支える「インテリ」たちが果たす役割は、この強権的政権の中にある虚偽を覆い隠すことにある。庶民はこういう「インテリ」の言うことや記事を鵜呑みに信用すべきではない。そうでないと知らず知らずのうちに彼らに「洗脳」されてしまうからだ。

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2017年6月23日 (金)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その2:支配的イデオロギーからの解放に向けて)

 現代においては前回に述べたように、いわゆる「リベラル派」の多くが実は新興資本家階級であったり、ゴリゴリの独裁的国家主義・民族主義者を支持している人の一部が労働者階級であったりするのである。

 このことは社会の実質的支配・被支配関係が多くの場合、虚偽のイデオロギーによって隠蔽されているといってもよいだろう。そして教養と社会常識に充ちた「プチブルジョア的」インテリ(いわゆる「有識者」などとして)の見解が労働者の実体を代弁することなく、むしろ支配階級のイデオロギーを代弁することにもなるのである。
だから被支配階級のそれに対する違和感や反感がときには極右・民族主義など過激なイデオロギーに代弁されたりすることにもなる。
 例えば、次の様な一般的には「社会常識」と言われる考え方が実は支配階級のイデオロギーであることはこうした「インテリ」の思想には決して表れない。
(1)社会の中で自分が努力して築き上げた財産を私有することは当然であり、これに高い税金をかけるのは間違っている。
(2)購買者が必要としているモノやサービスを商品として提供している企業で働く人たちは当然購買者の要求を最大限に重視してたとえ犠牲を払ってでもその要求に応えることで会社にも貢献しなければならない。
(3)企業の利益が増え、社会が豊になって労働者の所得が増えるような政治を行ってくれる政治家や政権は支持しよう。
*などなどこのほかにもいくらでもある。
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 (1)は、アメリカ共和党支持者に代表される思想であるが、日本でもこれを支持する人はもちろん多い。しかし、自分が努力して築き上げた財産と見えるものは実は自分一人で築き上げたのではなく、実際にはそれは他人の労働の成果の一部を「無償で横取りする」ことによって獲得されたものであり、 しかも社会全体の中で労働者達が互いに関係し合いながら全体の中の部分である自分が他者との共同作業で生み出した労働の成果なのであって、本来社会全体の共有財であるべきものが個人の占有する私有物になってしまっているのである。
  こうした社会システムが資本主義社会の本質的特徴でなのである。そこから例えば社会全体で負担すべき社会保障費などのために私的財産に高い税金をかけるのはおかしいという考え方が生まれるのである。オバマケアを廃止させたトランプはまさにこれである。
 (2)について言えば、社会を支えるために働く人々が、労働の場では生産手段を所有する資本家的企業に雇用されて働くために、「生産者」としてその企業を経営する機能資本家と一括りにされる。しかし、自宅に帰って日常生活の中で労働力の再生産を行うときは「生活者」あるいは「消費者(生活資料商品の消費者)」として別のカテゴリーに括られる。一個二重の矛盾的存在なのである。
  そして労働の場では、経営者は会社の利益を増やすためにがんばっているのだから従業員も一丸となって会社のためにけんめいに働かねばならないという意識を植え付けられ、長時間労働や過酷な労働にも歯を食いしばってがんばり、労働の場から解放されて自宅に戻って「消費者」になると自分の求める商品やサービスへの対応が悪いといってその商品を売る会社の労働者にクレームをつける立場になる。こうして知らず知らずに間接的に同じ立場にある他の労働者を責め自分たち労働者階級としての立場を悪化させてしまうのだ。
 (3)については、市場競争の中で企業の利益が増えてもそれがそのままそこで働く労働者に還元されるわけではなく、企業が厳しさを増す競争の中で少しでも利益を増やせる限りのみ、そのほんの一部を労働者の賃金に上積みし、しかもそれによって労働者の生活資料商品への購買力を増やし、そこで再び生活資料商品を販売する資本家企業が利益を上げるという仕組みが出来上がっているのである。
  これを資本主義経済学者は「経済成長」と言っているが、このいつわりの「成長」は資本の無政府的「自由」競争の中でいつか必ず、企業利益の減少という局面にぶち当たり、そこでその企業は「合理化」の名の下に従業員数の大幅削減を図るか、他の大企業に彼の会社を従業員ごと売り渡してしまうのである。
 結局、資本主義社会とはさまざまな形で個別に社会的分業を行っている企業がそれぞれの分野の機能資本家によって経営され、そこで労働者は例外なく、自分の労働力の再生産に必要な生活資料の価値を生み出すに必要な労働時間をはるかに超えて働き、そこでうみだされた剰余価値部分を自ら意識しないうちに無償で企業に提供させられることになり、企業はその剰余価値部分を含む商品を販売し利益を獲得することで成り立つ社会なのである。
  つまりここでは「搾取」とはムチで叩かれながら奴隷のように労働するというようなことではなく、普通の労働の中に「1日何時間で週何日働く」といった労働契約の中に必ず組み込まれている「搾取」なのである。そして資本家経営者にとっては「価値の源泉」である労働者が絶対に必要であるとともに、そこではつねに労働者は彼らに富を生む手段(つまり道具)として位置づけられ、社会的生産の場では表面的には資本家達と同じスーツにネクタイのサラリーマン姿であっても実質は「賃金奴隷」としてその仕組みに縛り付けられなければ生きてゆけないのである。
  だからその「消費者」としての生活は資本家的商品を消費する(この消費にはモノだけではなくコトやサービスも含まれる)ことにしか「人生の歓び」を見いだすことができないのである。
 こうして本質的に階級社会である資本主義社会は表面的には「自由・平等・民主」という形に見せかけ、経営者と労働者がその利益をともに分かち合う社会の様に見せかけようとするそのイデオロギーを「社会常識」とする者たちが支配階級としての「既得権」を保持していくのである。

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2017年6月21日 (水)

現代の「既得権階級」とは何だろう?(その1:トランプと安部のイデオロギー)

 トランプ大統領が過激な発言や政策で危険視されながらも多くの白人労働者階級に支持され、ヨーロッパでもフランスでのマクロンの勝利やイギリスでの国民投票の結果によりBREXITを推進しようとする保守党内閣が国選では敗北するなどの「揺り返し」が起きているにもかかわらず、相変わらず多くの国々で「極右」国家主義的政党が労働者階級の支持を得ている。なぜか?

 コトはそう単純ではなさそうだ。今朝(21日)の朝日朝刊「オピニオン」欄「ピケティーコラム」でのピケティのアメリカ政治情勢分析は興味深い。かつてルーズベルトが打ち出したニューディール政策では、19世紀ヨーロッパでの富裕層による貴族的寡頭政治での社会的不平等への反省から、所得税の累進課税制を取り入れ、相続税を取り入れ社会的不平等を縮小しようとした。それによりアメリカは戦後繁栄の時期を迎えたが、共和党などの根強い反発に乗って1980年にレーガンが大統領となって事態は一変した。所得税の最高税率を大幅に下げ、富裕層に有利な政策を採った。そしてその30年後、ブッシュJrが最初に相続税を廃止しようとしてからさらに10年後、トランプが相続税を完全に撤廃し、法人税を大幅に引き下げた。富裕層への大きなプレゼントである。
 それにもかかわらず、白人労働者階級は、「アメリカ・ファースト」による雇用の増大というトランプの公約に期待しトランプを支持する。その背景には、共和党が巧みな戦略で国家主義者のレトリックを操り、反知性主義をはぐくみ、民族・文化・宗教間の対立を煽り、労働者階級の分断を図ってきたことがある。さらに、公民権運動や社会福祉があまりに黒人層に偏りすぎているという不満を持った層が、共和党に流れていった。そして今年トランプがオバマケアの撤廃という措置でこれに応えた。そしてその間、民主党の支持者は高学歴者とマイノリティーにどんどん偏って行ったというのである。
 このピケティーの分析から窺えるのは、いまやアメリカの「既得権階級」とは共和党に代表される資本家など従来の富裕層を指すのではなく、いわゆる「リベラル中間層」やIT産業などで活躍できる高学歴労働者、そしてそれらの思想を代弁するリベラルインテリ層であり、その中に公民権運動などで台頭した黒人マイノリティー層なども含まれると考えられる。これらはおおむね民主党支持層である。
  これに対して公民権運動からも疎外され、資本のグローバル化に取り残されたラストベルトの白人労働者階級などは、民主党に代表される「リベラル派」と対決する富裕層を代弁する共和党トランプ派の支持者になっていったというわけだ。こうした反既得権意識を持つ人々をかき立てているのがマスコミが影響力を持ついわゆる「ポピュリズム」的流れであろう。
 そして日本の場合を考えてみよう。長く続いた自民党政権の金権体質の既得権政治にうんざりし、民主党政権に期待をかけたリベラル派支持層はその失政と無為無策によって完全に裏切られ、その多くが安部政権支持に回ったと思われるのだが、旧自民党政権でさえ成しえなかったほど右寄りの安保法制、共謀罪法案、などを強行に成立させ憲法改定に突き進むと同時に法人税の大幅減税を決行し、しかも権力を利用して自分のお友達を優遇する政策を進めたりする安倍政権にいまだ支持率40%近くを与えているのはなぜだろうか?
 その原因の一つとして考えられることは、高度成長期に「企業戦士」として過酷な労働に耐えて「経済成長」をもたらし日本の資本家階級を太らせてきた労働者階級がその内部で「格差」を増大させ、その上層部が「新富裕層」となっており、こうした階層が新たな「既得権階級」の一部を形成していると思われ、その階層の大半が 「リベラル・インテリ」の思想を支持していたことが考えられる。
 日本のマスコミで有力な位置をしめているのがこうした「リベラル中間層」のいわゆる「中立的視点」であり、こうした層の安倍政治への批判がきわめて脆弱であるばかりでなく、その層の思想を代弁する「リベラル・インテリ」の一部がいわゆる「有識者会議」のメンバーとして安倍政権の方針決定にまで参与しているのである。したがって当然多くのいわゆる中間層がそれに影響されているといえるのである。もちろんその背景には政権による巧みな世論操作という隠れた意図があるのはもちろんだが。
 致命的なのはこうした 「リベラル・インテリ」の視点が労働組合組織にまで浸透し、政権が打ち出す「働き方改革」とか「誰でもチャンスを得られる社会」とかいう偽りの宣伝文句に対して何ら批判ができず、「経済成長のためには企業活動を盛んにする必要があるから」という理由で法人税が引き下がられ、その一方で「社会保障を維持していくために消費税の引き上げが必要だ」などという根本的な誤りにも無批判で、「経済が不況になれば雇用が失われる」と脅され、 失業率が減ったとか株価が高騰したとかいう資本家的視点での社会観に振り回されているだけなのである。
 その一方で社会の格差や矛盾はどんどん進行しつつあり、それは決して表に出ることのない深層で社会の土台を崩壊させつつある。
 このままでは社会の深層にある「既得権階級」への不満や怒りがポピュリズム的流れに乗っておかしな方向に噴出し、日本でもより過激な「右翼国家主義」的政党や民族主義が台頭し、周辺諸国と軍事力を競い会うような時代が来るかもしれない。そうなれば大きな犠牲を払わされるのはいつも多くの労働者階級自身である。歴史を繰り返してはならない。

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2017年6月12日 (月)

トランプ迷走の後に来るもの

 クビにされたコミー前FBI長官の証言でトランプ大統領はロシアンゲート問題で追い詰められるかと思いきや、持ち前の鉄面皮と傲岸で危機を何とか逃れそうだ。さすが辣腕の資本家だ。

 その一方でトランプがサウジ訪問で両国の蜜月関係を誇示したこともあって、日頃からサウジと仲が悪かったカタールがサウジの取り巻き諸国から断交された。これでイラン、トルコ、カタールとサウジ取り巻き諸国との対立が深まり、もしかすると一番漁夫の利を得るのは追い詰められているISISかもしれない。
 しかし、いったい北朝鮮問題はどこにいってしまったのだろうか?トランプの強行姿勢でまるで明日にでも日本海の米原子力空母と北朝鮮のミサイル基地との間で戦闘状態が始まるかのようだったが。トランプが頼みにしていた中国はやはりこれ以上北朝鮮には圧力をかけないだろうし金正恩もしばらく様子を見ながらときどきミサイルを打ち上げて手応えを見るだろう。アメリカの原子力空母はすでに日本海から撤退を始めたらしい。おそらく巨大な原子力空母を2隻も臨戦態勢に留め置くには莫大な戦費がかさみ、手を引かざるを得なくなったのだろう。
 ロシアンゲートの危機をなんとかくぐり抜けたとしても、トランプの支持率はガタ落ちである。パリ協定からの脱退で世界中の環境問題関係者や一部の資本家からさえも総スカンを食らい、オバマケアに代わる医療保険制度も頓挫し、メキシコ国境の壁建設も危ういし、イスラム諸国との出入国制限も司法の反発が強く難しくなっているし、八方ふさがりである。
「アメリカ・ファースト」で雇用が戻ってくるかと期待した労働者たちもそろそろその期待が幻想であったことに気づき始めているようだ。
 問題はこの「アメリカ・ファースト」のトランプ体制が怪しくなった後で、いったい何が起きるのかである。一方でルペン大統領が登場するかもしれないと言われたフランスではマクロンが大統領になって国会議員選挙でも与党「共和国前進」が過半数を超えドイツと手を組んでEUの維持強化を図るだろうし、イギリスはBREXITで世界を驚かせたあと、勇ましく歩き出そうとしたメイ首相の与党が国会議員選挙で予期せぬ敗退となり、過半数を割ってしまった。
 いまや「自国第一主義」は影を潜めつつあるように見えるが、本当にそうなのであろうか?
おそらくアメリカやヨーロッパの下層労働者階級は、またしても既得権階級が主導権を握ったとなれば、黙ってはいないだろう。フランスでもまずは様子見でマクロンにやらせてみて、「ダメならまたひっくり返してやるぞ」という雰囲気がある。
 アメリカではトランプが担っていた下層労働者階級の期待は裏切られつつあるが、おそらくトランプには次に打つ手はないだろう。しかしトランプが退陣した後で再び民主党や共和党の既得権階級が政権を握るなら、彼らも「再びひっくり返してやるぞ!」というだろう。
 そしてわが日本ではどうであろうか?森友・加計問題で見え見えのもみ消しを行いながら、何とか政権を維持している安倍政権は、マスコミ操作や世論操作によってその「共謀罪」成立、憲法改定に向けての強引な運営でこの状況を切り抜けるかもしれない。もう日本の有権者は「長いものには巻かれろ」的に安部の政権運営手法に完全にコントロールされているかのように見えるからだ。のど元過ぎれば何とやらで、有権者はすぐに忘れてしまうだろうとまったく馬鹿にされきっている。まったく悔しいではないか!

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