経済・政治・国際

2017年11月17日 (金)

「リベラル派」がはらむ根本的問題点(修正版)

 15日の朝日朝刊に、「米民主党苦悩の背景」と題してラストベルト地方の党委員長、デビッド・ベトラス氏へのインタビュー記事が載っていた。一地方委員として民主党の選挙運動を担ってきた現場の人間から見た民主党敗北の要因がリアルに語られていた。

 彼はいう、「(民主党は)配管工、美容師、大工、屋根葺き、タイル職人、工場労働者など、両手を汚してい働いている人に敬意を伝えるべきです。(中略)彼らは自らの仕事に誇りを持っている。しかし、民主党の姿勢には敬意が感じられない。”もう両手を使う仕事では食べていけない。教育プログラムを受け、学位を取りなさい。パソコンを使って仕事をしなければダメだ”そんな言葉にウンザリなんです。そして民主党が性的マイノリティー問題や人種差別反対の主張を「メインディッシュ」にしてきたが、それは必要なことではあるが本来は「サイドディッシュ」であって、人々の関心は、良い仕事があるか、キチンと家族が養えるか、子の誕生日にパイを用意できるか、教育を用意できるか、十分な休暇を取れるか、自分の仕事に誇りを持って引退できるかです。これらが本来「メインディッシュ」であって、「サイドディッシュ」より重点的に扱われなければならないのです。」
 ベトラス氏はこのような実態に対して党中央が無関心になっていることが敗北の原因だという。そして党中央はカリフォルニア州などのハイテク企業関連の超富裕層からの莫大な献金で潤っているのでこのような感覚になってしまったと批判している。
 ここで、もう一つ、昨夜のNHKTVの「クロ現プラス」でかつて民主党副大統領で「不都合な真実」という著作で有名になったアル・ゴア氏とのインタビューを放映していた。
  ゴア氏は二酸化炭素による気候温暖化のもたらす深刻な被害の事実を認め、これを防ぐためにパリ協定の合意に向けた精力的活動をしてきた。当然、トランプの政策には真っ向から反対している。また彼自身、再生可能エネルギー産業に莫大な投資をして化石燃料エネルギーに変わるクリーンエネルギー体制の強化に努めてきた。
  インタビューでは、その業績を称えると同時に最後に「あなたのことを再生可能エネルギーで莫大な利益を上げて超富裕層になった人と揶揄する人がいますが」という質問に対して、彼は、「最初からお金持ちになろうとしたわけではなく、結果としてそうなったのであって、再生可能エネルギーが主流となることによって経済成長ももたらされることを主張したい」と弁解していたのが印象的だった。
 確かにゴア氏の主張や考え方は一応正しいと思われる。しかし、ここで肝心なことが語られていない。それはここでも言及されている「経済成長」である。「経済成長」はいまの世に中では「消費拡大」とほぼイコールの意味で使われている。しかし最大の問題は地球上で限られた蓄積量のエネルギーの消費量をできうる限り減らす努力であって、ムダな生産とムダな消費によって成立する現在の資本主義経済体制の矛盾を根本的に克服し、ムダなエネルギ-を使わずに経済的に成り立つ社会を目指すことがいまの最重要課題だということではないか?つまり目指すべきは再生可能エネルギー化を巻き込んだ「消費拡大」ではなく、世界全体で「必要なものを必要なだけ生み出せば足りる社会」を実現させることであろう。
 そしてベトラス氏の指摘しているように産業技術のハイテク化が進んでも「両手を汚す」仕事はなくならず、そうした仕事に従事する労働者は社会にとって重要な存在であり続ける。技術の進歩に追いつけない労働者にパソコン教育を施してハイテク産業に再雇用させようというのは、いかにもハイテク産業経営者的発想ではないか。彼らは労働者を単なる「道具」としてしか考えていないくせに、「リベラル」をキャッチフレーズにしている。やがて世の中でAI化が進めば、ハイテク頭脳労働者も「合理化」の対象となるときがくるだろう。
  ゴア氏にあっても気候温暖化をもたらす化石燃料に代わる再生可能エネルギー産業を立ち上げようとする新興資本家の発想である。おそらく彼の頭の中にも「両手を汚す仕事」に従事している労働者のイメージはないし、彼の莫大な富が何によってもたらされているかも知りたくないのだろう。
 こうして米民主党の主張に代表される「リベラル派」が依って立つ政治経済的基盤はブルーカラーではないエリート頭脳労働者を主に雇用するハイテク企業の存在であって、そのイデオロギーは新興資本家の主張であるといえるだろう。そして彼らの闘う相手は化石燃料資本を主とした旧資本家階級を基板とした体制であろう。トランプはこうした状況にやり場のない不満を抱えた労働者を巧みに利用したのである。
 もう少し言えば、「リベラル派」の主張はいまや「手を汚さない」頭脳労働者たちと手足を使って労働する身体労働者たちに二分されてしまった労働者階級のうち前者を代表するものであるといえるだろう。実は彼らはこうした新興資本家の莫大な富の「おこぼれ」を頂戴して「既得権階級」として中間層上層部に乗っかっている人たちなのであって、新興資本家の思想を代表するイデオロギーに完全に支配されている人々といえるだろう。
 ちょうどフランス革命で新興階級として登場した資本家階級が「自由平等」を掲げて、労働者や農民たちを味方につけて王権・貴族階級と闘い、後の産業資本主義時代には彼らの上層部が資本家のイデオロギーに取り込まれて「市民意識」に染め上げられていったのとよく似た状況だ。
 「リベラル」は本当の意味で労働者階級を代表した思想とはいえない。しかしそれに対抗するためには、間違っても「反リベラル」を掲げるトランプなどに代表される既存資本家勢力の政党に与するべきではない。
  労働者階級が真にその主張を貫くことができるのは、頭脳労働者も肉体労働者も本質的に国境を越えて共通の立場にあることを自覚した彼ら自身が生み出す組織や政党においてであるといえるだろう。ちょうど産業革命時に「自由・平等」を掲げるブルジョアジーが経済的実権を握ると同時に被搾取階級としての本来の 労働者階級が明確に姿を現し、その矛盾を体現していく中で階級として結束していくことができたように。

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2017年11月10日 (金)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その3)

 さてここで、これまで見てきたトランプの動きとそのスローガンと実際の行動の間にある大きなギャップの原因について考えてみよう。

 トランプが大統領に選出された背景には、前任者オバマが掲げてきた理想主義的スローガン、つまり自由貿易の推進、核廃絶と世界平和、差別撤廃と平等な社会の実現、などは、実際の政策としても試みられ、TPP推進、パリ協定加盟、 イランとの核合意、北朝鮮への戦略的忍耐、アフガン・中東からの撤兵、キューバとの国交回復、オバマケアの実施などという形で現れた。しかしこうした「リベラル」政策の持つ、本質的な矛盾も噴出し、さまざまな形でアメリカ国内の内部に不満を生み出して行くと同時に、世界的にも中東での「アラブの春」に始まる内戦とISの登場による混乱とテロの拡大、貿易不均衡問題、北朝鮮の核開発進行など大きな問題が噴出した。
 トランプはそうした矛盾の噴出に乗っかって、オバマ・民主党への罵倒を浴びせながら「アメリカ・ファースト」「不公平貿易を廃してアメリカ人の雇用を護る」「不法移民阻止のため国境のカベをつくる」「税金のムダ使いであるオバマケアの廃止」などのスローガンで大統領に選ばれたのであった。
 オバマは、1930年代の世界恐慌と第2次大戦を挟んで新たに導入されたケインズ型資本主義(ケネディーなどの政策に見られるインフラなどへの公共投資を増大させ雇用を確保し、労働者の賃金を上げ生活消費財市場を活性化させ、通貨の価値を中央銀行のコントロールによって少しずつ下げながら、資本が回転することによって資本家が労働賃金上昇で失った利潤分を取り戻すことができるような仕組みの資本主義体制)によってもたらされたアメリカの繁栄とそれがもたらす矛盾(社会保障費など国家財政負担の増大、高額な税金、労働意欲の減退など)への批判としてその後登場した新自由主義的主張(レーガンやブッシュに見られるような自由市場と自助努力の強調 、「小さな政府」の主張など)とのバランスを取ろうとしたのであろうが実質的にそれに失敗したといえるだろう。
  オバマは資本主義経済が本質的にもつ矛盾(社会的に必要な富を生み出す労働者階級の労働が自らの主体的目的意識に基づいた労働ではなく資本家の目的のために富を生み出す労働となっていて、その労働の成果はすべて資本家の私的な富となり、その一部を労働賃金としてもらって生活せざるを得ない仕組み)を理解せず、ただ表面的な「リベラリズム」によってその矛盾の現象面での調整をしようとしたことが失敗の本当の原因だろう。
 その失敗を逆手にとって批判することによって大統領になったトランプは、しかし前述のように、その資本主義経済の矛盾をさらに上塗りするような政策を対置することしか出来なかった。
 一方、かつての「社会主義国」の生き残りであり、いまや完全に資本主義経済体制となった中国は、労働者の解放をめざすマルクスらの思想とはまったく相容れない一党独裁の政治体制のもとで資本主義経済を急速に推進させた。この国では相変わらず労働者階級は被搾取階級であり続け、農民達はさらに惨めな状態に置かれている。 経済的支配権は資本家(外国の資本家や投資家も含めて)が握っており、さらにその上に国家官僚や党官僚という最上層階級が政治的に強力な支配権を握っているという3階級支配構造の国である。
 皮肉なことに資本主義経済体制はもはや歴史的には「レッセフェール」で市場の「神の手」に任せていては大混乱になり崩壊してしまうので、国家が上から統制しないと生き残れないような形に変貌している。その意味で中国は西欧や日本に比べてはるかに効率よく、急速に資本主義経済を発展させ得たのである。
 いま世界中の労働者階級はこうした国際的な経済体制に乗っかった国家群の動向によって振り回され将来への不安を植え付けられながら日々ますますその主体性・社会的主導権を奪われつつある。そして自らの生み出す、ますます大きくなる富を一握りの支配階級の手に握られ、彼らの政治的意図をトップダウンに受け入れさせられているのである。
  そしてこうした状況に国境を越えて本質的には同じ立場として互いに手を携えて連帯できるはずの人々が、毎日のように繰り返される「国民としてのアイデンティティーを!」というキャンペーンのもとで分断されているのである。
 トランプの「アメリカ・ファースト!」などのスローガンはこの歴史の底流の真実とはかけ離れたアメリカ株式会社のワンマンCEOによる空しく的外れな「うわごと」にすぎないのだ。そして危ない橋を渡る経済体制の中で「思惑と操作」によって高騰する株価にご満悦の安倍首相はこのトランプの「うわごと」に「ホールインワン」で応えようとしている。何と馬鹿なことか!
(以上)
 

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2017年11月 9日 (木)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その2)

 トランプは、日本の後、北朝鮮問題の渦中にある韓国を訪れた。韓国では日米韓の軍事的同盟化を警戒した韓国から一定の距離を置かれ、Thardの追加配備をあきらめざるを得なくなった。その後、トランプは中国に行った。中国では故宮博物館を「貸し切り」にするという破格の歓迎で、トランプをもてなした。それに加えて20兆円にもおよぶ商談を成立させ、トランプを喜ばせた。ご機嫌のトランプはかつて泥棒呼ばわりしてきた米中間の貿易不均衡問題をアメリカの前政権のせいにしてしまった。しかしトランプは対北朝鮮問題では中国からは実質的に何も新たな成果を引き出せなかった。

 つまりトランプの目指す方向とは相反して完全に習近平のペースに乗せられたようである。結局、何もかもトランプのペースで行けたのは日本においてだけであった。シンゾーはドナルドの意のままに振る舞ってくれたのだ。
 ベトナムでのAPECではプーチンとどのような話が出てくるのか予断は許せないが、どちらにせよ、中国の世界市場制覇の意図の前にアメリカは主導権を握ることが難しいという印象を世界中にに印象づけたのではないだろうか。東西冷戦の崩壊とともに皮肉なことに「パックスアメリカーナ」も崩壊をはじめ、その混乱の中から頭をもたげてきたのは中国だった。
 どちらにせよ、この混乱の中で確執を繰り返す国々の支配層がナショナリズムを推進し、国家間の無政府的市場獲得競争が激化すれば、経済的には相互依存関係にあっても政治的にはつねに対立をはらみ、軍事力を背景とした「力」を見せつけなければならなくなるだろう。そしてその渦中で日本でも「改憲」が現実化し、アメリカから高額な軍需品を大量に購入し装備した「国軍」が登場することになりそうだ。
 こうした歴史の危険な流れが始まる中で、世界経済を支配するグローバルな資本の回転の中で、その資本の人格化であるグローバル企業の経営陣同士の相互依存<即>相互対立という矛盾関係を総資本の代弁機関である「国家」として調整しながら、対外的には国家間でも経済的相互依存関係が同時にトップ争いの場ではつねに対立関係として軍事力を背景に戦争の危機をはらみながら動いていくことになるだろう。
  もっとも重要なことは、国家とはそれを成り立たせている経済的土台を日々労働によって生み出している人々を上から支配する仕組みであって、そのメカニズムは国家の指導者が立てる政治方針のもとで資本家企業に雇用されて毎日働いていれば大過なく生活ができるという雰囲気とイデオロギーを生み出しそれに人々が支配されそれを乱さないような「法と秩序」によって規制されながら生きて行くようになっているのである。
  そして「自由と民主主義」にもとづいた選挙による「国民の総意のもとで」というふれ込みで国家の支配は進んでいく。そして対外的には競争相手の国の人々を互いに蔑視しさげすむ意識が醸成されその反面として「愛国心」が強調される。「アメリカ・ファースト」「ニッポンをとりもどす」「大中華帝国の再生」などなどである。
 そしていったん国家間の軍事的衝突が始まれば、たちまち「お国のために命をすてる」ことが名誉とされる雰囲気が充満することになるのである。そしていつも戦い死ぬのは互いに個人的には何の直接的恨みもない労働者同士なのである。
 この苦渋に満ちた歴史はすでに明治維新以後150年に渡って経験してきたのであるが、それにも拘わらずいままたそれが繰り返されようとしている。
  近代史的に見れば、それはつねに「グローバリズム」と「ナショナリズム」の対立という形をとるが、実はこの両者は裏と表の関係にある。つまり「同じ一つのもの」の両面なのである。この「一つのもの」とは資本主義的経済のメカニズムの上に築かれた「国家」のことであり、この資本主義的国家の目指す「グローバリズム」は世界市場ににおいて必ずその反面としてのナショナリズムを裏側にもっている。
  われわれが目指すべき真のグローバリズムはそのような矛盾の基礎全体を克服した先に開かれるインターナショナリズムであるといえるのではないだろうか。
 以下(その3)に続く。

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2017年11月 7日 (火)

トランプのアメリカが目指す方向とその矛盾について(その1)

 トランプ大統領が安部首相との「蜜月」を世界にアピールし、その成果として北朝鮮の核脅威から日本を守ってやると同時にそれと引き替えにアメリカの軍需産業品を大量に日本に買わせる約束をさせたようだ。安倍首相は北の脅威を「国難」の一つとして掲げ、改憲に向けた総選挙で過半数をとった。だから「蜜月」なのだ。支配層の「蜜月」の陰で両国でともに置いてきぼりにされているのはその社会を下から支えるために働く人々だ。

 ここでトランプの目指すアメリカの今後を考えてみよう。トランプの「アメリカ第1主義」は、貿易の不均衡をなくし、国内雇用を増やし、アメリカを再び強くてリッチな国にしていこうというのであるが、例えば「貿易不均衡」は何故起きているのかを考えると、アメリカが戦後ずっと労働者の賃金を上げてその購買力をつけさせ、商品の販売力(消費)増大による資本の利益増大をバネしにして経済を活性化させるという方針(アベノミクスはこの焼き直し)を貫いてきたからだ。アメリカが誇る自動車などの工業製品は製造業の労働賃金が上昇し、国際市場では割高となって、敗戦で資本主義経済をリセットさせ比較的有利な条件で労働力をつぎ込めたドイツや日本の企業が作るクルマが世界市場を支配していくことになった。
  一方アメリカの労働者達は「消費拡大政策」で過剰なほど生活資料を購買する習慣が付いたが、その生活資料商品の一部であるクルマや家電製品を作る企業はもちろんのことそれ以外の食料品や家庭消費雑貨などを生産する労働者の賃金も上昇しこれらの商品も割高となっていく中で、賃金が上がっても生活消費財も値上がりして不満が増す中、貿易差益によって儲けようとする商業資本家達が安い労働力で作られた海外製品を大量に輸入し、「価格破壊」によってあっというまにアメリカ生活消費財市場は外国製品で埋め尽くされていき、製造業で失業した労働者達は比較的賃金の安い流通販売業界などに雇用されて行かざるを得なくなった。
  そして自動車などの製造業も低賃金労働者を大量に使用できるラテンアメリカやアジア諸国に生産拠点を移していった。メキシコで作られたアメ車は国際市場ではアメリカ企業のブランドで国際市場に見合った価格で売られる。メキシコの貧しい労働者は低賃金でアメリカ資本に雇用されるがアメリカの労働者は高賃金ゆえに職を失う。
 やがて「IT革命」の波がやってきてコンピュータ産業やインターネットを利用した産業が爆発的に増大し、マイクロソフト、アップル、グーグル、アマゾンといったIT技術を駆使した新興資本家企業が急成長したが、ここではSEなどの頭脳労働者が「戦力」として比較的高賃金でどんどん採用され「中間層」の一部を形成していった。しかしその半分以上はアメリカ以外の国からの移民である。いわば人材の輸入である。
  その一方で従来の製造業は凋落の一途をたどり、投資家を含む金融業や不動産業、観光エンタメ業、などの不生産的資本家達がIT新興企業の資本家達とともに新富裕層として成長して行った。その中で技術ノウハウを軍事機密とすることで途方もない高額な価格で売れる軍需産業品は買い手さえつけばアメリカに残された最後の「儲かる製造業」であろう。
 そしてやがて中国という「強敵」が現れた。このアメリカの5倍以上の労働人口を擁する国は共産党独裁の資本主義国として20世紀末から鄧小平改革によって国際市場に参入し、農村からの出稼ぎなどの大量の低賃金労働と国家統制に近い強力なトップダウン経済システムによってあっというまに国際市場での強固な地位を確立した。いまやアメリカブランドのIT製品に留まらず、ヨーロッパや日本などの企業が販売する工業製品の多くが中国で生産されている。そればかりか中国は質の高い労働力を持っている。「中国製は粗悪品」というイメージはいずれ払拭され、「ものづくり大国」を自称する日本も太刀打ちできなくなるだろう。
  その反面で中国国内でも労働者の格差が急拡大しており、新興資本家として立ち上がった人々や「成功者」たち、そしてそれらの政治的利権を握った政治家や党幹部などは富裕層になり、海外に観光に出かけて「爆買い」などによりそれらの国々に「経済的貢献」をするようになった。その一方でいくら働いても生活が楽にならない労働者も増大しているようだ。
  また中国は工業製品輸出国であると同時に広大な国内での大量の生活消費財市場でもあり、ここに欧米や日本の資本家たちも巨大な「ビジネスチャンス」を見逃すはずはない。
 現状ではアメリカと中国は経済的には「持ちつ持たれつ」の関係だがトランプはこうした中国がやがて強大な軍事力を伴って世界経済を支配していくであろうことを予見し、日本を含めそれに対抗しうる軍事・経済ブロックを形成しようとしているかに見える。
 しかし、「アメリカ第1主義」は結局アメリカ衰退の原因をもたらしたこうした経済的仕組みの矛盾を見ようとせずにただ、不公平貿易の解消と移民流入と生産拠点流出によるアメリカ人の雇用喪失問題などを強調し、その防止の強硬手段を対置するだけなのである。それはいずれその失敗をドラスティックに表面化させることになるだろう。「蜜月」だった安倍政権はそのときその事態にどう対処するのか見物である(しかし他人事ではない)。
以下(その2)に続く。

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2017年10月22日 (日)

選挙で「承認」された「安部一強体制」が崩れる日

 衆議院議員選挙の投票が終わり結果は「希望の党」が惨敗し、立憲民主党が健闘したが、安部自公政権が過半数を超えその体制が「承認」された形となった。自民党の内部からはあの強権的冒頭解散が「功を奏した」という鼻持ちならない自画自賛の見解も出されている。これで森友・加計問題は「贖罪」されたということになり、真剣な議題としては取り上げられることはなくなるだろうし、「改憲」に向けてまっしぐらに進むことになるだろう。

 この結果は反安部陣営にとってはある程度予想されたものとはいえ悔しい結果である。都議選をきっかけに、中身のない小池「希望の党」が風船のように膨らんだため、民進党の前原氏がそれに「合流」して反安部勢力を伸ばそうなどという馬鹿化た決断をしてしまったため、民進党は小池の踏み絵を踏まされて惨めな分裂をすることになった。
 しかし、選挙の結果「希望の党」からはじき出されて「立憲民主党」を作ったグループが予想以上に多くの支持を得た。「希望の党」に「合流した」旧民進党の面々はほとんど落選し、これで結党以来ずっとくすぶっていた民進党の内部対立がはっきりとした形で決着した。これは結果としてはかえって良かったのではないだろうか?
 立憲民主党や共産党などによる反自公陣営が今後どのような形で進展するのかは予測不能であるが、安部自公政権が「圧勝」したことは、見方によってはかえって今後の反安部陣営にとって有利な戦いが出来る可能性があるように思える。
 それは何故かというと、安部自公政権が「圧勝」したのはひとえに「好景気」「株価高騰」「失業率最低」などの経済的指標の「外見的良さ」故と思われるからである。これを安部首相は「アベノミクスの勝利」と結論づけるだろう。しかし、実際の社会的経済の実態は危機的であり、長期に渡る自民政権が大資本と結託して行ってきた「インフレ政策」を基調とした「経済成長」がもたらした重大な欠陥が「少子高齢化」や社会保障の財源不足などという状況をもたらしていることを安倍自身まったく自覚していない。
  だから自ら生み出した状況を「国難」と位置づけそれを克服するために、自分の先輩たちがその原因を作ってきた経済政策のさらなる悪しき加速化でしかない「アベノミクス」を推進しようとしているのだ。矛盾の上塗りである。
 この「アベノミクス」は遠からず崩壊するだろう。アメリカFRBの新しいトップが「利上げ」に舵を切ることをきっかけに世界資本主義体制はすでに数十年も前から潜在化している崩壊への道を顕在化させる可能性がある。そうなれば「根無し草」に過ぎない「好景気」などたちまち吹き飛んでしまうだろうから。
 そのときになって初めて人々は「アベノミクス」と安倍政権の政策の虚偽を実感し、そこで安部一強体制は自壊するだろう。
 そのとき反自公陣営はそれを克服するための新たな政治体制と経済政策を打ち出さねばならなくなるのだ。しかしいまの「立憲民主党」や共産党などにそれができるかどうかが問題だ。
 「右でも左でもなく、前へ」とか「階級政党的立場を捨てて国民政党に脱皮すべき」などと言っている間はそれは到底無理だろう。

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2017年10月15日 (日)

すでに「潜在的過剰生産恐慌」状態のアベノミクス

 衆議院議員選挙もいまや真っ盛りでマスコミでは各党への投票率の予測をしているが、残念ながらどうも自民・公明連合の座は揺るぎそうにない。あれだけ、森友、加計問題で権力の私物化・乱用を行い、しかも安保法制、共謀罪、などで憲法や人権を実質的に破壊しながら、安部首相は北朝鮮の暴走にバックアップされ、「ニッポンを守り抜くのはわが党しかない」などと叫んでいるのだ。

 こんなひどい安部政権でありながらいまだに支持率が落ち込まないのは、ひとえに「好景気」のおかげであろう。経済指標(これがそもそもマユツバなのだが)はどれもそれほど悪くなく、株価は最高値を更新(実はこれも政府・日銀が買い支えている)しつつあるし、政権側の主張によれば「いざなぎ景気を超える長期好景気」なのだそうだ。「人手不足」で大卒の就職率は良く、失業率も数値上では低い。自分の財産を投資に回せる富裕層や中間層の人たちは、株や不動産投資で儲けを増やし、豪華な遊び道具やブランド品収集、超豪華な観光、グルメ三昧などリッチな「買い物人生」を楽しんでいる。

 しかし、その一方で、莫大な教育費(教育資本が莫大な利益をあげている)が負担できず、こどもを進学させることもあきらめたり、小さな子どもを保育園に預けて働きにでなければやっていけない女性が保育園に子どもを入れることすらできず、仕事をあきらめざるをえなくなっているケースも多い。経済的理由で「一流大学コース」に乗ることができない若者達はその段階で。中間層や富裕層への道を閉ざされ、一人前の生活者としての生活もあきらめざるを得なくなる。そして結婚も出来ず、次々と非正規雇用の仕事を渡り歩き孤独な生活を送らねばならない。健全な次世代を築くはずの家庭が崩壊しつつある。こうした若者達の老後はいったいどうなるのだろうか?「ニッポン」の悲惨な未来が垣間見える。
 リッチな人々はさらにリッチに、貧しい人々はさらにプアーになっていく状況が生まれていることは疑いもない事実だ。これこそ歴代自民党政府が行ってきた政治の結果であり、最大の「国難」であろう。
 現政権もこうした状況を無視できず「教育負担の軽減」とか「人作り改革」などと一見カッコイイスローガンを掲げ「少子高齢化社会への社会保障負担の増大という国難に対処する」などと叫びそれらが「好景気」のもとで可能であるかの様に見せているが、これはとんでもないごまかしである。結局「消費税」を上げ、労働者階級からその費用を吸い上げることしかできないだろう。「国難」を生み出してきた張本人がその原因を顧みず「国難突破」などといってもそれはごまかし以上のむしろ詐欺だ。
  そこでこの安倍政権の支持率を維持させている「好景気」の真実の姿を求めてみよう。
  いまや首相の御用機関となってしまった黒田日銀が打ち出した「異次元の金融緩和」で市場にばらまかれたカネは、当然のことながら為替相場で円の価値を引き下げる。そして他方で国債を日銀が買い支えることで国が借金を背負い込む形でその信用を維持しながら、そのカネが資本の回転を速めさせるために「大胆な財政出動」と「成長戦略」を打ち出す。
  この「大胆な財政出動」とは大企業を中心にした公共事業などへの投融資を行い、それらの企業の利益増大をテコとして関連下請け企業にもそのおこぼれが落ちてきて、最後にそうした企業に雇用されている労働者の賃金も上げることができ、それによって労働者達の「購買力」を高め「消費拡大」に繋げるという目論見だ。安倍首相はこれを「経済の好循環」と称していた。このごまかしは「物価上層による景気回復」という経済的にはまったく矛盾した表現(物価を安定させることで生活を安定させるのが本来の姿だ)に表れている。
 その一方で貸し出し金利がほとんどゼロになり、その低い金利を利用して中間層の人たちにローンで家や高級家電・家具など大きな買い物をさせる。そこで建設業や関連メーカーが大きく儲かり、そこに投資マネーが流れ込むと同時にそれらの企業に低賃金非正規雇用の労働者が流れ込む。そして「人手不足」を名目に長時間労働が日常化する。設備投資でリスクをおかして「合理化」するよりその方が安上がりだし、使い捨てできるからだ。
 また富裕層がマンションなどへの不動産投資をどんどん行うようになり、カネが過剰に流通している市場で不動産の価格が途方もなく上がりその売買差額でぼろ儲けをする人たちも現れる。彼らは新興富裕層になっていく。
 しかしアベノミクスの目論見は成功しなかった。なぜならば市場に大量に流れ込んだカネは大企業や投資家には大量に吸収されたが、それは競争力をつけるなどのために新技術を開発した新興企業の買収や資本の統合のための資金という形で企業がより巨大化するために用いられたりして、労働者階級にはほとんど落ちてこなかったからである。
  つまりアベノミクス3本目の矢「成長戦略」とは大企業や投資家たちが莫大な利益をあげるためにしか機能せず、「賃上げによる消費拡大」や「デフレ解消」をもたらさなかった。
  しかし大企業はアベノミクスが危ない橋を渡っていることをすでに知っているため資本の内部留保を増やし、景気変動に備えようとしているし、それを設備投資などで生産手段の拡充に必要以上に回そうとはしない。
 これらの状況を見ると、結局異次元の金融緩和で流し込まれたカネは過剰資本を増やすだけの機能しかなく、それによって過剰生産・過剰消費の回転を速めることで資本家が投下した資本に見合う利潤を生み出せない本物の過剰資本とならないような状況をつくるために回されるだけなのである。
  これはすでに実質的に過剰化している資本のもとで生産的でなくなっている資本主義経済体制を不生産的消費を増やすことによりその過剰化した資本を消費させることでなんとか形の上で体制を維持させていこうとする弥縫策であり、その意味ですでに「潜在的な過剰生産恐慌」*とも言える状況である。
 いまや危うくなってきた「潜在的過剰生産恐慌」の状態を顕在的恐慌にさせないために安部政権に残された最後の手は、軍需産業の様な巨大な「不生産的消費」産業に莫大な投資を行うことである。これには憲法を改定して合法的に「国軍」を持たせ、そこに政府主導で堂々と巨額の財政出動を行うことである。そして軍事技術の輸出で儲けるためには軍事的緊張も「好材料」なのである。
  そしてもう一つは「IR]と呼ばれている巨大な総合ギャンブル施設を国家が支援して作り出し、そこに世界中の富裕層からオカネを落とさせ関連する第3次産業にカネが回るという仕組みである。まさに腐朽化した資本主義社会の退廃の極みである。モノ作り技術を磨いてきた日本の労働者たちもここでは用がなくなり、ギャンブラーをもてなすバーテンダーにでも転職しなければならなくなるだろう。
 さあ、それでも自民・公明連合や、「反安部」を掲げながら実は安倍政権とほとんど変わらない政策しか持っていない「希望の党」に投票しますか?
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*「潜在的な過剰生産恐慌」というとらえ方は「資本論150年記念シンポジウム」で中央大学の建部正義氏が用いたとらえ方である。

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2017年10月13日 (金)

イメージ広告商戦としての選挙運動に惑わされるな

 衆議院選挙運動が始まった。各党の選挙広報がマスコミでデカデカと報じられる。どれを見てもあまり言ってることの違いが分からないキャッチフレーズ。これは商品市場で自社商品を売り込むために行う広告戦略と同じ手法が用いられているからだろう。

 もちろん憲法をめぐる諸問題(改憲、安保法制、共謀罪など)などは政党によって大きく考え方が異なるが、 社会の現状認識においてはほとんどすべての党が「少子高齢化対策と子どもの教育の機会均等化、格差是正」などを政策の基本に据え、その上で自民は「国難からニッポンを護り抜く」公明は「希望を持てる安心安全な社会」、野党側は共通して「安部一強支配打破」を掲げながら、希望は「しがらみのない政治」立憲は「草の根ボトムアップ社会の実現」共産は「憲法と人権を守る民主的政治」などなど、ややニュアンスの異なるフレーズを掲げる。
 しかし、与党側の主張では、社会の現状認識がワンパタン化しており、なぜ「少子高齢化や学校に行けない子どもが増え、景気が良いといわれるのに社会格差が増大し過労死や過酷な労働が減らないのかなどについてはぜんぜん言及されていない。野党を含めてそうした問題と各党の政策の違いがどう結びついて問題を解決しようとしているのかはさっぱり明確ではない。
 もちろん最初からどの党に入れるか決めている有権者も多いだろう。商品市場と同様「この会社は大企業なので信用ができるから」「私はずっとこの会社の商品を買ってきたから」「知り合いや周囲の人たちがみなこの会社の商品を買ってるから」といった理由で特定の政党に決めているのだと思われる。つまりもっともしがらみに左右される「非主体的」な人々である。こう言う人たちは憲法を巡る諸問題や社会の矛盾の実状など真剣に考えたことはないのだろう。
 しかしこうした「しがらみ」にとらわれない有権者(その多くは都会で働く労働者)は投票でこれらの「政党商品」の中から自分の「好み」の商品(政党)を選ばされることになる。そして市場の論理が基調であるこの社会では、会社に当たる政党はいかに商品を購買させるかという戦略を立てて、「虚偽」の法律違反すれすれの「合法的だまし」のテクニックを用いるのである。本当は「保守の集まり」なのにまるでその党に入れれば「革命」でも起きるかのごときフレーズも用いられる。
  それにはまず短いキャッチフレーズで「顧客」の注意を引き、同時に写真やポスターでのイメージ戦略という「印象操作」を行う。企業の市場戦略で用いる顧客の心理操作である。どの「商品広告」を見ても、すぐにゆたかで明るい社会が実現できそうなイメージや雰囲気をアピールしている。だから「購買者」たる有権者は迷わされてしまう。
 だがこの心理操作に騙されてはいけない。いまの市場原理に基づく社会の基本は「騙しのテクニック」であり、はっきり言って、中身の貧弱な商品を如何に実際の価値より高く見せるか、なのである。多くの場合、商品を買ってしまったあとは、その中身に失望してもそれは購買者の責任として片付けられてしまう。選挙戦もこの例外ではない。そしてかのヒトラーもこうした心理作戦を駆使して合法的選挙で政権を取り、独裁体制を確立させた。
 だからこういう状況では「主体的棄権」というのも一つの意思表示になると思う。投票率が低ければその中でいくら第一党になっても「国民の過半数の支持を得た」とは言えないからである。
 しかしこれではあまりに消極的だと考えるのであれば、たとえ少数派であっても取りあえずこれらの「政党商品」の中で一番自分の考えに近い主張をしていそうな党を選ぶ。そして選挙でその政党から幾人かの候補が当選すれば、その政党を下から突き動かして内部議論の場を生み出していき、そこでの議論の過程や結果を公表しながら支持者を徐々に拡げて行く。そしてむしろ政党による上からの政策実行ではなく、政党を窓口とした下からの結束を社会的に拡げて行くことで大きな力を生み出して行くというやり方だ。
 これには働く人たちの企業のカベを越えた横のつながりとそれらを一つの大きな力に組織して行く仕組みが必要で、こうした組織を通じて現状の「連合」などに見られる様な労働組合の腐敗に対抗して行けるようにすることが必要であろう。それによって初めて今日の社会の仕組みが基本的に持つ矛盾を明らかにすることができるのではないだろうか?
 今度の選挙もこうした展望への糸口になるのであれば、そこに一筋の光が見えてくるかもしれない。
 

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2017年10月 8日 (日)

社会主義理論学会第75回研究会「ロシア革命100年」に参加して

(修正版)

本日(8日)慶応大学三田キャンパスで開催された表記学会の研究会を聞きに行ってきた。最初の講師は、ジョレス/ロイ・メドベージェフ著「ロシア革命一世紀を生きぬく視覚」の訳者である佐々木洋氏で「ウラジミール・レーニンからウラジミール・プーチンまでー異論派R&Zh・メドベージェフ兄弟のロシア革命百年観ー」という演題、2番目は最近、佐藤優との対談で有名らしい山崎耕一郎氏の「ソ連崩壊をどう総括するか」であった。

 参加者は59人だったそうで、主催者は「新記録」といっていた。この学会について私は詳細を知らないが、社会主義協会派の人たちが中心かと推測しそう書いたが、これは私の勘違いであった様だ。この学会は特定の派閥に属するものではなく、広く一般の人たちに門戸が開かれた学会だそうである。このブログを読んだ学会メンバーの一人から注意を受けたのでここに訂正しておく。
 佐々木氏の話はソ連内部でスターリンを批判しようとしたメドベージェフ兄弟についての話と、かつてはスターリン崇拝者だったがその後ユーゴ共産党の「反スターリン派」指導部になったミロヴァン・ジラス(この人物はいまのユーロ・コミュニズムの源流の一つらしい)などの話が中心で、要するにレーニンの10月革命が当時置かれていた状況とそれによるロシア革命の勝利がもたらした内部矛盾、そしてその後のスターリンの独裁体制の成立と内実などについてのドキュメント風の話だった。私にはあまりなじみのない人物の話が出てきたり、あの数学者B.ラッセルが革命直後のソ連に行ってレーニンらと直接話をしてきたという話などはおもしろかった。
  要は、ロシア革命の姿を「社会主義の実現」というステレオタイプ的視点ではなく、当時のありのままの形でリアルに描き出そうというものであったが、問題はそのロシア革命がなぜスターリン主義へと変質し、戦後の資本主義社会に対抗できなくなり、崩壊したのかという本質的な問題にはほとんど触れられていなかったことだ。
 そこで次の山崎氏による「ロシア革命の崩壊をどう総括するか」に期待をかけた。ところが、その内容はまったくもって期待外れであって、無内容なものであった。山崎氏によればマルクスの理論には「計画経済」という概念はなかったが、革命直後経済政策をどうすれば分からない状況で「5カ年計画」などでいろいろな実験をやってときに成功した時期もあったが結局失敗し、「停滞の時代」を経て行き詰まり崩壊した、と指摘し、その中で、「停滞の時代」の総括が必要だとした。しかし、その「総括」の内容は、重工業などは計画的経済ではうまくいったが、生活消費財の「できばえ」がまずく、西側のそれに完全に負けていた、そして労働者の創意工夫をくみ上げることができる指導部がいなかったことが「負けた」原因だとしている。
 しかし、第2次大戦前後の時期、「社会主義経済」の前に崩壊寸前だった資本主義が、「ケインズ型資本主義」を取り入れ、戦後いわば「資本主義的計画経済」に転向しその中で中央銀行からの貨幣発行量や市中銀行金利をコントロールすることでいわゆる「クリーピング・インフレ」政策を取ることで労働賃金を徐々に高め、労働者の生活消費財の生産と消費の回転を速めることで過剰資本を処理しつつ、労働者の階級意識を鈍らせて行くことに成功したという事実が触れられなかった。 このことが結局スターリン型「社会主義経済」を追い詰めていったのであり、ソ連崩壊にまでつながったということはきわめて重要な事実である。
  そしてその後、この「ケインズ型」も行き詰まり、「新自由主義」が登場するがそれがソ連崩壊とともに「グローバル資本」として世界経済を支配する形となり、その矛盾が移民問題や自国第一主義の台頭などという形でいまや爆発寸前に達しているにも拘わらずスターリン批判から社民主義へと「リベラル化」したユーロ・コミュニズムの流れはそれに対して何ら有効な手を打ち出せないでいる、という事実、この認識とそれへの深い分析がなければ、資本主義崩壊後の社会主義経済の創出再生などあり得ないとさえいえるだろう。
 こうした重要な問題に全く触れず、山崎氏は何と「スターリンはいまでもロシアでもっとも人気がある人物で、実は少数民族問題などでは優れた宥和政策を取り、以外とやさしい面もあった」などと言い出すに及んで、私は唖然として開いた口がふさがらなかった。しかも「資本論を読まなくても革命はできる、レーニンもスターリンもおそらく資本論をちゃんとは読んでなかった」と言い切った。レーニンやトロツキーがその革命論や帝国主義論などの中で行っている喫緊の問題への取り組みが何であり、その中で彼らが何に苦しみ、何が解決されずに残された問題であったのか、などもっとも重要な問題に何一つ触れずに「総括」などとよくも大見得を切って言えたものだ!
 いったい山崎氏は「社会主義理論」というものをどう考えているのだろう?当然そんな講演者に対してスターリンの民族問題での非情な政策の事実の指摘など反論も出たが、一部を除いて多くが感情的な「反論」であって的外れで冷静さを欠いていた。中に、ある女性が、「資本論はよく分からないけど、社会主義にもいいところがあるし、資本主義にもいいところがあるのだから、両方の良いところを持ってくればいいんじゃないですか?」となどと言っていた。
 私は帰り道、なんとも悲しい気持ちになった。
 なお、いうまでもなく、佐々木氏と山崎氏の発表は「学会」としての公式見解ではなく、あくまで個人としての主張であったことも付記しておく

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2017年10月 5日 (木)

もう一度問う、リベラルか保守か、なのか?

 世の中は総選挙のことで持ちきりである。小池都知事の「希望の党」に合流して政権交代のチャンスを狙おうとした前原「民進党」は、「小池フィルター」によって選別され、ふるい落とされた「リベラル派」は「立憲民主党」を結成した。マスコミではこれであたかも安部自公政権とその補完勢力の「維新の会」や「こころ」を最右翼としてそのやや左に「改革保守」を名乗る小池「希望の党」、そしてそのやや左に「リベラル」を名乗る「立憲民主党」や「社民党」そして一番左に「日本共産党」という図式が出来上がった様に扱っている。

 選挙民はこのうちどれかから選択せよということだ。しかし、この「保守」から「リベラル」へと政党をありもしない尺度の上に並べて論じるのはおかしい。「安部さんの右寄りで強引な政治姿勢はいやだけど、一度失敗したリベラル政権に経済を任せるわけにはいかないから、その中間あたりにしようかな」なんていうのはまったくもって危うい選択である。
 問題は、われわれが社会の真実をしっかり知り、それに対して的確な判断を下せるかどうかである。
 いま経済は好調だと思われている。「景気」を示すいくつかの指数は「好況」を示し、失業率は最低レベルまで下がり、株価は2万円台を超えている。しかし、国家財政の収支はもはや回復不可能な致命的な状況にまでに陥っている。日銀がばらまく円と、買い支える株価によって、証券市場は活気づき「この機に儲けよう」という投資家たちが巨額の投資を続け、大企業が上げる利益の上前を獲得している。この「好況」は実に危うい状況であり、投資家たちがそれを意識して一斉に手を引けばたちまち国の経済は破綻に追い込まれかねないのである。
 一方では、これまでの長期にわたる自民中心の政権が「経済成長」至上主義で行ってきた政策のもとで育ってきた子供達はやがて、「企業に役立つ人材」がふるい分けられ、ふるい落とされた若者達は「フリー」な労働者として放置されてきた。こうして若い労働者の生活は格差が増大し、学費のかかる高等教育から疎外され、単身で生きねばならない若者が増え、結婚して家族を持てる労働者はどんどん減少し、「少子化」が進む。
 そのため 「成長する」企業は人手不足となり、失業率が下がったように見えるが、実は労働者の生活や労働条件はどんどん悪化する。こうした現役労働者が将来は自分たちの老後を支えきれなくなるだろう。この生きづらい社会を生み出してきた政権は何一つそれを反省もせず、「働き方改革」「人作り革命」などという空文句のお題目を唱えて若者達の不満を逸らそうとする。
  他方でかっての「高度経済成長期」を支え、企業に莫大な利益をもたらしてきた世代はいま高齢化し、社会保障の対象となり、借金で切り回す国家財政にとって重荷となっていく。政府はこれを「消費税増税」によって乗り切ろうとする。
  しかしこれは本来、「高度成長」で莫大な利益をあげてきた企業の支払うべき費用なのである。企業は労働者達の生み出した富を独り占めし、それを世界市場での競争力強化のためなどに投資してきた。しかし本来は富の源泉であった労働者たちにその老後の生活を保障するために還元すべき費用なのである。政府は企業の競争力維持のためと称して法人税を下げ、代わりに労働者階級のなけなしの労働賃金からその生活に必要な費用に税金を掛けようというのである。数からいえば圧倒的に多数の労働者階級から「均等に」とる税収は巨額にのぼる。何のことはない労働者達は自分たちが企業の富を生み出すために捧げてきた人生を、働けなくなってからは自前でその生活を支えろというのである。
 この理不尽な「消費税」に対して「リベラル派」政党はこれを社会保障に必要な税として基本的に認めるのである。
 誰のための「経済成長」なのか?誰のための「人作り革命」なのか?それによって「豊か」になるのは誰なのか?そのために税金を払わされるのは誰なのか?「リベラルって何?」、そして「こんな社会」に誰がしてしまったのか?いまこそよーく考えてみようよ。

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2017年10月 3日 (火)

「中間層」といわれる人たちの本質を考える

 総選挙が近づくと、きまって「どの政党を支持するか?」というアンケートが行われるが、そのときいつも、もっとも多いのが「どの政党も指示しない」人々である。自公政権の強引で権力乱用的体質はいやだが、野党に任せても経済や政策運用が心配だ、というわけである。そして、こうした「どっちつかず」票を取り込もうとイメージ戦略に懸命になるのが各政党である。

 その中心がいわゆる「中間層」といわれるグループであるが、人数的には多数派である。
この「中間層」の本質は、じつは資本主義的労働者階級なのである。今日の労働者階級は、かってのような肉体的労働者から、一日中PCに張り付いて頭を働かす、頭脳労働者にいたるあらゆるタイプの資本主義的分業形態をとっており、それがトップの大資本の支配のもとでさまざまな下請けあるいは関連企業の形をとって国境を越えた巨大な生産・流通システムのネットワークを形作っているが、これらの現代的労働者階級のほとんどは自分たちを「労働者階級」として自覚していない。おそらくは「市民階級」という意識が強いであろう。
 この「中間層」の中身の分析はもっとキチンと行わねばならないが、それ自体さまざまな階層に分かれているといえる。最上層は大企業(製造業、建設業、商社、運送業など)や大銀行、証券投資会社など金融関係のサラリーマンなどという位置で、主として頭脳労働を行い、その労務内容は資本家の意志の一端を受け持ってそれを職務化した形の労働である。彼らは高給取りであるし、労働条件も悪くない。そして将来資本の意志の執行役(機能資本家)として育てるための人材として入社時に選び抜かれたエリートである。
 その下には、その資本家の意図をより具体的に細かく細分化して実行するグループがあり、ある部分は「分社化」して別の企業の形を採る。
 さらに下にいくほど「意志決定」内容が単純化されるので、労働力の安い国へ業務がつながる。そして最下層の現場労働者たちがもっとも過酷で低賃金の労働に晒される。外国で可能な労働は賃金の安い外国へ、建設業、物流関係など国内でないとダメな労働では非正規雇用やアルバイト、外国人研修生の利用が日常化されている。この下層部分は「中間層」というカテゴリーには入れられないが、本質的には「中間層」も「下層」もみな同じ資本家的労働者階級なのであり、資本家の頭と手足の延長としての役割を果たしているのである。
 ところで「市民意識」をもつ「中間層」は、実はこうして現実の社会的労働の場では、自らの意図や裁量にもとづく労働を行っているのではなく、資本の意図の「代行」をしているため、自分の労働であって自分の労働ではない、という矛盾した形で「疎外」されているのである。自分の労働力を労働賃金と引き替えに資本家に売り渡している以上それは仕方のないことである。
 そのため、そこでは決して得られない、自己充足感を、「消費」の場で得ようとする。この「消費」の場で労働賃金の一部を支払って何を買おうとそれは彼の自由である。しかしそこで買う商品は資本家的企業で労働者たちの「疎外労働」によって資本家の意図(売って利益をあげるためにつくる)のもとで生産された商品である。それはいかにも購買欲をそそるようにデザインされている。そして「消費者」はその商品を買うことに「生きる喜びと自由」を感じる。
 つまり「中間層」といわれる人たちを含めて労働者階級は、資本家的商品の購買者として、資本家のための疎外労働で得た労働賃金を、商品購入によって再び資本家階級の手に環流させることに「生きる喜びと自由」を感じているのである。
 資本家階級は彼らを「消費者」としてまつりあげ、どんどんあらたな商品を生み出しては買い換えさせ、そこから莫大な利益をあげているのである。その挙げ句に過剰に生産され、過剰に消費される商品が一方で地球資源を食い尽くし、他方で廃棄物の山によって自然環境を破壊している。
 資本家階級の総意を代表する政府や政党はこれを「消費拡大による経済の好循環」という。
「中間層」といわれる人々は、この誤った「市民意識」を捨てて、もう一度自分たちの置かれた惨めな立場を振り返ってみよう!
そこから世の中のすべてが違って見えてくるだろう。

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