経済・政治・国際

2018年1月 4日 (木)

「銃火なき戦争」の場と化した国際経済

 アメリカは「アメリカ・ファースト」を叫び一方で中国を将来の「仮想敵」とみなしながら、他方では互いの貿易における共通利害を求めようとしている。20世紀後半以後の世界資本主義は、経済的互恵関係こそ戦争でではなく平和に国際関係を保っていくベストな方法だと考えるようになってきている。これは一見「正論」のように思えるが、その内実は結局、資本家や投資家が支配し「儲ける」ための取引関係であって、決してそのイメージほど穏やかではない。

  中国とアメリカの関係を見ていても、両者とも相変わらず軍備の拡張を続けている。「戦争抑止力」と称した軍事力を背景とした関係がなければ大国間では経済的互恵関係が現実のものになりえないからだ。
 そしてこの両大国の狭間に置かれた韓国や日本や台湾、フィリピン、そして東南アジア諸国だどでは、両者の軍事的バランスと自国の経済的利害を天秤に掛けて「したたかな」外交戦略を立てねばならなくなる(日本は両大国に匹敵する大国だと思い込みこうした外交を怠っているようだが)。
  こうしてまさに「騙し合い」的な駆け引きが繰り広げられる。この「騙し合い」がうまくいかなくなると途端にキナ臭い戦争への準備が始まる。 それが外交というものだと言ってしまえばそれまでだが、この現実においては決して経済的互恵関係が恒久平和をもたらすことなどないということが分かる。
 そして現代のグローバル資本といわれる国際的な過剰資本の循環による根無し草マネーによる「好景気」もつねにその背後にこのキナ臭い軍事パワーがちらついているのである。
 しかもこの「経済的互恵関係」は互いに勝つか負けるかかの激烈な競争と戦いにおいて成立している。資本主義社会は「自由競争」が原則だからだ。
 この「自由競争」の中では絶えず、さまざまな国の労働者階級が生きるための必要条件から「自由」に、つまりそこから切り離されて競争の敗者によって「ゴミ」として捨てられている。そしてその「ゴミ」が勝者によって生み出された「人手不足」を補うために再利用される。こうしていまは「グローバル根無し草マネー」のおかげで「経済好調」の国では失業率が下がっているのである。
 そこには戦火こそないが、つねにマネーを支配しようとする者たちの競争の道具としてこき使われ、要らなくなれば捨てられ、また拾われるという形で人生を彼らによって完全に振り回され続けている膨大な数の人々が世界中に存在している。そして一兆ことあれば、戦争の準備が始まり、そこに闘う先兵としてこれらの人々が駆り出される。
 それがいまの「経済的互恵関係」をめざす資本主義社会の現実の姿である。

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2017年12月25日 (月)

自由主義という名の独裁体制

 前のブログで書いたオランダのヘルト・ウィルダース率いる「自由党」は党首だけが公認党員であって他は彼の取り巻きに過ぎないようだ。党の中で決めごとがあるときも党首と異なる異見をぶつけても「そんなことはあまり意味がないだろう」と一蹴され無視される。こうして「効率よく」党の方針や政策が決まる。

 彼は「自由」を主張し、EUでは各国の自由が認められないと攻撃する。彼のいう「自由」は異なる意見とのディスカッションの自由ではなく自分の主張を押し通す「自由」なのだろう。その方が黒白がはっきりするし。分かりやすいからだ。
 この風潮はいまのトランプ大統領や安倍首相にもある面で共通しているように思われる。かつて民主党政権は「決められない政権」と言われ、政権の座を降りた。それに代わって登場した安部政権は「決めることができる政権」を看板とする。そして「決めるためには、余計なディスカッションは不要である」と言わんばかりの議会運営である。トランプもしかり。異見を唱える側近はすぐ「クビ」になる。
 この風潮はグローバル資本時代にカリスマ的資本家経営者や投資家が腕を振るうようになったことの影響かもしれない。資本主義社会は「自由主義」を看板とするが、実はこの「自由」は競争に勝つために資本主義的法則(いわゆる市場の法則)にのっとって決断し実行する「自由」であり、それには独裁的経営者が必要なのである。ガタガタいう役員と論争を起こして決断できない経営者はたちまち競争に負けてしまうからだ。そしてこのことが経営陣内部での「忖度」を生み出す。「空気を読め!」という暗黙の了解だ。
 いまの政治もこれとほとんど同じになっている。そこには本当に何が正しいのか長い時間を掛けてでも自由なディスカッションをして物事を決めるという風土はなくなってしまっている。効率重視という名目で異見は抹殺される。トップダウン志向である。
  そういう意味でもはや本来の自由は死んだ。残るは形だけの「自由」である。それは毒にも薬にもならない「自由な意見」であり、人に害を与えないなら何をしてもいい、という程度の「自由」である。今日は平和に見えても明日は何が起きるか分からない。しかし成り行きは「お上」に任せるしかない、というわけだ。だからこの潜在的不安の中で若者達はスマホの中のバーチャルな世界に「自由」を求めるしかなくなっている。
 こうして一見平穏で平和に見える社会だが、その底では当然のことながら矛盾が鬱積し、不満といらだちが渦巻き始める。そしてテロや無差別殺人事件などが起きる。こうした政情で別のカリスマが登場し、この潜在的不安や不満をくみ上げるような主張をすればたちまちこの人物が新カリスマとなっていく。現状ではそれを繰り返していくのではないだろうか?
 われわれはそんな「いやな時代」に生きているのだ。

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「ポピュリズム」と「リベラリズム」という対立の基礎にあるもの

 今朝のNHK-BS1で放映していた大越キャスターのオランダ・レポートは面白かった。

 オランダでは最近ヘルト・ウィルダース党首率いる「自由党」が移民排斥を主張して支持を集めている一方でそれに真っ向から反対し、人種・性差別反対などを主張する「緑の党」がやはり支持を集めている。これは移民問題をきっかけに「自国第一」を掲げて台頭しつつある右派ポピュリズムと旧来から「寛容」を自任する「左派」リベラルグループの対決という形をとっているように見える。
  同様な動きはオーストリアでも見られ、アメリカでは先の大統領選で「トランプ対サンダース」として話題を呼んだ、そしていまその延長上で世の中は分断されつつあるかのようだ。
 しかし、興味あることはいわゆる「右派」ポピュリズムを支持するのは低学歴の労働者層が多く、「左派」リベラルを支持するのは高学歴労働者やインテリを中心とした「中間層」が多いことだ。
 右派は資本家や金持ちを中心とした支配層で、左派は労働者や小市民を中心とした層が支持しているという古い図式はすでに崩壊しているようだ。
 大越キャスターのゲストとして登場した千葉大の水島教授は「ポピュリズムは現代社会の中で起きつつある問題を警告するアラートだ」と述べていたが、私はこの「ポピュリズム」対「リベラリズム」という形で現れている「対立」は底辺では同じ問題を抱えており、その表現の仕方が異なっているに過ぎないのではないかと思った。
 その大きな要因のひとつは20世紀末に起きた「社会主義圏」の崩壊と「社会主義」思想への失望、そしてそこから始まった資本主義体制の世界支配(グローバル化)であろう。「旧社会主義圏」で生き残った中国は鄧小平以後、経済的にはほぼ完全に資本主義化され、そこで発生した民主化への動きを封じ、逆に強力な一党独裁体制の元で効率よく急速に「経済成長」(つまり資本主義化)されていった。そしていまアメリカや日本を脅かしつつある資本主義大国となった。
 こうした中で世界経済を支配する資本家や投資家達が世界中を資本主義市場の競争激化の渦中に引き込み、安い労働力を求めてグローバル資本が国境を越えて労働者が生み出す莫大な富を奪い合うようになっていった。その一方で各国の労働者は国境の中に閉じ込められ、「生活水準の差」(これが何を意味するのかは重要な問題なのだが)による労働賃金格差を利用したその国の支配層による政治的・組織的搾取がその国の「経済成長」と「富」をもたらし、その国の内部では「格差」がどんどん増大して行ったのだと思う。
 この状況で石油産出国とそうでない国との間の確執や宗教的対立を内包しながら、経済的にも文化的にも資本主義の圧倒的な支配を受けているイスラムの人々の一部が西欧の資本主義体制に対抗してテロやイスラム主義の主張を掲げて対抗しようとしたがかえって内部矛盾が激化させてしまい、それを逆に利用しようとする欧米やロシアなどの資本主義大国の介入により悲惨な内戦状態にもつれ込んでしまった。
 そこからヨーロッパへの大量移民が始まった。それは移民を受け入れる側のヨーロッパ諸国の人々にそれまで社会の底辺を支えるために寛容に外国人労働者を受け入れてきた労働者層の人々が自分たちの職を奪い、自分たち独自のコミュニティーや文化を侵食されるという危機感を生んだ。それが排外主義的ポピュリズムの「分かりやすい」しかし中身のない思想に共鳴して大きな社会現象になっているのだと思う。
 一方で「リベラル派」は、これに対抗して人種差別や性差別反対を掲げるが、彼らの多くは実際に社会の現実を直視し体験したことがなく、「社会はこうあるべきだ」といういわば「抽象的正義」を掲げているのである。それはそれで正しいかもしれないが、現実に職を奪われ食うに困る羽目になっている人々にはそんなことは二の次で良い問題だろう。
 問題はなぜヨーロッパの下層労働者達が、本来そこで生きるべき場所を奪われたイスラム圏の下層労働者を「敵」として排斥しなければならなくなっているのかである。グローバルに資本という形の富がどんどん蓄積しているのに、それによって国による経済的格差やそこに住む人々の「生活水準の差」がなぜ大きくなるのか。
  西欧やアメリカ、日本などではグローバル資本の「おこぼれ」で潤う労働者階級上層部が「中間層」を形成しているが、実はそうした人々は「開発途上国」の低賃金労働者や貧しい農民達の労働の搾取から得られたグローバル資本企業の莫大な富の恩恵を間接的に受けているのである。中間層からは一方で新興資本家や投資家になり富裕層になっていく人もいるが、他方では現役時代に過酷な労働に耐え、資本家に莫大な利益を得させてやったにも拘わらず退職後、年金生活としてさみしい独居生活を送る老人や、その子孫の世代では子育てもままならず結婚も出来ない若者達が多数出ている。
 もしそこに外国から貧しい人々が大量に入ってきたらそうした人々は一斉に反発するだろう。本来ならともにグローバル資本の「被搾取階級」として国境を越えて共通の立場にあるはずの人たちと対立しなければならなくなるという悲劇。「ポピュリスト」も「リベラリスト」も問題をこうした事実から把握し直さなければ根本的解決は見いだし得ないだろう。
 

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2017年12月11日 (月)

「人づくり革命」と「生産性革命」のもたらすもの

 安倍政権のあらたな2大看板である「人づくり革命」と「生産性革命」は、「革命」の好きな首相らしいスローガンだ。その「意義」ともたらされるであろう結果について考えてみよう。

 「人づくり革命」は現在の少子高齢化と人手不足という「国難」を乗り越えるべく、幼児教育の無償化と大学授業料の補助という形で、次世代をになう優秀な人材を育てることが目的だ。人材の育成には幼児期が重要である。また義務教育を終えて大学を受けたくとも入学料や授業料が高すぎて進学できずあきらめている低所得者の子どもたちには支援が必要だ。これは所得格差による教育機会喪失を防ぎ、次世代をになう優秀な人材を育てるという「意義」がある。ナルホド。
 そしてこのようにして高等教育を受けた人材がITやAIの世界で活躍し、その結果、それらの技術を取り入れて人手不足の中で生産性の向上に役立つ、というわけだ。ナルホド。してこれらがもたらす結果や如何に?
 これまでの「経済成長」と資本のグローバル化により貧困化させられてきた労働者階級の人々は、建設業や運送業、工場労働者など「中間層」の青年達が毛嫌いする職種で非正規雇用の労働者になっている人たちが多い。これらの世界では「人手不足」が深刻だ。それはこうした「手を汚す」労働が社会生活のインフラを維持して行くためには必須であるにも拘わらずなり手が少ないからだ。この世界ではすでに「技術研修生」などという名目で来日した外国人が労働者として活躍している。
 一方、国際市場で熾烈な競争をしているハイテク産業などでは優秀な技術者や事務管理者が必要である。こうした高度な「頭脳労働」を要求される職場には高等教育を受けた人材が必要であり、彼らは高給で雇用される「中間層上層部」である。そして彼らの中から次世代の経営陣が育成されていく。だからこうした人材を育てるために教育支援が必要なのだ。
 こうしたハイテク企業の産物が生活に入り込んでくると、IoTなどといってすべての家電機器がインターネットにつながり、「超便利」になるというふれ込みであるが、反面サイバーウイルスによって攻撃され一瞬にしてすべての機器が使用不能になったり、クレジットカードのIDなど個人情報が盗まれるリスクが格段に増える。すると次にはウイルスプロテクトソフトの企業が大儲けできるようになる。新興資本家にとっては「ビジネスチャンス」はいくらでもあるのだ。
 しかしそんなことばかりやっていてこれから世の中はいったいどうなるんだ!サイバー世界がリアルな人間の世界に取って代わってしまい、あたたかい人間関係や助け合いのあったかつての生活はどこにいってしまったんだ!次世代をになうべき若者をスマホというサイバー麻薬の世界に引きずり込んでしまったのは誰か?
 一方、生産場面では人手不足を補うためにAIなどによる「合理化」が進み、人間の労働者の代わりにロボットが働くようになる。こうして生産性はどんどん高くなるが、一方で失業者が増える。そしてここで働いていた労働者達は結局「手を汚して働く仕事」にしか就けなくなる。AI化が進みやがて頭脳労働にもAIが導入されるようになると、「生産性向上」のため 人間の労働者は減り、かつては「高給取り」であった頭脳労働者も失業の危機にさらされる。
 こうして「人づくり革命」と「生産性革命」はさらなる「国難」を生み出していく。
  アメリカで民主党政権がやはりハイテク産業に対応する「中間層」になれるために下層労働者の職業教育などを推し進めようとしてきたが、その一方で忘れられた「手を汚して働く」労働者たちからの猛反発を受けて、彼らの支持するトランプが大統領になった経緯がある。
 世の中には「手を汚して」働く現場の労働者がおり、かれらの働きがわれわれの生活の土台を維持するには必須の存在なのだ。「ハイテク頭脳労働者」はこうした「手を汚して」働く労働者達を低く観て馬鹿にしているが、実は本質的には同じ立場であることを忘れるな!
 さもなくば、いずれはこの労働者階級内部の「格差」増大と対立が「国難」を理由に虚偽の「革命」を叫ぶ支配階級を利することになるからだ。
 問題はなぜ、かつて歴史的高度成長をもたらし、資本家に莫大な富を得させてきた日本の労働者階級の子孫たちがいまなぜかくも大きな「格差」に苦しみ、結婚も出来ず、子育てや進学もできず、孤独で絶望的な人生を送らねばならなくなっているのか、である。問題の本質を見ずして「革命」などと叫んでみてもかえって新たな問題を生み、いっそう社会の混乱を増すだけであろう。

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2017年11月17日 (金)

「リベラル派」がはらむ根本的問題点(修正版)

 15日の朝日朝刊に、「米民主党苦悩の背景」と題してラストベルト地方の党委員長、デビッド・ベトラス氏へのインタビュー記事が載っていた。一地方委員として民主党の選挙運動を担ってきた現場の人間から見た民主党敗北の要因がリアルに語られていた。

 彼はいう、「(民主党は)配管工、美容師、大工、屋根葺き、タイル職人、工場労働者など、両手を汚してい働いている人に敬意を伝えるべきです。(中略)彼らは自らの仕事に誇りを持っている。しかし、民主党の姿勢には敬意が感じられない。”もう両手を使う仕事では食べていけない。教育プログラムを受け、学位を取りなさい。パソコンを使って仕事をしなければダメだ”そんな言葉にウンザリなんです。そして民主党が性的マイノリティー問題や人種差別反対の主張を「メインディッシュ」にしてきたが、それは必要なことではあるが本来は「サイドディッシュ」であって、人々の関心は、良い仕事があるか、キチンと家族が養えるか、子の誕生日にパイを用意できるか、教育を用意できるか、十分な休暇を取れるか、自分の仕事に誇りを持って引退できるかです。これらが本来「メインディッシュ」であって、「サイドディッシュ」より重点的に扱われなければならないのです。」
 ベトラス氏はこのような実態に対して党中央が無関心になっていることが敗北の原因だという。そして党中央はカリフォルニア州などのハイテク企業関連の超富裕層からの莫大な献金で潤っているのでこのような感覚になってしまったと批判している。
 ここで、もう一つ、昨夜のNHKTVの「クロ現プラス」でかつて民主党副大統領で「不都合な真実」という著作で有名になったアル・ゴア氏とのインタビューを放映していた。
  ゴア氏は二酸化炭素による気候温暖化のもたらす深刻な被害の事実を認め、これを防ぐためにパリ協定の合意に向けた精力的活動をしてきた。当然、トランプの政策には真っ向から反対している。また彼自身、再生可能エネルギー産業に莫大な投資をして化石燃料エネルギーに変わるクリーンエネルギー体制の強化に努めてきた。
  インタビューでは、その業績を称えると同時に最後に「あなたのことを再生可能エネルギーで莫大な利益を上げて超富裕層になった人と揶揄する人がいますが」という質問に対して、彼は、「最初からお金持ちになろうとしたわけではなく、結果としてそうなったのであって、再生可能エネルギーが主流となることによって経済成長ももたらされることを主張したい」と弁解していたのが印象的だった。
 確かにゴア氏の主張や考え方は一応正しいと思われる。しかし、ここで肝心なことが語られていない。それはここでも言及されている「経済成長」である。「経済成長」はいまの世に中では「消費拡大」とほぼイコールの意味で使われている。しかし最大の問題は地球上で限られた蓄積量のエネルギーの消費量をできうる限り減らす努力であって、ムダな生産とムダな消費によって成立する現在の資本主義経済体制の矛盾を根本的に克服し、ムダなエネルギ-を使わずに経済的に成り立つ社会を目指すことがいまの最重要課題だということではないか?つまり目指すべきは再生可能エネルギー化を巻き込んだ「消費拡大」ではなく、世界全体で「必要なものを必要なだけ生み出せば足りる社会」を実現させることであろう。
 そしてベトラス氏の指摘しているように産業技術のハイテク化が進んでも「両手を汚す」仕事はなくならず、そうした仕事に従事する労働者は社会にとって重要な存在であり続ける。技術の進歩に追いつけない労働者にパソコン教育を施してハイテク産業に再雇用させようというのは、いかにもハイテク産業経営者的発想ではないか。彼らは労働者を単なる「道具」としてしか考えていないくせに、「リベラル」をキャッチフレーズにしている。やがて世の中でAI化が進めば、ハイテク頭脳労働者も「合理化」の対象となるときがくるだろう。
  ゴア氏にあっても気候温暖化をもたらす化石燃料に代わる再生可能エネルギー産業を立ち上げようとする新興資本家の発想である。おそらく彼の頭の中にも「両手を汚す仕事」に従事している労働者のイメージはないし、彼の莫大な富が何によってもたらされているかも知りたくないのだろう。
 こうして米民主党の主張に代表される「リベラル派」が依って立つ政治経済的基盤はブルーカラーではないエリート頭脳労働者を主に雇用するハイテク企業の存在であって、そのイデオロギーは新興資本家の主張であるといえるだろう。そして彼らの闘う相手は化石燃料資本を主とした旧資本家階級を基板とした体制であろう。トランプはこうした状況にやり場のない不満を抱えた労働者を巧みに利用したのである。
 もう少し言えば、「リベラル派」の主張はいまや「手を汚さない」頭脳労働者たちと手足を使って労働する身体労働者たちに二分されてしまった労働者階級のうち前者を代表するものであるといえるだろう。実は彼らはこうした新興資本家の莫大な富の「おこぼれ」を頂戴して「既得権階級」として中間層上層部に乗っかっている人たちなのであって、新興資本家の思想を代表するイデオロギーに完全に支配されている人々といえるだろう。
 ちょうどフランス革命で新興階級として登場した資本家階級が「自由平等」を掲げて、労働者や農民たちを味方につけて王権・貴族階級と闘い、後の産業資本主義時代には彼らの上層部が資本家のイデオロギーに取り込まれて「市民意識」に染め上げられていったのとよく似た状況だ。
 「リベラル」は本当の意味で労働者階級を代表した思想とはいえない。しかしそれに対抗するためには、間違っても「反リベラル」を掲げるトランプなどに代表される既存資本家勢力の政党に与するべきではない。
  労働者階級が真にその主張を貫くことができるのは、頭脳労働者も肉体労働者も本質的に国境を越えて共通の立場にあることを自覚した彼ら自身が生み出す組織や政党においてであるといえるだろう。ちょうど産業革命時に「自由・平等」を掲げるブルジョアジーが経済的実権を握ると同時に被搾取階級としての本来の 労働者階級が明確に姿を現し、その矛盾を体現していく中で階級として結束していくことができたように。

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2017年11月10日 (金)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その3)

 さてここで、これまで見てきたトランプの動きとそのスローガンと実際の行動の間にある大きなギャップの原因について考えてみよう。

 トランプが大統領に選出された背景には、前任者オバマが掲げてきた理想主義的スローガン、つまり自由貿易の推進、核廃絶と世界平和、差別撤廃と平等な社会の実現、などは、実際の政策としても試みられ、TPP推進、パリ協定加盟、 イランとの核合意、北朝鮮への戦略的忍耐、アフガン・中東からの撤兵、キューバとの国交回復、オバマケアの実施などという形で現れた。しかしこうした「リベラル」政策の持つ、本質的な矛盾も噴出し、さまざまな形でアメリカ国内の内部に不満を生み出して行くと同時に、世界的にも中東での「アラブの春」に始まる内戦とISの登場による混乱とテロの拡大、貿易不均衡問題、北朝鮮の核開発進行など大きな問題が噴出した。
 トランプはそうした矛盾の噴出に乗っかって、オバマ・民主党への罵倒を浴びせながら「アメリカ・ファースト」「不公平貿易を廃してアメリカ人の雇用を護る」「不法移民阻止のため国境のカベをつくる」「税金のムダ使いであるオバマケアの廃止」などのスローガンで大統領に選ばれたのであった。
 オバマは、1930年代の世界恐慌と第2次大戦を挟んで新たに導入されたケインズ型資本主義(ケネディーなどの政策に見られるインフラなどへの公共投資を増大させ雇用を確保し、労働者の賃金を上げ生活消費財市場を活性化させ、通貨の価値を中央銀行のコントロールによって少しずつ下げながら、資本が回転することによって資本家が労働賃金上昇で失った利潤分を取り戻すことができるような仕組みの資本主義体制)によってもたらされたアメリカの繁栄とそれがもたらす矛盾(社会保障費など国家財政負担の増大、高額な税金、労働意欲の減退など)への批判としてその後登場した新自由主義的主張(レーガンやブッシュに見られるような自由市場と自助努力の強調 、「小さな政府」の主張など)とのバランスを取ろうとしたのであろうが実質的にそれに失敗したといえるだろう。
  オバマは資本主義経済が本質的にもつ矛盾(社会的に必要な富を生み出す労働者階級の労働が自らの主体的目的意識に基づいた労働ではなく資本家の目的のために富を生み出す労働となっていて、その労働の成果はすべて資本家の私的な富となり、その一部を労働賃金としてもらって生活せざるを得ない仕組み)を理解せず、ただ表面的な「リベラリズム」によってその矛盾の現象面での調整をしようとしたことが失敗の本当の原因だろう。
 その失敗を逆手にとって批判することによって大統領になったトランプは、しかし前述のように、その資本主義経済の矛盾をさらに上塗りするような政策を対置することしか出来なかった。
 一方、かつての「社会主義国」の生き残りであり、いまや完全に資本主義経済体制となった中国は、労働者の解放をめざすマルクスらの思想とはまったく相容れない一党独裁の政治体制のもとで資本主義経済を急速に推進させた。この国では相変わらず労働者階級は被搾取階級であり続け、農民達はさらに惨めな状態に置かれている。 経済的支配権は資本家(外国の資本家や投資家も含めて)が握っており、さらにその上に国家官僚や党官僚という最上層階級が政治的に強力な支配権を握っているという3階級支配構造の国である。
 皮肉なことに資本主義経済体制はもはや歴史的には「レッセフェール」で市場の「神の手」に任せていては大混乱になり崩壊してしまうので、国家が上から統制しないと生き残れないような形に変貌している。その意味で中国は西欧や日本に比べてはるかに効率よく、急速に資本主義経済を発展させ得たのである。
 いま世界中の労働者階級はこうした国際的な経済体制に乗っかった国家群の動向によって振り回され将来への不安を植え付けられながら日々ますますその主体性・社会的主導権を奪われつつある。そして自らの生み出す、ますます大きくなる富を一握りの支配階級の手に握られ、彼らの政治的意図をトップダウンに受け入れさせられているのである。
  そしてこうした状況に国境を越えて本質的には同じ立場として互いに手を携えて連帯できるはずの人々が、毎日のように繰り返される「国民としてのアイデンティティーを!」というキャンペーンのもとで分断されているのである。
 トランプの「アメリカ・ファースト!」などのスローガンはこの歴史の底流の真実とはかけ離れたアメリカ株式会社のワンマンCEOによる空しく的外れな「うわごと」にすぎないのだ。そして危ない橋を渡る経済体制の中で「思惑と操作」によって高騰する株価にご満悦の安倍首相はこのトランプの「うわごと」に「ホールインワン」で応えようとしている。何と馬鹿なことか!
(以上)
 

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2017年11月 9日 (木)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その2)

 トランプは、日本の後、北朝鮮問題の渦中にある韓国を訪れた。韓国では日米韓の軍事的同盟化を警戒した韓国から一定の距離を置かれ、Thardの追加配備をあきらめざるを得なくなった。その後、トランプは中国に行った。中国では故宮博物館を「貸し切り」にするという破格の歓迎で、トランプをもてなした。それに加えて20兆円にもおよぶ商談を成立させ、トランプを喜ばせた。ご機嫌のトランプはかつて泥棒呼ばわりしてきた米中間の貿易不均衡問題をアメリカの前政権のせいにしてしまった。しかしトランプは対北朝鮮問題では中国からは実質的に何も新たな成果を引き出せなかった。

 つまりトランプの目指す方向とは相反して完全に習近平のペースに乗せられたようである。結局、何もかもトランプのペースで行けたのは日本においてだけであった。シンゾーはドナルドの意のままに振る舞ってくれたのだ。
 ベトナムでのAPECではプーチンとどのような話が出てくるのか予断は許せないが、どちらにせよ、中国の世界市場制覇の意図の前にアメリカは主導権を握ることが難しいという印象を世界中にに印象づけたのではないだろうか。東西冷戦の崩壊とともに皮肉なことに「パックスアメリカーナ」も崩壊をはじめ、その混乱の中から頭をもたげてきたのは中国だった。
 どちらにせよ、この混乱の中で確執を繰り返す国々の支配層がナショナリズムを推進し、国家間の無政府的市場獲得競争が激化すれば、経済的には相互依存関係にあっても政治的にはつねに対立をはらみ、軍事力を背景とした「力」を見せつけなければならなくなるだろう。そしてその渦中で日本でも「改憲」が現実化し、アメリカから高額な軍需品を大量に購入し装備した「国軍」が登場することになりそうだ。
 こうした歴史の危険な流れが始まる中で、世界経済を支配するグローバルな資本の回転の中で、その資本の人格化であるグローバル企業の経営陣同士の相互依存<即>相互対立という矛盾関係を総資本の代弁機関である「国家」として調整しながら、対外的には国家間でも経済的相互依存関係が同時にトップ争いの場ではつねに対立関係として軍事力を背景に戦争の危機をはらみながら動いていくことになるだろう。
  もっとも重要なことは、国家とはそれを成り立たせている経済的土台を日々労働によって生み出している人々を上から支配する仕組みであって、そのメカニズムは国家の指導者が立てる政治方針のもとで資本家企業に雇用されて毎日働いていれば大過なく生活ができるという雰囲気とイデオロギーを生み出しそれに人々が支配されそれを乱さないような「法と秩序」によって規制されながら生きて行くようになっているのである。
  そして「自由と民主主義」にもとづいた選挙による「国民の総意のもとで」というふれ込みで国家の支配は進んでいく。そして対外的には競争相手の国の人々を互いに蔑視しさげすむ意識が醸成されその反面として「愛国心」が強調される。「アメリカ・ファースト」「ニッポンをとりもどす」「大中華帝国の再生」などなどである。
 そしていったん国家間の軍事的衝突が始まれば、たちまち「お国のために命をすてる」ことが名誉とされる雰囲気が充満することになるのである。そしていつも戦い死ぬのは互いに個人的には何の直接的恨みもない労働者同士なのである。
 この苦渋に満ちた歴史はすでに明治維新以後150年に渡って経験してきたのであるが、それにも拘わらずいままたそれが繰り返されようとしている。
  近代史的に見れば、それはつねに「グローバリズム」と「ナショナリズム」の対立という形をとるが、実はこの両者は裏と表の関係にある。つまり「同じ一つのもの」の両面なのである。この「一つのもの」とは資本主義的経済のメカニズムの上に築かれた「国家」のことであり、この資本主義的国家の目指す「グローバリズム」は世界市場ににおいて必ずその反面としてのナショナリズムを裏側にもっている。
  われわれが目指すべき真のグローバリズムはそのような矛盾の基礎全体を克服した先に開かれるインターナショナリズムであるといえるのではないだろうか。
 以下(その3)に続く。

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2017年11月 7日 (火)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その1)

 トランプ大統領が安部首相との「蜜月」を世界にアピールし、その成果として北朝鮮の核脅威から日本を守ってやると同時にそれと引き替えにアメリカの軍需産業品を大量に日本に買わせる約束をさせたようだ。安倍首相は北の脅威を「国難」の一つとして掲げ、改憲に向けた総選挙で過半数をとった。だから「蜜月」なのだ。支配層の「蜜月」の陰で両国でともに置いてきぼりにされているのはその社会を下から支えるために働く人々だ。

 ここでトランプの目指すアメリカの今後を考えてみよう。トランプの「アメリカ第1主義」は、貿易の不均衡をなくし、国内雇用を増やし、アメリカを再び強くてリッチな国にしていこうというのであるが、例えば「貿易不均衡」は何故起きているのかを考えると、アメリカが戦後ずっと労働者の賃金を上げてその購買力をつけさせ、商品の販売力(消費)増大による資本の利益増大をバネしにして経済を活性化させるという方針(アベノミクスはこの焼き直し)を貫いてきたからだ。アメリカが誇る自動車などの工業製品は製造業の労働賃金が上昇し、国際市場では割高となって、敗戦で資本主義経済をリセットさせ比較的有利な条件で労働力をつぎ込めたドイツや日本の企業が作るクルマが世界市場を支配していくことになった。
  一方アメリカの労働者達は「消費拡大政策」で過剰なほど生活資料を購買する習慣が付いたが、その生活資料商品の一部であるクルマや家電製品を作る企業はもちろんのことそれ以外の食料品や家庭消費雑貨などを生産する労働者の賃金も上昇しこれらの商品も割高となっていく中で、賃金が上がっても生活消費財も値上がりして不満が増す中、貿易差益によって儲けようとする商業資本家達が安い労働力で作られた海外製品を大量に輸入し、「価格破壊」によってあっというまにアメリカ生活消費財市場は外国製品で埋め尽くされていき、製造業で失業した労働者達は比較的賃金の安い流通販売業界などに雇用されて行かざるを得なくなった。
  そして自動車などの製造業も低賃金労働者を大量に使用できるラテンアメリカやアジア諸国に生産拠点を移していった。メキシコで作られたアメ車は国際市場ではアメリカ企業のブランドで国際市場に見合った価格で売られる。メキシコの貧しい労働者は低賃金でアメリカ資本に雇用されるがアメリカの労働者は高賃金ゆえに職を失う。
 やがて「IT革命」の波がやってきてコンピュータ産業やインターネットを利用した産業が爆発的に増大し、マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾンといったIT技術を駆使した新興資本家企業が急成長したが、ここではSEなどの頭脳労働者が「戦力」として比較的高賃金でどんどん採用され「中間層」の一部を形成していった。しかしその半分以上はアメリカ以外の国からの移民である。いわば人材の輸入である。
  その一方で従来の製造業は凋落の一途をたどり、投資家を含む金融業や不動産業、観光エンタメ業、などの不生産的資本家達がIT新興企業の資本家達とともに新富裕層として成長して行った。その中で技術ノウハウを軍事機密とすることで途方もない高額な価格で売れる軍需産業品は買い手さえつけばアメリカに残された最後の「儲かる製造業」であろう。
 そしてやがて中国という「強敵」が現れた。このアメリカの5倍以上の労働人口を擁する国は共産党独裁の資本主義国として20世紀末から鄧小平改革によって国際市場に参入し、農村からの出稼ぎなどの大量の低賃金労働と国家統制に近い強力なトップダウン経済システムによってあっというまに国際市場での強固な地位を確立した。いまやアメリカブランドのIT製品に留まらず、ヨーロッパや日本などの企業が販売する工業製品の多くが中国で生産されている。そればかりか中国は質の高い労働力を持っている。「中国製は粗悪品」というイメージはいずれ払拭され、「ものづくり大国」を自称する日本も太刀打ちできなくなるだろう。
  その反面で中国国内でも労働者の格差が急拡大しており、新興資本家として立ち上がった人々や「成功者」たち、そしてそれらの政治的利権を握った政治家や党幹部などは富裕層になり、海外に観光に出かけて「爆買い」などによりそれらの国々に「経済的貢献」をするようになった。その一方でいくら働いても生活が楽にならない労働者も増大しているようだ。
  また中国は工業製品輸出国であると同時に広大な国内での大量の生活消費財市場でもあり、ここに欧米や日本の資本家たちも巨大な「ビジネスチャンス」を見逃すはずはない。
 現状ではアメリカと中国は経済的には「持ちつ持たれつ」の関係だがトランプはこうした中国がやがて強大な軍事力を伴って世界経済を支配していくであろうことを予見し、日本を含めそれに対抗しうる軍事・経済ブロックを形成しようとしているかに見える。
 しかし、「アメリカ第1主義」は結局アメリカ衰退の原因をもたらしたこうした経済的仕組みの矛盾を見ようとせずにただ、不公平貿易の解消と移民流入と生産拠点流出によるアメリカ人の雇用喪失問題などを強調し、その防止の強硬手段を対置するだけなのである。それはいずれその失敗をドラスティックに表面化させることになるだろう。「蜜月」だった安倍政権はそのときその事態にどう対処するのか見物である(しかし他人事ではない)。
以下(その2)に続く。

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2017年10月22日 (日)

選挙で「承認」された「安部一強体制」が崩れる日

 衆議院議員選挙の投票が終わり結果は「希望の党」が惨敗し、立憲民主党が健闘したが、安部自公政権が過半数を超えその体制が「承認」された形となった。自民党の内部からはあの強権的冒頭解散が「功を奏した」という鼻持ちならない自画自賛の見解も出されている。これで森友・加計問題は「贖罪」されたということになり、真剣な議題としては取り上げられることはなくなるだろうし、「改憲」に向けてまっしぐらに進むことになるだろう。

 この結果は反安部陣営にとってはある程度予想されたものとはいえ悔しい結果である。都議選をきっかけに、中身のない小池「希望の党」が風船のように膨らんだため、民進党の前原氏がそれに「合流」して反安部勢力を伸ばそうなどという馬鹿化た決断をしてしまったため、民進党は小池の踏み絵を踏まされて惨めな分裂をすることになった。
 しかし、選挙の結果「希望の党」からはじき出されて「立憲民主党」を作ったグループが予想以上に多くの支持を得た。「希望の党」に「合流した」旧民進党の面々はほとんど落選し、これで結党以来ずっとくすぶっていた民進党の内部対立がはっきりとした形で決着した。これは結果としてはかえって良かったのではないだろうか?
 立憲民主党や共産党などによる反自公陣営が今後どのような形で進展するのかは予測不能であるが、安部自公政権が「圧勝」したことは、見方によってはかえって今後の反安部陣営にとって有利な戦いが出来る可能性があるように思える。
 それは何故かというと、安部自公政権が「圧勝」したのはひとえに「好景気」「株価高騰」「失業率最低」などの経済的指標の「外見的良さ」故と思われるからである。これを安部首相は「アベノミクスの勝利」と結論づけるだろう。しかし、実際の社会的経済の実態は危機的であり、長期に渡る自民政権が大資本と結託して行ってきた「インフレ政策」を基調とした「経済成長」がもたらした重大な欠陥が「少子高齢化」や社会保障の財源不足などという状況をもたらしていることを安倍自身まったく自覚していない。
  だから自ら生み出した状況を「国難」と位置づけそれを克服するために、自分の先輩たちがその原因を作ってきた経済政策のさらなる悪しき加速化でしかない「アベノミクス」を推進しようとしているのだ。矛盾の上塗りである。
 この「アベノミクス」は遠からず崩壊するだろう。アメリカFRBの新しいトップが「利上げ」に舵を切ることをきっかけに世界資本主義体制はすでに数十年も前から潜在化している崩壊への道を顕在化させる可能性がある。そうなれば「根無し草」に過ぎない「好景気」などたちまち吹き飛んでしまうだろうから。
 そのときになって初めて人々は「アベノミクス」と安倍政権の政策の虚偽を実感し、そこで安部一強体制は自壊するだろう。
 そのとき反自公陣営はそれを克服するための新たな政治体制と経済政策を打ち出さねばならなくなるのだ。しかしいまの「立憲民主党」や共産党などにそれができるかどうかが問題だ。
 「右でも左でもなく、前へ」とか「階級政党的立場を捨てて国民政党に脱皮すべき」などと言っている間はそれは到底無理だろう。

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2017年10月15日 (日)

すでに「潜在的過剰生産恐慌」状態のアベノミクス

 衆議院議員選挙もいまや真っ盛りでマスコミでは各党への投票率の予測をしているが、残念ながらどうも自民・公明連合の座は揺るぎそうにない。あれだけ、森友、加計問題で権力の私物化・乱用を行い、しかも安保法制、共謀罪、などで憲法や人権を実質的に破壊しながら、安部首相は北朝鮮の暴走にバックアップされ、「ニッポンを守り抜くのはわが党しかない」などと叫んでいるのだ。

 こんなひどい安部政権でありながらいまだに支持率が落ち込まないのは、ひとえに「好景気」のおかげであろう。経済指標(これがそもそもマユツバなのだが)はどれもそれほど悪くなく、株価は最高値を更新(実はこれも政府・日銀が買い支えている)しつつあるし、政権側の主張によれば「いざなぎ景気を超える長期好景気」なのだそうだ。「人手不足」で大卒の就職率は良く、失業率も数値上では低い。自分の財産を投資に回せる富裕層や中間層の人たちは、株や不動産投資で儲けを増やし、豪華な遊び道具やブランド品収集、超豪華な観光、グルメ三昧などリッチな「買い物人生」を楽しんでいる。

 しかし、その一方で、莫大な教育費(教育資本が莫大な利益をあげている)が負担できず、こどもを進学させることもあきらめたり、小さな子どもを保育園に預けて働きにでなければやっていけない女性が保育園に子どもを入れることすらできず、仕事をあきらめざるをえなくなっているケースも多い。経済的理由で「一流大学コース」に乗ることができない若者達はその段階で。中間層や富裕層への道を閉ざされ、一人前の生活者としての生活もあきらめざるを得なくなる。そして結婚も出来ず、次々と非正規雇用の仕事を渡り歩き孤独な生活を送らねばならない。健全な次世代を築くはずの家庭が崩壊しつつある。こうした若者達の老後はいったいどうなるのだろうか?「ニッポン」の悲惨な未来が垣間見える。
 リッチな人々はさらにリッチに、貧しい人々はさらにプアーになっていく状況が生まれていることは疑いもない事実だ。これこそ歴代自民党政府が行ってきた政治の結果であり、最大の「国難」であろう。
 現政権もこうした状況を無視できず「教育負担の軽減」とか「人作り改革」などと一見カッコイイスローガンを掲げ「少子高齢化社会への社会保障負担の増大という国難に対処する」などと叫びそれらが「好景気」のもとで可能であるかの様に見せているが、これはとんでもないごまかしである。結局「消費税」を上げ、労働者階級からその費用を吸い上げることしかできないだろう。「国難」を生み出してきた張本人がその原因を顧みず「国難突破」などといってもそれはごまかし以上のむしろ詐欺だ。
  そこでこの安倍政権の支持率を維持させている「好景気」の真実の姿を求めてみよう。
  いまや首相の御用機関となってしまった黒田日銀が打ち出した「異次元の金融緩和」で市場にばらまかれたカネは、当然のことながら為替相場で円の価値を引き下げる。そして他方で国債を日銀が買い支えることで国が借金を背負い込む形でその信用を維持しながら、そのカネが資本の回転を速めさせるために「大胆な財政出動」と「成長戦略」を打ち出す。
  この「大胆な財政出動」とは大企業を中心にした公共事業などへの投融資を行い、それらの企業の利益増大をテコとして関連下請け企業にもそのおこぼれが落ちてきて、最後にそうした企業に雇用されている労働者の賃金も上げることができ、それによって労働者達の「購買力」を高め「消費拡大」に繋げるという目論見だ。安倍首相はこれを「経済の好循環」と称していた。このごまかしは「物価上層による景気回復」という経済的にはまったく矛盾した表現(物価を安定させることで生活を安定させるのが本来の姿だ)に表れている。
 その一方で貸し出し金利がほとんどゼロになり、その低い金利を利用して中間層の人たちにローンで家や高級家電・家具など大きな買い物をさせる。そこで建設業や関連メーカーが大きく儲かり、そこに投資マネーが流れ込むと同時にそれらの企業に低賃金非正規雇用の労働者が流れ込む。そして「人手不足」を名目に長時間労働が日常化する。設備投資でリスクをおかして「合理化」するよりその方が安上がりだし、使い捨てできるからだ。
 また富裕層がマンションなどへの不動産投資をどんどん行うようになり、カネが過剰に流通している市場で不動産の価格が途方もなく上がりその売買差額でぼろ儲けをする人たちも現れる。彼らは新興富裕層になっていく。
 しかしアベノミクスの目論見は成功しなかった。なぜならば市場に大量に流れ込んだカネは大企業や投資家には大量に吸収されたが、それは競争力をつけるなどのために新技術を開発した新興企業の買収や資本の統合のための資金という形で企業がより巨大化するために用いられたりして、労働者階級にはほとんど落ちてこなかったからである。
  つまりアベノミクス3本目の矢「成長戦略」とは大企業や投資家たちが莫大な利益をあげるためにしか機能せず、「賃上げによる消費拡大」や「デフレ解消」をもたらさなかった。
  しかし大企業はアベノミクスが危ない橋を渡っていることをすでに知っているため資本の内部留保を増やし、景気変動に備えようとしているし、それを設備投資などで生産手段の拡充に必要以上に回そうとはしない。
 これらの状況を見ると、結局異次元の金融緩和で流し込まれたカネは過剰資本を増やすだけの機能しかなく、それによって過剰生産・過剰消費の回転を速めることで資本家が投下した資本に見合う利潤を生み出せない本物の過剰資本とならないような状況をつくるために回されるだけなのである。
  これはすでに実質的に過剰化している資本のもとで生産的でなくなっている資本主義経済体制を不生産的消費を増やすことによりその過剰化した資本を消費させることでなんとか形の上で体制を維持させていこうとする弥縫策であり、その意味ですでに「潜在的な過剰生産恐慌」*とも言える状況である。
 いまや危うくなってきた「潜在的過剰生産恐慌」の状態を顕在的恐慌にさせないために安部政権に残された最後の手は、軍需産業の様な巨大な「不生産的消費」産業に莫大な投資を行うことである。これには憲法を改定して合法的に「国軍」を持たせ、そこに政府主導で堂々と巨額の財政出動を行うことである。そして軍事技術の輸出で儲けるためには軍事的緊張も「好材料」なのである。
  そしてもう一つは「IR]と呼ばれている巨大な総合ギャンブル施設を国家が支援して作り出し、そこに世界中の富裕層からオカネを落とさせ関連する第3次産業にカネが回るという仕組みである。まさに腐朽化した資本主義社会の退廃の極みである。モノ作り技術を磨いてきた日本の労働者たちもここでは用がなくなり、ギャンブラーをもてなすバーテンダーにでも転職しなければならなくなるだろう。
 さあ、それでも自民・公明連合や、「反安部」を掲げながら実は安倍政権とほとんど変わらない政策しか持っていない「希望の党」に投票しますか?
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*「潜在的な過剰生産恐慌」というとらえ方は「資本論150年記念シンポジウム」で中央大学の建部正義氏が用いたとらえ方である。

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