経済・政治・国際

2019年7月22日 (月)

参院選の結果から考えさせられること

 21日の参院選では、自公が過半数を獲得したが改憲に必要な2/3は獲得できなかった。一方野党は立民が増加したが、その他は現状維持がやっと社民はなんとか1議席確保という状況だった。この参院選は一人区が多く、ここでは最初から自公が圧倒的に強いことは分かっていた。野党は共闘態勢を組んだが、複数区でも結局自公のカベに対抗することはできなかったようだ。一方で少数政党は苦戦した。既成政党に対抗するにはマスコミや資金力を動因するしかない状態で、そういう「武器」を持っている少数政党が比例区で当選者を出している。こうした「武器」を持たない少数政党はやはり勝てていない。これがいまの「民主主義」の姿なのだろう。オカネもマスコミへの売り込み手段もない場合、いくらまともな意見を主張してまともに闘っても当選できない。カネの力がすべてにおいてものをいう「民主主義」なのである。選挙の度にそれを見せつけられる。

 おまけにいまもっとも惨めな状況に置かれている、引きこもりの人々や非正規雇用で不安定で苛酷な労働に耐えて希望のない生活を送っている労働者たちが、自民支持に傾いているという。なぜ??

 彼らの多くは自分がこういう状況で生活しているのは結局「自己責任」だと考えているらしい。おそらく、学業成績が良くなかったり、すぐ仕事に嫌気がさして辞めてしまうなどという振る舞いをとってきた結果が自分の置かれている厳しい状況なのであって、これを他人のせいにするのはなんとなく倫理的に正しくないように見えるのだろう。

 しかし、世の中、さまざまな個性を持った人たちによって成り立っている。学業成績が良くて有名大学に入ることができて、大企業や公官庁に就職できた「エリート」たちだけで世の中成り立っているのではない。毎日きびしい土木作業の現場で働く人たちや、深夜でもトラックを時間通りに走らせねばならないドライバーたち、下水道や電気、ガス、水道、ゴミ処理などのインフラ確保のために日々働く人たち、手のかかる認知症の高齢者を介護する人たち、そして「他社との競争に勝つため」とか「生産性が悪い」といわれながら黙々と日々残業しながら商品の生産や流通に携わっているサラリーマンたち、子ども教育費がとんでもなく高額なのでアルバイトで稼がなければならない主婦たち、などなど数え切れないほどさまざまな労働の形態で社会を支えている人たちこそが自分たちの未来を決めるもっとも大きな権利をもっているはずではないのか?「エリート」という立場の人たちだけが社会の未来を決する権利をもっているのではないはずだ。「エリート」たちは「皆さんの生活の安定や安全安心を確保することこそわれわれの仕事」などと叫んでもそれは実際の生活者の状況や実存を理解していないからいつも「上から目線」なのである。本当は下積みで働く人たちが生みだす社会的富によって彼らは支えられているのだが。

 こうして「上から目線」の「リーダーシップ」がまかり通り、こうした「お上」にしたがっていけば無難に過ごせると人々に思い込ませ、それら「エリート」たちに忖度する人たちが次の「エリート」になっていくということが繰り返されているのがいまの「民主政治」なのではないか?

 いま非正規雇用労働者として日々希望のない生活を送っている若者や中年の労働者たち。その状況を「自己責任」とあきらめていてはいつまでたっても世の中よくならない。いや徐々に「格差」は増し、まるで当然のことの様に、不本意な労働現場で奴隷の様に働かされ、かつかつの賃金で何とか日々の生活を維持し、日頃のストレスをゲームや「バーチャル」な世界で晴らす様な生活が死ぬまで続くだけだ。本当にそれでいいの?

 

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2019年7月20日 (土)

NHK-BS「欲望の貨幣論」での岩井克人氏への疑問

 今朝、再放送されていた表記の番組を観た。「欲望の資本主義」シリーズの特別編の様だ。内容はいま話題の暗号資産やビットコインの話から始まり、いまの資本主義社会が貨幣への限りのない欲望によってドライブされているという事実と、それに対する現代の経済学者の考えや歴史上著名な経済学者や哲学者のことばを並べたものである。この中でいわばこれら諸説の舵取り役を務めるこの番組の解説者が経済学者の岩井克人氏である。岩井氏は貨幣は投機的欲望の象徴であり、それ自体が制御不能な本質を持つと主張し、マルクスもこの貨幣の本質を見抜けなかったと言っていた。そしてその本質を見抜いたのがケインズだとしてその「美人投票」の考え方(もっとも多くの得票を獲得した人に投票した人には賞金が出るとした場合、自分がもっとも美しいと思う人を選ぶのではなく多くの人が投票するであろう人に投票するというたとえ)で、投機家の行動を分析したことを挙げている。

 しかし岩井氏の貨幣論は、商品から発展した貨幣の歴史的形成の論理とそれによるその存在の本質について徹底的に分析したマルクスの考え方の重要な部分を見逃しているように見えた。だから岩井克人氏の貨幣論は商品論と結びつかない。もっぱら金融資本時代の投機家の行動を挙げることで貨幣は単なる投機の対象であるというのである。しかしもともと貨幣は商品交換の場から生まれてきたのであって、モノとしての商品の存在がなければ成り立たない。もともと貨幣にあった「何でも買える」という万能の「物神化」した性質が資本という概念を生みだしたことから、W-G-Wという形で商品を得るための手段としての貨幣が、G-W-Gという形で、貨幣を得るための商品の売買という逆転を引き起こし、このG-W-Gという貨幣流通の形の中で「売るために作られる」商品がその生産方式に著しい合理化・機械化という変化の流れを生みだし、産業革命が始まったのである。その中でいまの工業技術の発展が生みだされたが、その反面で労働者階級と資本家階級という2大対立階級による社会が展開していったのである。
 そこでは貨幣は資本家にとっては、際限のない欲望の象徴であったが、労働者階級にとっては、自らの労働が資本家のために生みだした商品をその労働の対価として資本家から受け取った賃金によって自らの生活を維持するために買い戻さねばならないという状況を生みだしたのである。つまり貨幣は「交換価値」として資本家のためには欲望の象徴であり対象であったであろうが、社会的に必要な労働(使用価値を生む労働)を自ら行う労働者にとっては、その労働から生みだされるモノとその価値を資本家のために捧げながら、労働力を再生産するために必要な生活資料を資本家の手から買い戻すための、つまり自分の生活を維持するための必須の手段となったのである。つまりモノとしての使用価値の生産に必要な労働が交換価値の生産のための手段となってしまったことにより貨幣がやがて資本家の投機の対象となり得たのである。この事実を明らかにしたマルクスの資本主義分析の意図と成果を岩井氏はまともに理解していない様に見えるのである。

 この貨幣に象徴化される資本の矛盾が、金融資本主義時代に入ると、商品市場での需要と供給のバランスを至上としたスミス的自由市場に破綻を来すことになり、信用の投機的価値が急落すると同時に労働者階級の生活資料購入力も失業などにより激減するという形で深刻な経済恐慌を引き起こす様になった。1930年代にやってきた大規模な世界恐慌はその終局的ともいえるような危機だった。その危機に直面してケインズが打ちだしたのが、貨幣価値を中央銀行により制御することで安定化させ、そこで生みだされた貨幣を政府主導で行う大規模公共投資に用い、雇用を増やし労働者の賃金を上げて労働者の生活資料購買力(いわゆる消費力)の増大を図り、生活消費財市場を活性化し、資本の利潤をも増やせるといういわゆる「経済の好循環」を生みだすという構想であった(アベノミクスもその焼き直しに過ぎないのだが)。しかし、それは貨幣の持つ根本的矛盾が解決されていないままだったがゆえに、資本家のプッシュによる無際限な消費拡大を生みだし、クルマの大量普及によるCO2問題や大量の生活資料廃棄物による地球環境の破壊をもたらしているにも拘わらず、それに歯止めがかからなくなっているのである。

 貨幣が金本位制から離脱しその信用貨幣としての機能を全面化し、それがグローバル市場を拡大することはある意味で必然的といえるが、それにより各国間での貨幣の価値の調整が必要になり、経済統合を統一通貨によって図ろうとしたEUもその加盟国間での経済水準や政策の違いによる矛盾や衝突が生じて EU体制が破綻しかかっているのが現状であろう。その一方で、各国中央銀行などの「国家的権威」と関係なく発行し世界中で流通することができる仮想通貨はある意味でその矛盾を克服するかのように見えるが、それはまた同時に「無際限の投機の手段」となる必然性をも持っており、仮想通貨の信用がいかにその「暗号資産」として確保されていようとも、貨幣の存在意義がモノとの交換から切り離された途端に「机上の楼閣化」し、モノの流通が滞れば必然的にそれは崩壊するだろう。

 本質的に貨幣の価値はモノの価値に依存しているのであって、モノの価値はそれを生みだすに必要な社会的平均的労働量に依存しているのである。だから問題は、この生活に必要なモノの価値つまり使用価値を生みだすのに必要な労働量が、商品としての「売るためのモノ」の価値つまり交換価値の量となり、それが個人的価値観や「ブランド価値」などという価値の実体から遊離した不安定な「見かけの価値」によって決まる「市場価格」となることで、そこからその実体のない「見かけの価値」を追求し投機的欲望に走る人々が登場することなのであって、こうした状態を引き起こせない、つまりW-G-WがG-W-Gとなり得ない様な社会を築くことが必要なのだといえるだろう。

 それは生活に必要なモノを生活者自身がその目的意識にしたがって生みだせる社会であり、貨幣という万能に見えるが何ら実体的内容のない「みかけの価値」をただおのれの無際限の所有欲を満たす手段のために追究する人々(階級)が存在しなくても、いや存在しない方が順調に回る経済の仕組みを生みだすことであるともいえるだろう。

 

 

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2019年7月18日 (木)

NHK-BS「AIロボットの世界」を観て

 今朝、表記のTV番組を観た。内容はAIを用いたロボットなど人工知能機器が人間の労働を奪いつつあるという現状とその状況をどう受け止めるかという問題であった。まずいま急速に進みつつあるAIの導入を「第4次産業革命」と位置付け、19世紀イギリスに始まった第1次産業革命による労働者の状況の変化、そこでは急速に機械化が進んだ製糸業や紡績業から放出された労働者が、新興の機械製造業の生産現場に流入することで新たな労働に就いていったという指摘、そして次にアメリカで始まったクルマの大量生産方式の確立による大量生産・大量消費時代の始まりが労働者の給料を右肩上がりに増やしていき、「豊かな生活」を実現していったという指摘、そしてそれが21世紀になってAIが導入されることにより労働者の所得の上昇率が低下し、失業者が増加する傾向を生むようになってきたという指摘、そして、AIによる仕事を奪われた労働者の別な仕事への再就職を助ける職業訓練や、「ベーシック・インカム」による救済の実験やその挫折などについてが描かれていた。いろいろ考えさせられる番組ではあったが、やはりその本質への突っ込みの浅さにいまのマスコミの限界をも感じさせた。

 ここでは以下の問題がもっと掘り下げられるべきだったと思う。

 まず第1に、産業革命以来、生きるために資本家の経営する工場に賃金労働者として雇用され、自らの意志による労働ではない労働を行いながら、それによる賃金によって自らが工場で生産した生活資料を資本家の売る商品として買い戻さなければ生きて行けない生活が常態化してきた。この形は基本的に現代においても変わっていない。つまり自らの生活に必要な生活資料を自らの手で生みだすことが出来ず、それを労働の場で資本家の商品として生みだし、労働者全体として見ればその商品を自らの賃金によって買い戻すという、いわば非主体的な生産労働を行わなければ生きて行けない労働者階級と、そういう形で社会的労働を支配することで富を増やしていける資本家階級という2つの階級によっていまの資本主義社会は経済的に回っているのである。その形態は19世紀段当時の様な単純肉体労働だけではなく、企業のカネ・ヒト・モノの管理運用という資本家の仕事の内容を受け持つ事務系頭脳労働者としても登場し、さらに労働手段である生産機器の設計や耐久消費財といわれる様な生活消費財の設計やデザインなども行う頭脳労働者も登場した。こうした頭脳労働者は一時期「中間層」とか「中流層」とか呼ばれ、単純肉体労働者より上の階層と見られてきた。しかしこれらの頭脳労働者もその本質は、頭脳労働力を企業経営者に賃金と引き替えに「売る」ことで企業経営者の利益を上げさせるためにその労働を捧げるのである。そしてそこでは労働の成果を実現するために必要な手段やその成果はつねに自分のものではなく企業の所有物である。こうした生産体制においては「生活の生産」は同時に「資本の生産」であり、労働するヒトはモノとしての労働手段と同等な資本を生みだすための「手段」としてしか存在意義がない。資本家企業にとっては生産効率がすべてであってそこで賃金の高い労働者に代わって、労働者の仕事と同等以上の成果を上げ、賃上げも要求しない従順なAIロボットに入れ替えるのは当然のことなのである。単純肉体労働の置き換えに始まった産業革命はいまや人間の頭脳の置き換えという段階にまで達し、やがて人間は働かなくても済む時代が来るという。もしそうなれば事態は深刻である。それは単に全労働者が失業するということだけではなく、それによって人間が「働くこと、生きること」の意義、つまりこの世界に一人の人間として生まれてきたことの意味をすべての労働者から奪い取り、その奪った側もそれによってただ富を増やし無駄で馬鹿げた市場の競争に生きがいを感じながら、人間の存在意義を自ら辱めながら、自然界全体をも食いつぶしつつあるのだということを認識すべきだと思う。そして、人類としてあらゆる困難を乗り越えてきた肉体的・頭脳的能力そのものが衰退し、やがては生物の進化の歴史から姿を消すことになるかもしれないからである。

 第2に、いまや頭脳労働の世界に進出しつつある「資本の道具」としてのAIは、いわゆる「中間層」の居場所も奪いつつあるという事実。だから「中間層」は自分たちが手を汚したくない「キツイ、キタナイ、キケン」な労働は例えば開発途上国からの実習生や移民労働者にやらせ、自分たちは「中流生活」を続けていけると思い込んでいると、いつのまにか自分たちも失業し、もはやあらゆる頭脳労働がAI化されることで、新たな仕事にありつけなくなって、やがて貧困層に落ちていくことになる可能性は強いのである。そのときには「ベーシック・インカム」によって救われるだろうなどという考えは甘い。なぜならば、「ベーシック・インカム」はたとえそれが自治体や政府の予算からであても結局その税収の元となる資本の増殖(これは労働者が生みだす価値によってもたらされるのだが)によって得た富から支出される「おこぼれ」でしかないのであって、一握りの支配階級の思惑如何でたちまち廃止されることにもなるのである。そのときになって初めて自分たちが「中間層」という幻想のもとに生きていたという事実、そして実は自分たちも資本家企業に雇用された賃金労働者の一員にすぎず、低賃金で「キツイ、キタナイ、キケン」な労働を行っている労働者と基本的に同じ階級に存在しているということに気づくだろう。だからそうなる前に、労働者階級としての自覚を持ち、自らの生活を自らの意志の元、自らの手で生みだせるような社会の実現を目指すべきなのではないだろうか?それが実現すれば、AIは本来の意味で「人類の生活を豊かにするための道具」としてのあるべき位置に置くことができるようになるだろう。


  

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2019年6月22日 (土)

「996」に苦しむ中国労働者はまず「資本論」を学ぶべきだ

 昨夜のNHK BS 国際報道の中で報じられていた中国の労働者の実状の紹介で、「996」というキーワードがネット上で飛び交っているという話であった。それは、毎日朝9時から夜9時まで、週6日間働かされている労働者の実状を示している。中国では重厚長大産業が生産過剰で失業者が増えている一方で急速に成長しているIT産業では人手不足で、労働者の過重労働が深刻な問題になっている。街でのインタビューでは、996よりもっとひどい状態で働かされたり、過労で情緒不安定となって街頭で叫んでいる若者が映っていた。

 NHKの司会者も、「社会主義国」の中国でありながら、こうした状況があるのは信じがたいことでもあるが、労働組合はトップダウンの共産党直轄で労働者自らのボトムアップ的結束による形ではなく、労働者の立場を護ってくれていない。しかも市場経済における競争の激化で、企業の経営者も例えば「アリババ」のジャック・マー会長が「996」で文句を言ってる様な場合じゃないぞ、とネットで語っているように労働者を酷使しないと勝てない状況にあると述べていた。こうした状況に当然のことであるが中国の労働者たちは大きな不満を抱いており、労働者自らの手で労働組合をつくる動きもでてきているらしい。

 一方では、トランプと習近平による高関税の掛け合いという「貿易戦争」で米中貿易がどんどん縮小しつつあり、中国製の安価な生活消費財に頼っているアメリカの労働者階級も賃金水準が頭打ちになる中で生活が苦しくなるだろう。そしてアメリカでデザインされ、部品を日本で作り、アッセンブリーを中国で行って完成品をアメリカが輸入する形で世界市場で売りまくっている米アップル社のiPhoneも、ただでさえ「ブランド価値」を利用した高額な販売体制が高額関税で成り行かなくなる可能性もある。そうなるとアップルに部品を調達している日本の企業も苦しい経営となり、工場閉鎖も出てくるとそこで働く多くの労働者は「雇い止め」となる可能性が強い。

 要するに中国労働者の「996」は人ごとではないのである。中国を含め各国の資本家たちが世界市場でしのぎを削る馬鹿げた競争に勝つために、世界中の労働者が犠牲になっているのである。日本でも企業の国際競争力をつけるために法人税は上げないで、乏しい給料で生活する労働者(特に2000万人以上の非正規雇用労働者)およびかつて高度成長期に資本家にボロ儲けをさせてあげた旧労働者である年金生活者たちは、年金だけでは生きていけないことを政府も認めていながら(首相だけは認めていないがこれは事実である)、もうすぐ消費税を上げられてますます生活や老後の人生が危うくなりつつあるのだ。

 いま必要なことは、世界中で労働者階級を窮地に陥れているグローバル資本による、自然破壊をもたらす様な馬鹿げた市場競争に歯止めをかけるために世界中の労働者階級が結束することなのではないだろうか?「そんなことはできっこない」というならば、せめて「社会主義国」中国の労働者はマルクスを学び直すべきである。

 いまの中国ではマルクスの資本論に結実している資本主義経済体制への徹底した批判のもとで生みだされた社会主義思想が、かつてのソ連や中国の共産党指導部による改ざんによってまったくご都合主義的にねじ曲げられ、「社会主義市場経済」などという偽物の理論が主流になっている。中国はいま街に消費財商品が溢れていながら、労働者階級は国際市場で稼ぎまくる資本家企業に雇用されてそこから受け取る賃金によってただ毎日その消費財を買わされて生きていくという生活になっている。しかしよく考えてみれば、その生活消費財は自分たち労働者自身が工場で作り出したものではないか?企業からもらった賃金はその自分たちの作った生活消費財を「買い戻す」ことで再び労働力を養うために企業から「前貸し」された資本の貨幣形態でしかないという事実に気づくだろう。

 そしてこうして労働力を日々再生産するためにそれに必要な賃金を得るため自分の労働力を企業に売らなければ(企業に雇用されなければ)生きて行けない状況が資本主義体制の階級制そのものであること、だからジャック・マーの様な雇用者である資本家経営者が労働者に脅し文句をいえば、クビになったら困るからしんどいけども我慢して働かねばならない、と思わせられてしまうのである。これではいくら資本家たちの「経済成長」が進んでも、労働者階級はいつまでたっても「賃金奴隷」から解放されることはない。

 自分たちが生活を築き上げていくために何が必要であり、それをどのくらい作ればよいか、という判断はあくまでそれを生みだす労働者自身が行うべき事であって、労働とそれに必要な手段を労働者自身が支配することが必要なのだ。雇用主の資本家を競争に勝たせるために労働するのではない。資本家は労働者予備軍に「雇用」を創出してくれるのではない。労働者を雇用して「賃金をもたらしてくれる仕事」を生みだすように見えるのは、社会的な労働を行うために必須の生産手段を資本家階級があらかじめ労働者の手から取り上げて占有しているからなのである。

 こうした賃金奴隷状況から解放されるための指針を与えてくれる最良の理論こそがマルクスの「資本論」なのである。

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2019年6月20日 (木)

"Keep America Great !" はトランプのバカさ加減の典型的表現

 次の大統領選挙での勝利を目指してトランプがフロリダで出陣式を行った。そして例の"Make America Great"に代わって"Keep America Great"を次のスローガンに掲げた。すでにオレがアメリカを偉大にしたのだからそれをこれからも維持しよう、という意味らしい。

 しかし、いまのアメリカが「偉大」だとは世界中のほとんどの人が思っていないだろう。そう思っているのは大歓声を上げてこの新スローガンに歓呼している彼の熱狂的ファンたちだけであろう。

 アメリカはたまたま種々の条件が重なって経済的好況期を迎えているが、それはトランプの功績ではないし、たとえそうであったとしてもそれは世界中の労働者階級への大きな犠牲を踏み台としたものだ。そしてかつてトランプを熱狂的に支持していた「ラストベルト」の失業者たちもいまや彼を支持しなくなっている。

 一党独裁体制の国家主義的資本主義国である中国はどう見てもマルクスの目指した本来の社会主義とは完全に無縁な国家といえるが、その独裁体制による驚くべき効率の高さで経済成長を遂げた結果、いまやアメリカに並ぶほどの「経済大国」になりつつある。アメリカの資本家たちは初めは、資本のグローバル化の中で中国の安くて質の高い労働力を利用して国際市場で競争力を付け、利潤を上げるために莫大な投資をした。そして安い生活消費財を中国から輸入してアメリカ労働者の生活費を事実上切り下げ、すでに頭打ちとなってきた賃金上昇率が低くても労働者の消費拡大を維持する方式を採っていた。しかし中国はその間、国家主導でアメリカ企業の技術的ノウハウを吸収し、どんどん技術力を付けていった。そしていまや中国とアメリカの間での経済面での「ウイン・ウイン」関係はアメリカにとって不利な状況に変わり、そこにトランプの対中国強硬策が登場した。それが「アメリカを再び偉大に!」というスローガンであり「アメリカ・ファースト」であった。このスローガンは事実上アメリカがすでに偉大ではなくなっていることを認めたものといえるだろう。

 その結果トランプが採った、強硬な経済制裁に、中国は当然抵抗し、互いに高関税を掛け合う貿易戦争の状態となった。その結果、一番被害を被るのはアメリカの労働者階級であろう。ただでさえ、すでに賃金が上がりにくい状況であるのに生活消費財の価格が上昇し、家計は苦しくなる。喜んでいるのは、このスキをついて中国から資本を引き上げ他の「開発途上国」の安い労働力を利用してでどんどん生活消費財商品を作ることに投資し、アメリカに売りまくることで儲けようとしているグローバル資本家だろう。北朝鮮のキム・ジョンウンとの交渉も進展せず、その間中国はキムとの結束を強め、韓国は置き去りにされ先が見えなくなっている。またイランとアメリカの関係も、安部首相の茶番劇を挟んでますます危険な関係になりつつある。ホルムズ海峡で戦闘でも始まれば、また多くのアメリカの若者が兵士として駆り出され犠牲になる。

 対中国政策にせよ、対イラン政策にせよ、「アメリカ・ファースト」をごり押ししてきたことで世界的に危機を高め、少しもアメリカを偉大にしなかったどころか、かえって危険な国にすることで、世界中からアメリカへの反発を買いながら、"Keep America Great !"と叫んで「オレがアメリカを偉大にした」などとよく言えたものである。

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2019年6月18日 (火)

「非正規雇用労働者」と「正規雇用労働者」の違いとは?

 現在、いわゆるリベラル派(その実体はさまざまであるが)の政党を中心として、現状で2000万人(パートタイマーを含めて)といわれるような非正規雇用労働者を正規雇用化させる要求が政治運動の一つの大きなテーマになっているように見える。だがほんとうにそれでよいのだろうか?

 高度成長時代には終身雇用が主だった日本の大企業の労働者は、「企業ファミリー」の一員として会社のために働いた。やがて企業側の収益が伸び悩み、バブルがはじけて不況の時代ともなると、就職氷河期が始まり、多くの若い労働者予備軍たちが職にありつけず、アルバイトやパートタイマーとしてその日暮らしをするようになっていった。おりしも日本の企業は雇用の流動化が必須となっていた時期で、かつての終身雇用制は通用しなくなっていった時期であった。そしてそうした産業界の要望を背景に小泉内閣の時に行われた「規制緩和」がその流れを加速した。企業は非正規雇用を増やし、できうる限り正規雇用を少なくする方向に向かうようになっていった。かつてのように自社内で労働者を育てるという考え方は失われていった。企業が育てたいのは、将来企業の経営や運営を担う要員としての幹部候補生であって、そのために有名大学出身のエリートたちを資本のグローバル化に対応できる正規雇用として採用し、現場の労働者は必要な時に必要な数だけ雇用し、要らなくなれば「雇い止め」をするという体制が確立されていった。

 こうして非正規雇用労働者はどんどん増えていったのであるが、それを政府側は「若者が自分のしたい仕事を求めて自由に職場を選べる方がよい」として非正規雇用労働者の生活の実状に決して目を向けようとしてこなかったのである。その結果、就職氷河期に見放された若者以外にもその後、短期間の非正規雇用を繰り返す不安定な生活に嫌気がさし、親の年金にたよって引きこもり生活を余儀なくされるひとたちが急増していった。この人たちはやがて何の社会保障も受けられず、親が死ねば雀の涙ほどわずかな国民年金で暮らすしかなく到底生活を維持することができなくなるのである。

 このような状況は何を意味するのか?それはかつて企業ファミリーという形で労働者までをも抱え込んで育て上げる日本的終身雇用制が完全に崩壊し、正規雇用者は企業の経営陣候補生としての要員であり、彼らはずでに本来の労働者階級ではない。いま本来のプロレタリアートといえるのは、非正規雇用労働者である。かつての労働者階級はこうして完全に2分化してしまったのである。だからいまの産別労働組合はいわば企業側のお雇い組合でしかなく、一方で本来のプロレタリアートである非正規雇用労働者はそれを一つにまとめて代表する組織としての強固な労働組合をいまだ持っていないのである。これがいまの社会の最大の悲劇なのではないか?

 だからこうした非正規雇用労働者を正規雇用化させようという要求は決して成功しないといえる。なぜなら企業はそれによって賃金コスト高が必須となりグローバル市場での競争力がなくなるからである。もし部分的に成功したとしてもその結果、正規雇用化された労働者は企業側の立場にたつ従業員となり、彼らは非正規雇用労働者を雇用する上から目線の立場に転換するだけである。

 

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2019年5月28日 (火)

国際協調ってナニ?(基本的問題について考えよう:2)

 いまEUやアメリカを中心として世界中で「国際協調」を看板とする「リベラル派」と「自国第一主義」を主張する「ポピュリスト」政党との間でせめぎ合いが深刻になっているが、このせめぎ合いの背後には次の様な問題があると思われる。

 一つは、2度にわたる世界大戦の苦い体験を経て生みだされたヨーロッパ統合への共通認識から結成されたEUを支配しているエリート階級が「国際協調」を主張する背後には自国の労働者階級や農民への一定の犠牲を前提として、国々によって事情の異なる経済や政治形態をなんとかうまく調整して収めていきたいという考え方があったといえる。これがある程度まで経済的に余裕が出てくるまでの過渡的措置という風に受け取って我慢してきた労働者階級や農民たちは、現実には徐々に自分たちが不利な立場におかれるようになり、そこにシリア内戦に始まった中東からの移民が急増したことが引き金となって一気に不満が爆発したのだろう。

 ここには「リベラル」な思想の背景に資本の国際化があり、資本主義経済の実体的支柱である企業の国際化とそれによる労働者の自由な移動などが必要であったということがある。だからこうした資本主義経済を基盤とする国々では基本的には移民を受け入れる方向が必要だった。しかし他国からの移民は自国よりも高い生活水準と賃金を目当てに豊かな国へ移民してくるのであってその国ではあまり高水準の賃金でなくとも自国での生活よりずっとマシな生活ができるからである。このことが資本主義経営の企業にとっては比較的安い賃金でしかも自国の労働者があまりやりたがらない仕事にも就いてくれる労働力の確保として必要条件となっている。これはEUだけではなく日本を含めた「先進資本主義国」では共通の課題だろう。

 もう一つは、東西冷戦後の世界は資本のグローバル化が一気に進み、世界経済がその市場の支配下におかれるようになったにも拘わらず、その支配下に置かれている「開発途上国」の労働者や農民は各国の国境のカベの中に閉じ込められており、国際的に見て低水準の労賃で働き生活することを余儀なくされているということだろう。こうした低賃金諸国での過酷な労働を前提としてグローバル資本は成長しているのであって、つねに過剰化するその資本のはけ口を「先進資本主義諸国」のリッチな労働者階級向けの生活資料財市場を通じての「大量消費」の促進よって処理しながら莫大な利益を挙げているのである。そしてやがて過酷な労働環境の中での自助努力によって新興富裕層に成り上がった「開発途上国」の中間層はその国での生活消費財市場を形成させ活性化させる役割を演じることになる。これによってグローバル資本企業にとって「開発途上国」は低賃金労働確保のための労働力市場であると同時にまた、その資本がうみだした労働者階級向けの生活消費財商品の市場としても「うまみ」を増すのである。しかし「世渡りの」うまくない大多数の貧困層は相変わらず過酷な低賃金労働に甘んじなければならない。しかも国内市場が活性化すればするほど生活消費財は商品市場で買い求めなければならなくなり従来の自給自足的生活は破壊される。どから低賃金では生活できなくなっていく。こうしてそこでは「格差」が増大する。こうした国内の矛盾が何かのきっかけで爆発すると内戦状態が生まれることにもなる。そして多くの移民がリッチで安全な国を目指して決死の逃亡行に出ることにもなるのである。

 リッチな国のエリート支配層(このなかにはリッチなグローバル企業に雇用されその恩恵を受けている多くの労働貴族層や知識層も含まれる)が主張する「国際協調」や「リベラル」な思想はみてくれの格好は良いが、中身は矛盾だらけでお粗末なのである。「自由平等」の外見を持ちながらその内実は「労働の国際的搾取」を黙認しその恩恵で自国の労働者の不満を解消させることで支配層の安泰を確保するための思想であることがだんだん明らかになっていたと言えるかもしれない。

 世界経済はいまや国際協調なしには成り立たない状況なのにそれが「資本の国際協調」になってしまっているのだ。これを資本によるのではなく直接に「労働者階級による国際協調」にすることがなければ絶対に問題は解決しないだろう。

 エリートリベラルの「国際協調」のもとでの矛盾に苦しめられている各国の労働者階級や農民は、いま「自国第一主義」に突進すればその先に待っているのは経済破綻とそれによる労働者の大量失業、そして貧困化である。最悪の場合、また戦争による「解決」に向かうかもしれない。展望なき「自国第一主義」に惑わされることなく、いま必要なことは事実上の支配階級による「国際協調」のインチキを暴露し、世界中でグローバル資本の支配下に置かれてその矛盾に苦しめられている労働者階級自身による世界経済の運営が必須であり、それに基づく「国際協調」こそが真に世界に平和をもたらす「国際協調」なのではないか。
 

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2019年5月24日 (金)

トランプを支持するアメリカ労働者階級はヒトラーを支持したドイツ労働者階級と同類なのか?

 第2次世界大戦を引き起こしユダヤ人を大量虐殺した張本人として、現在ではその独裁的で人種差別的な悪の権化として描かれているアドルフ・ヒトラーを熱狂的に支持したのは当時のドイツ労働者階級だったことはよく知られている。そしていまその歴史の繰り返しとも見えるような現象がアメリカやヨーロッパでも起き始めている。

 トランプは庶民感情に直接訴える「分かりやすい」政策で移民を防ぐ国境のカベ建設や、中国との貿易不均衡、そしてアメリカ産業の流出などに対しての経済制裁などを強権的に打ち出してアメリカでの低所得者化した労働者階級に人気を保っている。この背景には、民主党に代表される「リベラル派」が実は中間層や上層の人たちといったアメリカ資本主義の発展の中でその地位を獲得していった「エスタブリッシュメント」による「上からの民主主義」であって、そこには労働者階級を中心とした底辺の貧困層の生活感情がまったく反映されていないという事実がある。そのことはフランスやドイツなどでも同様のように思える。そしてEUを支える理念そのものがこうした「エスタブリッシュメント」的リベラリズムの産物であって底辺の労働者や農民の生活感情を反映していないといえる。だからそれを必至に支えるマクロンやメルケルは民族主義的政党から反発を受けている

 これは1930年代のドイツなどにも見られたことで、第1次大戦で手痛い敗北を得て、登場したワイマール憲法による「リベラル」な政権は、当時のドイツ労働者や農民の生活感情を反映していたとはいえず、一部のインテリ知識階級の人々による「リベラル」思想だったといえる。そのため、やがて一方でソ連がスターリン主義化して「一国社会主義」を唱えるようになり、国際的な労働運動の指導部が変質してゆくにつれて、ドイツの社会民主主義は「ドイツ国家繁栄のために闘う」と称する「国家社会主義ドイツ労働者党(ナチス)」のヒトラーに対抗できなくなっていったのである。大多数の労働者・農民はヒトラーの「血と大地」を掲げる「分かりやすい」政策に熱狂的な支持を与えた。

 いまのアメリカやヨーロッパの状況はそれに似ている様にも見える。しかし、歴史は決して同じ事を繰り返しはしない。それは現在の世界情勢が 1930年代とは大きく様変わりしているからである。
 1990年代にはアメリカ資本主義が「東西冷戦」に勝ち一極支配となったため、それまでに蓄積していた過剰資本は一気に世界中に流れだしてグローバル資本化し、この世界は資本主義が永遠に続くかのように見えている。しかしその中でかつて冷戦時代に成長したアメリカを代表する巨大産業である自動車産業は衰退し、そこで働いていた労働者たちはいまラストベルトに置き去りになっている。一方で冷戦後急発展したIT産業で新たに登場したGAFAに代表される巨大企業は最初からグローバル化した資本であり、労働賃金がアメリカよりはるかに安い諸国に生産拠点を持ち、そこで低賃金で労働者を働かせている。本国の本社機構で働く頭脳労働者たちはそれらの国々で製造させる製品の設計やデザインなどを行い高給を得ているエリート労働者である。こうしたグローバル生産システムやそれによるオカネの世界的動きを利用して成功者となった一握りの人々は現在の「エスタブリッシュメント」階級となっている。こうした人々が支持する民主党の掲げる「グローバリズム」や「リベラリズム」はそのグローバルな資本がグローバルにさまざまな国の労働者の労働を搾取することでなりたっておりそのことを正当化するための思想なのである。

 この波に乗り遅れ世の中から取り残された多くの労働者や農民はそうした「リベラリズム」や「グローバリズム」に反感を抱くのは当然といえるだろう。しかし一方でこれらの人々が支持する「アメリカ・ファースト」を唱えるトランプによるカリスマ的政権が導く政治も危険に満ちていることは感じているはずだ。「自国第一主義」はやがて必ず戦争に行く着く。第2次世界大戦の記憶は未だ消えていないし、「一国社会主義」のスターリン主義の行き着いた先であるソ連・東欧圏の崩壊も見ている。

 やがてこうした底辺の人々は気づくはずだ。問題は「自国第一主義」対「グローバル・リベラリズム」ではないことに。それは資本のグローバリズムを支えるために各国の国境の中に閉じ込められ、国ごとの「生活水準の差」を利用して不当な搾取を繰り返すことでそれがもたらす莫大な利益の上に成り立つ「グローバル・リベラリズム」であり、それに対抗するのは「自国第一主義」では決してなく、生活水準の差を固定化させられている各国の労働者どうしが互いに手を結び合い、基本的に国境を越えて同じ立場から、その体制に意義を唱え、国境を越えた運動を創りだし、本物のグローバリズムと本物の民主主義を取り戻さねばならないということなのだ。


 

 

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2019年5月20日 (月)

経済成長ってナニ?(基本的問題について考えよう:1)

 いま地球温暖化による自然環境悪化の危機が叫ばれ、二酸化炭素排出量の削減が求められている。経済成長が進むと温暖化も進む、これはまぎれもない事実である。だから経済成長を押さえねなければダメだと言えば、そうなれば世界経済が破綻するという。自然エネルギーの利用を新産業として育成すれば経済成長が維持されたまま温暖化も防げるという。しかし、その膨大なエネルギーをいったい誰が何のために使うのか?今の経済は必要もないモノを次々生みだしてそれをドンドン買わせて捨てさせることで成り立っているのではないか?つまり無駄の生産でしか生き延びるこことができなくなっているのがいまの資本主義経済ではないのか?それを「生活が豊かになった」と思わせるのがいまの支配層のイデオロギーだ。その中で人々は自分の人生はモノをドンドン買うことにあると思うようになり、生活にモノは増えるがドンドン心の中身が薄くなっていく。モノをドンドン買える生活のためにはお金が必要だし、子どもが将来いい就職先に雇ってもらえるための教育にも「ハンパない」金がかかるので、そのためにいやな仕事でも我慢して長時間働かねばならない。そして頭の良い人間はうまく金儲けのできる世界へと泳ぎ出し、富裕層や支配層になっていく。しかしフツーの人間はだんだんこういう生活に疲れてきて落ちこぼれていく人もドンドン出てくる。そしてそこから一瞬でも解放されたい人は「バーチャル」なゲームやファンタジーの世界に逃げ込む。こうして世の中の「格差」が可視化されていく。

 そもそも「経済成長」ってナニ?こういう生きにくい現実をビジネスチャンスとしてとらえ、その中で少しでも金を儲けて資本を蓄積していくのが資本家的企業だ。要するに「経済成長」=「資本の成長」なのだ。その証拠に、20日の内閣府発表では1〜3月期GDPが昨年10〜12月期より0.5%増え、これが1年続いてとすれば年率換算で2.1%のプラスなんだそうだ。われわれの生活は少しもよくなっていないのに、2期連続プラスだといって平然としている。もっともその中で、外需部門での輸出のマイナスが輸入のマイナスより小さかったからマイナスどうし差し引きしてプラスになるという訳の分からない計算をしてのうえのことだが。

 こうして「経済成長」によって資本の蓄積が進むが、社会保障費などへの国家財政は借金がかさんで首が回らなくなっているので、ちっとも生活が良くならないで困っている労働者たちが乏しい賃金から自分たちの生活で必要なものを買うたびに「消費性」として支払わされたオカネで賄おうというのだ。なぜそれを儲けている資本家企業から払わせないのだ!

 しかもこの「経済成長」の中でわれわれの人生の中身はすべて「商品化」され金儲けの対象となる。それは決して「人類の成長」ではない。そもそも競争で個人的富を増やすことが原則の資本主義社会を支えるための「経済学」は限られた地球資源をもっとも有効にしかも長く人類の存続のために用いることができるように、無駄なく必要なモノだけをつくりながら、人類社会全体が地球環境の一部としてその物質代謝を支えていく方法を考えるという経済の原則を忘れ、それと真っ向から対立する方法で「経済成長」を捉えている。これを資本主義経済の矛盾といわないで何という!

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2019年5月17日 (金)

「MMT体制」はいつ破綻するか? それは明日かもしれない!

 最近Modern Monetary Theoryなる理論がまかり通っているらしい。今朝の朝日新聞「投資透視」欄でも野村證券の人が取り上げていたが、「インフレを招かないかぎり財政赤字は心配ない」という考え方らしい。巨額の政府借金を抱えて低金利、低インフレが続いていても経済破綻せず、「円」も安定しているいまの日本がその証明だといっているらしい。アベノミクスの「ヨイショ」理論とも受け止められるが、一方でデフレ気味の現在、消費税の引き上げは間違っているという見解をしめしているらしい。しかしこのコラムの筆者も言うように、財政赤字を野放図に拡大させ続けるとある時点で、中央銀行が国の債権を引き受けざるを得なくなり、通貨が大量発行され通貨の価値への疑念が生じ始めると急激なインフレが起きる可能性がある。個人や私企業間では借金を返済できなければたちまち信用を失い経済的に成り立たなくなるのは当たり前だ。それを中央銀行が国債を買い支えていれば国家はいくら借金をしても大丈夫などというのはどう考えてもおかしい。へりくつとしか思えない。私のような経済学の素人ですら分かることだ。

 少子高齢化が進み社会保障への負担がますます増大することが確実な日本でそれへの備えもなく消費増税に頼るしかないアベノミクスはもうすでに破綻しているという人も多いが、もし米中経済戦争が激化して世界経済が落ち込み、どこかで戦争でもはじまれば、たちまちインフレが起き、日本だけではなく、世界資本主義体制全体が崩壊の危機を迎えることになるかもしれない。これはかなり確度の高い予想である。もちろん資本主義の崩壊は歴史の必然といえるであろうが、その過程でもっとも大きな犠牲を払わねばならないのは労働者階級である。

 わたしたちは失業や戦争による犠牲を最小限に抑えるべく、いまからそのための準備をしておかねばならないのではないだろうか?すでにそのきっかけは始まっている。それはいまアメリカでもヨーロッパでも起き始めている労働者階級の新しい動きである。かつてはリッチなアメリカで「労働貴族」となって高賃金を条件に経営者の片棒をかついでいたAFL-CIOなどの労働組合が変化しつつある。アメリカ社会の貧困化の現れである。そしてフランスやドイツなどでは失業率が低くなってはいるがその労働内容や賃金水準の悪化は覆い隠せない。だから労働者たちは大量の移民がやってくれば危機感を持つのは当然だ。

 そしていまこうした危機感に乗じて排他的民族主義を掲げる政党の台頭がが目立つ一方でインターネットなどを通じてこうした世界中の労働者たちが互いに自分たちのおかれた実状を認知し合えるようになってきている。やがてこうしたうごきは一つの大きな労働者階級の連携した運動へとつながるに違いない。「万国の労働者、団結せよ」である。そしてそれこそが歴史を動かす本当の力になって行くに違いないと思う。2000万人以上いると言われている日本の非正規雇用労働者たちもこの動きに気づくべきだろう。

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